あらすじ
18歳の美大生が交通事故で記憶喪失になる。それは自身のことだけでなく、食べる、眠るなどの感覚さえ分からなくなるという状態だった――。そんな彼が徐々に周囲を理解し「新しい自分」を生き始め、草木染職人として独立するまでを綴った手記。感動のノンフィクション!
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Posted by ブクログ
十八歳で事故にあってまったくそれまでの記憶をなくしてしまった青年の書いた文章と母親の手記。"記憶喪失"というのはこういうものなのか、という驚きがある。満腹がわからないのでテーブルの上にあるものをすべて食べてしまう、とか、あまいということを初めて知る、とか、ごはんとおかずの違いがわからない、とか、ケガや病気をしている人は人間に見えない、とか諸々衝撃的。その割に自分の名前とか「おっさん」とか「おばさん」という言葉は覚えているらしい。5歳くらいに知識が返ってしまう、ということなのだろうか。本人の感じていることと母親の語る客観的な状況と対比しながら読めるので興味深い。
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事故で記憶をなくした著者の話。生まれて初めて見るものを不思議に思う気持ちや、知らないことに戸惑いながらもチャレンジしていく様子は読んでいて新鮮な気持ちになった。
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自身の言葉で始まる文章はまるで1,2歳児の言葉がでない子どもの心の声の様だ。そこから大学へ戻り、更には染めの仕事をする…壮絶な人生、だがとても明るく真っ直ぐに生きていらっしゃる。
いつか染められた着物を目にしてみたい。
途中に母親の手記もあり、見守る優しさと強さを感じる。
解説で俵万智氏が書いたとおり、『もともとの絵画的な才能に濁りのない感性が宿り、芸術家としてプラスだったのでは』と。+にできたのはご自身の努力、家族や友人の愛情、何よりとても素直な心の持ち主なんだろうな、と思った。
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この世には体験者しか書けない世界があるが、この本はまさにそう。解説で俵万智が書いている通り、子どもの感性をそのまま書いたような文章は、書こうと思って書けるものではない。この文章を読むことで、毎日見過ごしているあらゆることが、全く新しい、けれどよく分かる感覚で立ち上がってくる。
記憶は、結局全部は戻らなかったのだから、著者は1.5倍位の人生を生きたことになる。それも稀有な体験だ。
「かあさんだよ」、ごはん、チョコレート、UFOキャッチャーなど、何度も読み返したくなる素晴らしさは、前に読んだ時と変わらないが、自分が年をとって、坪倉さんのご両親の偉大さを感じた。もし子どもが事故にあったら、自分は親として、ここまで見守りつつも手を離すことができるだろうか。
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電車の中で読み始め、読み終わりました。
出だしの線の表現はとてもすごいなぁと、線を眺めながら思っています。
母親として、お母さん目線でも考えてしまいます。
1人で大学へ行かせる、しかも電車で。
一人暮らしをさせる。
旅に行かせる。
済んだ過去はやわらいでしまうけれど、その真っ只中にいる時は一分一秒がどんなに不安で不安で不安でたまらなかったことかと思います。
あとがきで俵さんが書いているように、本当に素晴らしいお父さんお母さんです。
作者の生き方も、ご両親の生き方も、見習うところがたくさんあります。
Posted by ブクログ
著者が18歳の時にバイク事故で重体となり、病院で目覚めた時にすべての記憶が無くなっていたという所から本書は始まる。記憶喪失なんて映画やドラマではよくあるけれど、本当にこういう事があるのですね。
自分の事、家族の事、友人の事、目の前に見える物が何なのか忘れ、本書を書いた事故から12年後でも記憶は点としてしかよみがえらない状態。本人も家族も大変だと思います。各章の終わりにある母親の文章と本人との対比が面白い。
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記憶をなくした本人と、母親の視点から書かれているノンフィクション。事故で記憶をなくしてしまった美大生が、自分自身を立て直していく過程を追ったものです。本人の記述に挟まれる形で母親による記述があり、全体をとらえるのに役立ちました。
時に悔しく悲しい思いをしながら成長し人生を再構築していく様子は、子供時代からやり直しているかのようです。坪倉優介という青年は過去を取り戻すことはできなかったけれど、未来を手に入れた。読み終わってそう思いました。
Posted by ブクログ
大学生の時にスクーターで交通事故にあい、記憶喪失になった坪倉さん。
ドラマや漫画では何かのきっかけで記憶が戻って…という展開になりますが、坪倉さんが失った記憶は戻ってくることはありませんでした。
しかも自分が誰なのかという記憶だけではなく、日常生活を送るうえで大事な常識も忘れてしまったのです。
坪倉さん自身も大変でしたが、彼を支えるご家族も大変だったと思います。
それでもそこから人生を構築していく坪倉さんとご家族。
胸がいっぱいになりました。
Posted by ブクログ
audible118冊目。
少し前に読んだ『洞窟おじさん』に続き、この本の著者のような方がいらしたことさえ知らずにいました。
本も好きだしネットだって毎日見てるのに、案外知らないことが多いんだなあと思いつつ、読んでみることにしました。ちなみに夫は、紙の本で読んだことがあるそうです。
ドラマなどで「あるある」の記憶喪失ですが、現実社会でも本当にありえることなんだと驚きました。
わたしの母も、脳の病気になった時に一時的にいろいろ忘れてしまっていたけれど、なぜか家族など人間の顔と名前は全部覚えているのに、自分の家や車はわからず、かわりに子どもの頃の記憶はある…という時期がありました。
が、2度目の手術後は劇的に元通りになり、ドラマあるあるの展開でした。
が、著者の記憶喪失が劇的に元通りになることはなく、家族のことも自分のことも、過去のことは一切思い出せないまま元通りの生活に戻っていきました。相当な心労だったと思います。
著者のお母さんの手記も併せて構成されているので、本人や家族の葛藤がよくわかりました。
著者に好きなことがあって良かったし、それをご自身の仕事にしておられて、元気をもらえました。
逆境や挫折に屈してばかりでは前に進めませんね。
Posted by ブクログ
よくドラマなどで目にする「事故による記憶喪失」という症状。大切な人との記憶を失い、すれ違いなどを経てまた新たな関係性を築き上げたところで過去の記憶が戻り…というのはよくある話ですが、現実はそれほど甘くありません。
自分が何者かはもとより、周囲の人間が離している言葉の意味や、自分の身の回りにあるもろもろの物体の名前や役割、はては社会生活で必要な知識をも失った筆者は、「できない自分」「かわいそうにみられる自分」に苛立ちながら、そして困難を抱えながら新たな生活を進めてゆきます。
「事故による記憶障害」という症状との闘病記録としても読みごたえがありますし、現在は染織の専門家として活躍する著者の自伝(読み物)として楽しむこともできます。
解説で俵万智さんが書いている通り、芸術を選考する著者が記憶を失ったことは、もちろん不幸な出来事ではありましたが、「世の中を新鮮な感覚で再発見した」という経験はアーティストとしては財産になった部分もあったのかもしれません。
そして著者を支え続けた、それぞれに母性・父性を全開にしたようなご両親の力にも感動しました。息子を常に受け入れる母親と、時に厳しく突き放すように見えても根底では息子をきちんと愛している(そしてそのことを度々行動で示す)父親という、やや古風な家族像が著者の回復によい影響を与えていることが(そして著者が両親に感謝していることが)ひしひしと伝わってきて、子育てをしている身としても学ぶところが大きかったように感じます。
Posted by ブクログ
記憶を失った著者の驚きと感動の物語。激レアさんを見るまで知りませんでした。「記憶」の上に人間が暮らしているという当たり前すぎる事実。その重要さを改めて感じさせられた。
Posted by ブクログ
テレビで著者を観て話が興味深かったので。まず文章が上手い。言葉も全て忘れてしまった著者の手記なので文章力はのちに手に入れたものだ。なので書き方に「アルジャーノンに花束を」のような演出がされている。でも彼の感性は素晴らしく瑞々しく、記憶はなくても記憶力はある。彼の体験から赤ん坊は世界をこんな風に感じているのかもと想像することができるような内容。
母親としては彼のお母様による手記の部分もいろいろと考えさせられる。一日中続く質問責めに根気よく対応していたお母様も疲れ果ててついついキツい言葉を発してしまうところはまさに育児ノイローゼ。育て直しといえる状態の苦労は並大抵ではなかっただろう。
Posted by ブクログ
【本の内容】
18歳の美大生が交通事故で記憶喪失になる。
それは自身のことだけでなく、食べる、眠るなどの感覚さえ分からなくなるという状態だった―。
そんな彼が徐々に周囲を理解し「新しい自分」を生き始め、草木染職人として独立するまでを綴った手記。
感動のノンフィクション。
[ 目次 ]
第1章 ここはどこ?ぼくはだれ?―’89.6~’89.8
第2章 これから何がはじまるのだろう―’89.9~’90.3
第3章 むかしのぼくを探しにいこう―’90.4~’91.3
第4章 仲間はずれにならないために―’91.4~’92.3
第5章 あの事故のことはもう口に出さない―’92.4~’94.3
第6章 ぼくらはみんな生きている―’94.4~’01.5
[ POP ]
交通事故で記憶を失うのはドラマではよくあるが著者にとっては現実の驚くべき体験だった。
湯気のたつご飯を目の前にしてもそのきれいな「光るつぶつぶ」をどうすればいいかわからない18歳の青年。
新しい自分を生きようとする彼の目に映るものはすべて異様なまでに新鮮で、世界はこのようなところなのだと私たちに思い出させてくれる。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
18歳でバイク事故により記憶喪失になった美大生の12年間の手記。
記憶を失うことは人生を失う事。
生活の感覚、言葉の意味、味覚の種類、全てを失いながらも大学を卒業し草木染職人となる著者とその家族に感銘をうける。
Posted by ブクログ
自分に関する記憶だけでなく、「食べる」「眠る」などが
全てわからなくなってしまった青年の12年間を綴ったノンフィクション
見るもの全てが新しく、何なのかわからない彼が表現する私たちの日常はとっても瑞々しい
冒頭からページが進むにつれて、使われている漢字が増えていくのには感動しました
また、解説の俵万智さんも書かれていますが、ご両親が素晴らしい
記憶をなくした息子を一人旅に送り出す、一人暮らしをさせる、スクーターで事故を起こした息子をバイクに乗せる…
かわいそうだ、かわいそうだと甘やかすのではなく、時に優しさで包み、時に厳しく自立へ向かわせていく姿勢には敬服します
欲を言えば、もっと坪倉さんの作品をカラーで入れて欲しかったなー
2012/10/24
Posted by ブクログ
記憶喪失といえば、「私は誰?ここはどこ?」の世界だと思っていた。きっと人によって程度や症状はさまざまだとは思うが、著者・坪倉さんの場合はそんなもんじゃない。なにもわからない、言葉もほとんど忘れてしまった状態。そんなほぼまっさらなのに、身体は18歳なのだ。社会的には18歳として生きていかなければならないのだ。
本書はそんな坪倉さんの言葉と、お母さんの手記で構成されている。見るものすべてが初めてで、しかもそれを表現する術すら持ち合わせていない坪倉さんの言葉は、たどたどしくも新鮮で、それを外から見守る母親の言葉は愛情に満ちている。
少しずつ生活できるようになっていき、最後には立派な職人さんになっていて、本書にも少しその作品が載せられているが、その美しさに感嘆し、乗り越えたんだなあと思えた。
久しぶりにいいノンフィクションの本を読んだ。
Posted by ブクログ
通常記憶喪失というと、「ここはどこ?? 私はだれ??」
という感じで、とりあえず日常生活をしながら
自分に関する記憶を取り戻す、って話が多い。
だけどこの作者は、バイクの事故で18歳の時脳に衝撃をうけて
そればかりじゃなく、日常のすべても忘れてしまう。
食べるも、眠るもわからない、
ただ会話はできるだけの大きな赤ちゃんになってしまった。
家族はもちろん困惑する。
食べなさい、といっても食べ方がわからないとか、
お風呂に入るといっても適温がわからないから用意しないといけない、
寝なさい、というと寝る意味がわからないといって寝られない。
母親は18歳の子を、赤ちゃんを育てるように育てる。
これは日記風、というかエッセイ風に書かれているけれど、
最初のころは本当に、小さな子供が
何も知らないまま世界に出て行って思ったことを書いているようで、
なんだかひどく神々しい。
赤ちゃんが生まれてすぐ喋れたらきっとこんなことを言うんだろうな、という。
だけど同時にそれが18歳になる大きな赤ちゃんだった時、
家族の苦労を思うときれいな言葉ではまとめられない、
苦しい気持ちになる。
仲の良かったらしい女の子のことも思い出せない。
そもそも女の子の扱いもわからない。
友達のこともわからない。何一つわからない。
自我はある作者の気持ちもつらい。
何一つわからないから学んでいくけれど、
周りは外見だけで、それを赤ん坊に接するようには対処してくれない。
戻らない記憶、わからないことだらけ、焦燥感。
結局彼は記憶が戻らないまま、再びの子育てを経て
一人立ちをするようにまでなった。
家族のささえってすごい。
だけど、自分の大事な人が記憶を失ったらどうなるだろう??
また自分を大事と思ってくれるんだろうか??
全く興味のない人と思って去っていかれるんだろうか??
自分が耐えられるだろうか??
自分が大事な記憶を失ったらどうなるだろう??
大事な人をまた大事に思えるだろうか??
記憶ってなんだろう。
Posted by ブクログ
”カラフル”を読んだ後だったので、イメージが重なったりしました。
後半の染色の話も興味深かったです。
普通の人が見えない世界を感じてほしいな、とか、
改めて感じてほしいな、と思ったのですが、
まさどんには、ちょっと単調だったようです。
2025/05
ラジオ深夜便アンコール インタビュー
生きていくことに幸せが沢山ある
戻るのではなく1から始めてみたほうが早かった
Posted by ブクログ
交通事故で記憶を無くした美大生が新しい自分を作り上げるまでの過程を一人語りで記した手記。
「記憶を無くす」ということがどんな体験なのか、理解のしようもないが、周囲の理解も大きかったのだろう。中に筆者の染色作品が掲載されているが、とても優しい色合いながら凛とした輪郭を持っており、これが現在の彼なのだということが垣間見える。「事故の前の記憶が戻ること」が最も怖く、事故の後に手に入れた「新しい過去」に励まされているという結語がなんとも心強い。
Posted by ブクログ
「自分、もしくは家族や友人がその当事者だったら...。」と色々考えながら読んでみた。こういったことに急に直面する可能性は十二分に考えられる。今までこういったことを真剣に考えていなかったので、この本を読んで色々考えさせられました。
本人は、壁を乗り越え新しい一歩を歩み進んでおられるようでよかった!そして、大変な苦難に打ち勝ったご両親の素晴らしいサポートを心から尊敬したいと思いました!!
Posted by ブクログ
読書録「記憶喪失になったぼくが見た世界」3
著者 坪倉優介
出版 朝日文庫
p54より引用
“ 食事でも出されたものは、出されただけ
食べてしまう。テーブルの前にすわって、
苦しそうにしているからおかしいと思って見
ると、テーブルに並べた食べ物が全部なく
なっている。まんぷくということがわからな
いのです。”
目次から抜粋引用
“ここはどこ?ぼくはだれ?
これから何がはじまるのだろう
むかしのぼくを探しにいこう
仲間はずれにならないために
ぼくらはみんな生きている”
草木染作家である著者による、自身の身に
起きた記憶喪失とその後を記したノンフィク
ション。過去に他社から刊行された、「ぼく
らはみんな生きている」改題文庫版。
事故からの回復直後の様子から染色作家と
なり再びバイクに乗るようになるまで、母親
の手記を挟みながら書かれています。
上記の引用は、体が回復して退院したすぐ
の頃を記した、母親の手記の一節。
重度の記憶喪失では、日常生活の基本的な事
も忘れるようですが、満腹という体の感覚ま
で忘れてしまうとは…。強い衝撃で脳を傷め
ると、このようなこともあるのかもしれませ
んね。
著者の作品がカラー写真で掲載されていて、
色合いの穏やかさが優しい雰囲気を感じさせ
る着物です。
ーーーーー
Posted by ブクログ
新鮮な表現に胸を打たれた。
お金や電車、食べもののことなど、、
これまで様々な芸術家たちが今生きる世界を描こうとしてきたけれど、こんなにも、初めて出会うときのようにみずみずしく表現した人はいないんじゃないかと思う
お母様の手記によると、坪倉さんが「人間はなんのために生きているの?」と尋ねたときがあったという。
自分の生きる目的というのが見いだせないということは、どんなに衣食住満たされていても、孤独で寂しい思いを背負うことになるのだな、と思った。
特に前半の、日常生活を送れるようになるまでの描写は、読んでいても苦しくなるほど、苦労の日々だった様だ。でも、大学に行き、染め物の課題を重ね、京都で働くようになり、どんどん文章のテンポが良くなっていく。それが、彼の世界と自信が加速的に広がっている様をあらわすようで、ワクワクと生きる喜びが、文章からフルに伝わってくる。
本の終盤に、ずっと記憶が戻ったらいいと願っていたけど、失った記憶よりも、新しく得た記憶がとてもかけがえのないものだと思う、というような文章があって、泣きそうになった。
わたしはどれだけ今とこれからを大切にしているのだろう。と思わされた。過去のことを、基準にしたり頼ったり悪者にしたり、そういうことばかりで、今のこと、これからのことをどう前向きに受け止めていくか、そういう視点を忘れていたな、、と。
Posted by ブクログ
大学生の時に交通事故にあい、過去の記憶を失った作者の実話。作者の視点と、母親の視点の両方が交互に綴られる。
作者自身が本当に幼児のような状態に戻って、周りの情景や友人、家族の様子を語っている部分は、子供の視点のようでとてもリアル。母親の当時の心情などは、子を持つ親として、本当に強い両親だなと感じる。
面白いけど、まぁでも星3つかな。
Posted by ブクログ
18歳の美大生が事故にあい、記憶を失ってからの12年間のノンフィクション。これを読んだ感想は「本は読み手の心を映す鏡」だな、と言うこと。
私の感想は「なんとも言えない」だった。
リアルタイムで書いたものなんだろうか……? だとしたら葛藤はないのか? なんというか、うーん。もっとどろどろとしたものがあって、その中の綺麗なものをチョイスして載せた感があるのだけれど、それは人間を偽悪的に見すぎているのかな。
ただ、この人の作品は、過去関係なく見てみたいな、と思った。
草木染作家としての個展を見るか、それについての本を読んでみたい。
Posted by ブクログ
スクーターで事故にあい、過去の記憶どころか日常生活に必要な知識も全て忘れてしまった青年の、ノンフィクション。フィクション作品に出てくる記憶喪失者は自分のことを忘れていても日常生活を営む上で不便はしてないのに、青年は赤ん坊と同じゼロからのスタートだった。白米やチョコレートを食べて「美味しい」「甘い」を知り、文字を覚え、大学に行く……もし私だったら世界が怖すぎて布団から出られない。誘われて大学のクラブに行ったら「君は長いあいだ部費をはらっていないね。部費は一ヵ月遅くなるたびに一ヵ月ぶん増しだから、三万六千円だ」と言われるなんて質が悪すぎやしないか。事故にあった人に対して、その対応はないだろう。当時、彼(青年)は男と女という二種類の人間がいることさえ分かっていなかったんだ。
そんな状態の彼を大学にいかせた母も、免許の教習所の合宿に行かせた父も、私から見ると厳しすぎる。だって、幼児を相手にするようなもんだろう。事故のことで同情され、距離をおかれ、迷惑そうな顔をされ、分からないことばかりで……本当に、よくも心が折れなかったもんだ。私が泣きそうだ。
人との距離のとり方を次第に学んでいくが、そんな状態でも彼は楽しかったんだろうか。人生とは目標に向けて、辛くても乗り越えていかなきゃいけないものなんだろうか。その中でしか見つからないものなんだろうか。本当に、泣きそうだ。