あらすじ
観光という近代的営為を通じて,満洲における「帝国の物語」はどのように紡がれ,満洲国崩壊後の「失われた帝国への郷愁」はどのように醸成されたのか.観光が生み出した欲望と記憶の背後に潜む政治的意図を解明し,個人と国家,そしてその間に立つ満鉄や在満県人会などさまざまな主体の思惑が絡み合う複雑な構造を明らかにする.
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Posted by ブクログ
書きかけの物を謝って消してしまったので、少し簡略なものになってしまう。注解と索引も充実しており、たいへんな労作である。これが中国出身の人によって書き上げられたという事にまず感嘆する。「満洲」というと、日中戦争前後のイメージしか持っていなかったが、日清日露の時代から重要な地であったことを改めて認識した。1906年から観光(というよりはもう少し戦意高揚を意識したもの)が行われていたこと、陸軍及び満鉄が想像以上に大きな役割を果たしていたこと、これらは初めて知った。地元の祭礼までも組み込んで、占領の正当性、戦意高揚、愛国精神への訴えかけなど「戦争」を感じさせずに戦闘継続を図る一方で実利も上げていたとは。一部に「満洲国」への疑問を呈する者や、本当に単なる観光地としてしか見ていない者があった事にも触れられているがわずかである。旅行者には学生や教員たちが多くを占めており、愛国教育への影響は大きかっただろうと推察される。また、県人会や校友会による旅行者への歓待ぶりから推察されるのは、どこかに属していることによってもたらされていた安心感と同時に同調圧力の強さである。
日中国交回復後、しばらくの間は戦争が階級闘争の意味合いで捉えられていて、一部の軍国主義者と国民との二つの対立軸であったのに、1982年に起こった「教科書問題」(そして「満洲建国の碑」建立問題:こちらは全く知らなかった)によって、「勿忘国恥」(国辱を忘れる勿れ)が鮮明になった事を知り、「教科書問題」と簡単に言葉の問題だけではすまない事を改めて認識した。
今また、全く信用ならない政権となってしまったが、「国策」に踊らされることなく、ダメなものにはNo!と言い続けたいと思うし、その環境を守って行きたい。