あらすじ
日本という国に「志」高きサムライがいた時代から、指導者のバイブルとして読み継がれてきた、至高の書をわかりやすく現代語新訳。また編訳者により、さらにわかりやすい解説もつけている。本書には、真のリーダーを目指す人、大いなる志を立て、自分の運命を切り開き、世のため人のために尽くさんとする人への、人生の指針が刻み込まれている。著者・佐藤一斎は、江戸末期より明治維新の時期に活躍した志士たちに多大なる思想的影響を与えた人物であり、佐久間象山、中村正直、山田方谷、さらには西郷隆盛など、日本を動かした、名だたる英傑が感化された人物である。特に西郷においては、自身が島流しにあった不遇のときに本書にちりばめられた名言を座右の銘として、その中から101条を抜書きし、つねに諳んじた。自らの心の危機、さらには大きな壁にぶつかっている人には、その一言一言が、深く胸にしみ、明日への指針となることだろう。
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Posted by ブクログ
全体を通しての感想
いつの時代も普遍的なことがある。と感じた。時代毎の環境の違いや文化の違いはあれど、人との接し方、自分との向き合い方は変わらないんだと思う。「古臭いカビた本」かもしれないが、変わらないこともある。
古文が苦手な人でも「現代語抄訳」されているのでとても読み易い。
考えていること。
迷っていること。
壁にぶち当たっている人。
人との接し方で悩んでいる人。
は一度読んでみることをおススメします。
リーダー指南書と紹介されているが、仕事や対する心構え、志の持ち方、日常の気付き、人との接し方など
大事なことを言語化できると思う。
“心理は是れ竪の工夫、博覧は是れ横の工夫、竪の工夫は則ち深入自得し、横の工夫は則ち浅易汎濫す。”
内面的な心の修養は竪の工夫であり、外面的に博く書物を見てゆくのは、横の工夫である。
竪の工夫は深く入って自得するに至るが、横の工夫は浅く安易でこぼれ出てしまうものである。
浅く薄っぺらいものにならないよう気をつけていきたい。
Posted by ブクログ
佐藤一斎の『四録』をほぼ網羅したのはよいのだが、いかんせん編者の訳がおおざっぱ。やさぐれた解説文の毒っぽさで、原文の重みが殺がれているように感じる。先に他の訳書を読んだせいもあるだろうが。
一斎自身はさほど世間を斜に構えてこき下ろす姿勢はなく、そもそも儒学自体がそうだったと思いたいのだが。
初心者には読みやすい本。
訳文をやたら目立たしく太字にしてくれなければよかったのだが。原文の文字が小さいのが残念。
ただし、編者が読んだ関連古典の引用などは有用。
巻末に索引もあるので便利。
Posted by ブクログ
以前読んだ藤巻幸夫氏の著書に、影響を受けた本の1つとして言及されていたので読んでみることにした。原文(漢文の書き下し文)に、現代語の訳や解説がついた構成で理解しやすい。最近欧米や、現代の人の著作ばっかり読んでたので、こういう日本の歴史ある考え方(道)を垣間見れたのはいい勉強になったと思う。
[読書録]====================================================
少にして学べば、即ち荘にして為すこと有り。
荘にして学べば、即ち老いて衰えず。
老いて学べば、即ち死して朽ちず。
人は環境によって作られるが、その良い環境を良い方へと変えていくのは、志を持った人間である。志のある人は、自らを切り開き、良き師、良き友に恵まれ、そして学び、励まされ、一度しかない人生を有意義に創造していく。人生を良くするのも悪くするのも、この志次第。
■言志録
◇第七条「立志の功は、恥を知るを以って要と為す」志を立てて成功するには、恥を描くことが肝心である。
学問とは「教わる」ものではなく、学ぼうとする意志である。
無為自然「上善は水の如し。水は万物を利して争わず、囚人の悪む所に居る」上善とは老子の言う理想的な生き方のこと。
いまどきの人は、口を開けば忙しいという。しかし、実際に必要なことをしているのは、十のうちの一か二である。やらなくていい仕事が十のうち八か九、しかも、やらなくて良い仕事を必要な仕事と思っているのだから、これでは忙しいのも当然である。本当の大事を志す人は、このような無駄な考えに陥ってはならない。
立派な人になろうとの強い志を立てて、それを達成しようとするなら、薪を運び、水を運んでも学びに通じる。ましてや、書物を読み、事の道理を知ろうと、それに集中するなら、目的を達成しないほうがおかしい。だが、志が立っていなければ、終日読書しても無駄に終わることになる。だから、立派な人になるには、何よりも志を確立することが大切である。
人を諌めようとするときは、言葉に誠意が溢れていなければ効き目がない。仮にも、いかりや憎しみの心が少しでもあれば、忠告は決して相手の心に通じるものではない。
読書の方法は、孟子の言う次の三言を師とすべきである。
一、自分の心を持って、作者の精神を受け止める
二、書物に対しては批判的であって、その一部を信用しても、全部を信用しない
三、作者の人柄や業績を知り、又当時の社会的背景を考えながら、読んでいくべきである
「苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」毎日毎日、進歩しているとの意味
■言志後録
人はだれも若いころから体験してきたことを思い出してみるべきだ。その年にしたことは正当だったか、なかったか。その年計画したことの中で、どちらが穏当であったか、なかったか。こうした反省を将来の戒めとすることが望ましい。それをしないで、ただ先のことだけ考えて、あくせくした所で何の利益もない。
◇第三三条「春風を以って人に接し、秋霜を以って自ら粛む」春風の暖かさをもって人に接し、秋霜の厳しさをもって自らを慎む。
人は皆自分の健康については心配するが、心の状態が健康であるかどうかは問わない。時々は、次のように心に問うてみるが良い。「独りでいるとき、心を欺くようなことはしていないか。独りで行く時、自分の影に恥じるようなことはしていないか。独りで寝るとき、自分の夜具に恥じるようなことはしなかったかどうか。そして自分の心が、安らかで愉快に楽しんでいるかどうか」と。このように反省する心を持っていれば、心は決して放漫にはならない。
偶成「少年老いやすく 学成り難し 一寸の光陰 軽んずべからず 未だ覚めず 地塘春草の夢 階前の悟葉 既に秋声」
■言志晩録
時々刻々と時間は移るが、常に現在の時点に心を集中しておかねばならない。未だ気もしない将来を迎えることはできないし、過ぎ去った過去を追いかけても追いつかない。過去にこだわったり、来もしない未来に心を乱すのは、本心を忘れている状態である。
一年三百六十五日、一日として吉日でない日はない。一念発起して善を行えば、これ全て吉日となる。一年三百六十五日、一日として凶日でない日はない。一念発起して悪を行えば、これ全て凶日となる。
■言志耋録
上杉鷹山「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
人間は心に楽しむ所がなくてはならない。楽しみは自分の心の持ち方で合って、自分の外にあるものではない。
身に降りかかることは、何事も善きことと思って、それを楽しむ。これがわかると人生で怖いものはなくなる。