【感想・ネタバレ】虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯のレビュー

あらすじ

その画家はなぜ、強烈に「知」を求めたのか──?

近代の夜明け前、フンボルトやリンネ、ダーウィンよりはるか昔に、昆虫学という学問が存在しないなか独学で研究を行い、メタモルフォーゼ(変態)の概念を絵によって表現、さらに大西洋を渡って南米を調査旅行し、昆虫や植物の姿を生き生きと描写した破格の女性が17 世紀にいた。小さな虫の中に「神」を見たその女性、マリア・シビラ・メーリアンとは何者だったのか──。科学と芸術が混じり合った豊かな時代の輝かしい偉業を、中野京子が生き生きと蘇らせる。2002 年刊の幻の名著、『情熱の女流「昆虫画家」──メーリアン波乱万丈の生涯』が満を持して復刊!

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

1294円

中野京子さん高階秀爾さんのファンらしい。高階秀爾良いよね。高階秀爾の本も全部買お

中野京子本の中でこれが一番好きかも。ドイツ版堤中納言物語、虫めづる姫君。

美術を知れば知るほどオランダという国が魅力的に思える。オランダって国的にもヨーロッパの端の方だし、保守的なキリスト教の思想から自由に色々探究してる感じが面白いし、オランダは科学的な絵が多い印象ある。日本人にフェルメールとかレンブラント好きな人が多いのもキリスト教的世界観が薄いからなんじゃないかな?

中野 京子
(なかの きょうこ、生年不詳)は、日本の作家[1]、ドイツ文学者[2]、西洋文化史家、翻訳家[3]。北海道生まれ[4]。1979年、早稲田大学大学院修士課程修了[5][6]。オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆する。2007年に発表された『怖い絵』を端緒とする『怖い絵』シリーズが大ヒットとなる。新聞や雑誌に連載をもつほか、テレビの美術番組にも出演する[7][8]。早稲田大学講師[9][10]。『怖い絵』シリーズの刊行10周年を記念して2017年に開催された「怖い絵」展では、特別監修を務めた[11][12][13]。2021年9月に開催された「怖いクラシックコンサート」(東京文化会館)での解説[14]、2022年3月公演の舞台「怖い絵」の監修[15][16]、同年7月上映の「星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム」の監修・解説を担当した[17][18]。

マリア・ズィビラ・メーリアン
17世紀のドイツ生まれ。画家・博物学者・昆虫学者・自然科学者、生態学者——現代の言葉で肩書を並べるより、上の絵を描いた人物、と言う方がずっと彼女らしいのです。虫を見つめ描き続けたマリアの眼差しと筆使いに迫ってみましょう。


「彼はじっさい尊大だったのか?  もちろんそうだ。貴族でも大商人でもないが、しかしメーリアン社のようにおおぜいの職人や徒弟を擁した大工房の長は、高級職人として市民階級の上部に位置し、敬意をはらわれている。一七世紀半ばのヨーロッパは、男性の識字率三〇パーセント以下(女性はさらにその半数)といわれるが、マテウスはラテン語の読み書きもできた。〈手工業の親方〉という言葉から受けるイメージとは、はるかに遠い。尊大になることを許された身分だったので、とうぜんそうしたまでのこと。身分による役割をきちんと演じることが正しいとされた社会に、彼は生きていた。  だが妻と長女を相次いで亡くしたころから、マテウスの勢いはかげりを見せはじめる。何より健康状態が悪化した。長年の旅生活、日々の過労がたたったらしい。早描きはできなくなるし、商品の買いつけに対する勘もにぶってくる。しかもだいじなお得意だった貴族たちは、三十年戦争終了後の処理による宮廷縮小などで、注文を減らしはじめた。工房の負債が増え、その心労がまた肉体を痛めつけるという悪循環。とはいえそれは、数年にわたるゆっくりした変化ではあった。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著




「 しかしながら、序列と人気は別ものである。経済的に豊かな市民層が形成された国、とりわけオランダでは、風景画や風俗画とともに静物画への需要が倍増していた。モノヘの尽きぬ関心が、彼らの好みをそこへ向けたからである。反対に宗教画は、宗教改革以降、偶像崇拝を認めないプロテスタント教会が注文しないため、ほとんどすたれた。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著


「やがてマリア・シビラが学校へ通うころ、母ヨハンナは長く放っておいた娘に改めて目をとめ、愕然とする。他の少女たちと全然違っているではないか。人形遊びもせず、友だちもできず、いつもひとりで虫ばかり見ている。見ているだけならまだしも、素手で触っている。将来一人前の女性になるためにすべきこと──料理、裁縫、掃除、刺繡、聖書の暗唱──を嫌がり、逃げまわっている。これではいけない。焦った母は、放任から一転、厳しい躾をほどこしはじめた。  良い子のマリア・シビラは、母に逆らわなかった。言いつけられた家事を、黙ってこなした。しかし虫の観察はやめなかった。あんな気色の悪いものを集めるのはやめなさい、といくら止められても、表だっては反抗せず、ただ続けた。家事のせいで虫を見ている時間こそ短くなったが、ヨハンナの思惑どおりには決してならなかった。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「 誰もが皆、時代のとらわれびとだ。マリア・シビラのきわめて個性的な絵に見られる、しなやかに波うつ茎の装飾的描写も、まぎれもなく、彼女の生きたバロックという時代の影響である。  もちろん彼女は〈バロック〉などという言葉は知らない。〈歪んだ真珠〉を意味するこのバロックは、一八世紀末の人々が非古典的な一七世紀を蔑んで呼んだものだ。ルネサンスの調和の美に比べれば、バロックの躍動する生命力や過度の視覚効果は、確かに烈しすぎる。しかしそこに生き、そこの空気を吸っている者にとっては、その劇的表現こそがあたりまえであった。  いや、そんなことをいえば、珍しい花、珍しい昆虫への偏愛もまた、この時代の要請によるものだった。ヨーロッパは〈大航海時代〉を経て、植民地から空前の富をかき集めていた。それとともに、これまで見たこともない珍奇な品々や生きものへの熱狂も生じた。世界は驚異に満ちている。人々は何かひとつ発見するたび、さらにまた別の新しい発見を求め、先を争って所有したがった。オランダにおけるチューリップ・バブルに代表されるように、いわば世をあげてのコレクターブームが巻き起こっていたのである。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「だが南アメリカの植民地の様子を描いた版画などを見ても、とうぜんながらまだ自分の身にひきつけて考えられはしない。新大陸どころか、地続きの隣国でさえ、いつの日か行けるときが来るなどと想像するのはむずかしかった。当時の女性は結婚でもしない限り、生まれた土地にほとんど一生しばりつけられていた。どんなに才能があっても、外国へ徒弟修業に出ることはできなかった。少年のころのマテウス が、プッサン(一五九四 ~一六六五)の絵の模写をさらに模写しながら、フランスやイタリアヘ行って実物を見るのを楽しみにしたのと比べれば、なんと大きな落差だったろう。  だからといって、マリア・シビラがそれを悔しがったかといえば、それは違う。むしろ彼女は、恵まれた自分の立場をありがたいと思っていた。なぜならメッセがないときでも、最新の海外情報、最新の書籍や絵画に、いくらでも接することのできる環境にいた。父親や兄弟、職人たちが、絶えずヨーロッパ各地をまわり、そうしたものを持ち帰ったからだ。マレル家でもそうだが、それよりメーリアン家で所蔵品の数々を見せてもらえるのが何よりの特典といえた。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「 孤独は必ずしも悪いことばかりではない。マリア・シビラはこれまで以上に昆虫に熱中した。後年、「自然研究という生涯の仕事の礎となった年は一六六〇年」と書いたように、一三歳は大きな転換点になる。生まれて初めて、蚕の変態を目のあたりにした年──。  フランクフルトでも養蚕業は盛んだった。虫好きの少女は近所の養蚕場から、いくつかの卵をもらい、部屋で飼育を始める。蚕は変態時間の短さがとりえだ。端に黒点のある孵化まぢかの卵からは、すぐ幼虫がかえり、旺盛な食欲をしめすので、せっせと新鮮なクワの葉を与え続けた(腐ったのや湿ったのをやればすぐ死ぬとわかると、さっそくメモを残しておく)。丸々と太った幼虫は何度か脱皮をくりかえした末に、あるときぴたりと餌を食べなくなり、同時に体はアメ色に変わって糸を吐き出す。休みなく糸を吐き出し、動きまわって、自分の体をぐるぐる巻きにする。しばらくは外から見えていたその幼虫も、やがて自分で作った楕円形のその白い殻にすっかりかくれてしまう。もちろんマリア・シビラは、どの段階も丹念にスケッチしておくのを忘れない。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「こうして幼虫は二週間近く、繭に守られてぐっすり眠る。繭の中でさらに脱皮して、堅い蛹になり、蛹の中で最後の変身、つまり羽化がおこなわれて、ついに繭をやぶって飛び出てくる。それも夜明けに。マリア・シビラは養蚕業者に教えられたとおり、一晩じゅう寝ずに繭を観察し続けた。やがて繭がふるえはじめ、次いで先端から黒っぽい頭が見えてくる。その頭でぐいぐい繭を押し上げ、苦心惨憺の脱出劇が演じられる。ようやく外へ出られても、体はまだ湿り、翅も縮みきっているので、よろけてとても飛ぶどころではない。しばらくもがくうち体は乾いてくるが、まだ翅とのバランスがうまくとれず、よちよち歩きのヒヨコみたいに、羽ばたきしては飼育箱の壁にぶつかっている。だがそれを何度かくりかえすと、生まれたての蛾はいつのまにか空中を飛んでいる……。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「意外だったのは、必ずしもきれいな色のイモ虫が、美しい蝶になるわけではないこと。ぶよぶよした冴えない醜いイモ虫が、鮮やかな翅を持つみごとな蝶に生まれ変わり、ゆうゆうとはばたく姿を何度も見た。平凡な容姿に生まれついたマリア・シビラが、そのめざましい再生、ドラマティックな変化に勇気づけられたろうことは、想像に難くない。女性なら誰しも少女時代に、「いまは悪きぞかし/さかりにならば/かたちはかぎりなくよく/髪もいみじく長くなりなん」と夢みるものだ。蝶ほど、そんな少女の憧れをすくいとる存在はないであろう。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「恋愛で結婚が決まる時代では全然なかった。ヨハンナの二度の結婚が典型的なように、階級はつりあいがとれているか、宗教は同じか、夫は妻子を養えるか、妻は子どもをたくさん産めるか、そして何より互いの利害が一致するか(持参金の多寡も含め)が肝心で、その他は──相手に性的魅力が感じられなくとも、双方に子どもがいても、妻がはるかに年上でも──あまり問題にならない。  つまりあらゆる点で、グラフとマリア・シビラは申し分ないカップルだった。その上、初婚同士である。ニュルンベルクの教師の息子に生まれたグラフに、継ぐべき工房はないけれど、マリア・シビラとならいずれ新しい仕事場を開いてやってゆけるだろう。彼女はすでに立派にミニョンの代役をつとめ、近隣の少女たちを集めて教えるなど、マレル工房の中心になって働いている。マテウス・メーリアンの血をひくだけあり、絵の腕も天才的と評判だ。グラフが最初からすべて計算ずくだったというわけでもないだろうが、後年、徐々に姿を現してくる遊び人の本能で、依存できる相手をただちに見抜いたということはあるかもしれない。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「 いずれを主張するにしても、しかしこの絵の女性が美しくないという点では一致している。ほんもの説は美しくないからであり、別人説もまた美しくないからだった。確かにこの女性は人目をひかない。思いつめたような、生真面目そのものの眼差しこそ印象的だが、目鼻立ちはごくごく平凡だ。ぼってりした頰と、長くて先の赤い鼻、あいまいな顎の線、特徴のない唇。一九世紀のある批評家はこれを評して、マリア・シビラは才能には恵まれたが「容貌に関しては、神は継母が継子を扱うように扱った」とまで言っている。  ──たった一、二枚の肖像画で、その人の何がわかるというのか。  きっとマリア・シビラも、そういう思いだったに違いない。美貌に恵まれていないという自覚があればこそ、自分の姿や、虫と関わりない私生活を、残す気になれなかった。でなければ、父や兄のように肖像画や自伝を残さない理由が見あたらない。なにしろ当時は肖像画の時代、自伝の時代といっていいくらいだった。著名人はむろんのこと、無名でも争って自分の姿を世にとどめたがった。少なからぬ金を払って画家に描いてもらったり、長い退屈な自伝を書く者もいた(一介の床屋の親方ディーツの伝記のおもしろさは、例外的)。その意味では、ふつうの人がふつうの自分の人生を自費出版したり、カメラで自分ばかり撮すなど、強烈に自己にこだわる現代日本とよく似た時代だったのだ。  マリア・シビラの場合、自意識が強すぎたともいえよう。人一倍、美に敏感だったせいで、自分の容姿を肯定しにくかったのかもしれない。特に、流行の衣服をまとうといっそうだめだった。毎日外へ出て採集している顔は、健康的に陽焼けしているのだからあたりまえである。この肖像画の女性は、貴婦人の留守にこっそり衣装を借りた農婦のように見えてしまう。むしろマリア・シビラの高貴さは、昆虫網を持っていたり版画を彫っていたりと、ふだんの自然な姿にこそあっただろう。そんな彼女が描かれていれば、真の魅力が伝わったはずなのに……。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著


「二〇センチ以上もある巨大毒グモも生息しているのだそうだ。そのオオツチグモは、ふつうのクモとは違って網を張らず、木に登って獲物に近づき、いきなり嚙みつくらしい。ハチドリが襲われたこともあったという。マリア・シビラは夢中になって質問を浴びせたが、しょせん虫に関心のない人間たちの語ることには限界がある。はがゆい思いで終わるのが常だった。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「絶対君主のこの時代にあって、プロテスタント国家オランダはかなり特殊な性格を持っていた。後世から、〈一七世紀の典型的資本主義国〉と呼ばれることになる、商業貴族的共和制が実現しており、裕福な中産市民の層は厚く、彼らが政治経済を動かすとともに、社会秩序を律した。知識欲は旺盛で、女性の識字率もドイツなどよりはるかに高く、三分の一以上だったらしい(男性は六割近い)。芸術は市民のものであり、特に絵画はどんな貧しい家にもない家はない、といわれるほどだった。「けっきょくのところオランダ人はみんな画家として生まれる。それ以外のものとしては存在できない」(エリー・フォール)ほど、絵が好きだった。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著


「同じものを描き続ける(ないし書き続ける)場合の最大の難点は、やがて本人が飽きるということ。内側から突き上げるものが弱まり、需要があるから制作するという袋小路に迷いこみやすい。たとえば物語画家フェルディナンド・ボル(一六一六 ~一六八〇)は、金持ちの未亡人と結婚したとたん、画家を廃業してしまった。彼はいっとき、レンブラントの有力な後継者といわれたほどである。それでもやめるチャンスがあればやめてしまう。  飽きということの他に、創作だけで暮らす厳しさもあろう。なにしろこれだけ同業者が多いと、飽和状態になるのも早い。少し前まで絵画は──たとえ後世の評価がどんなものでも──購入者にとっては、高価な贅沢品であった。壁に飾った絵にわざわざカーテンを引き、傷まないよう気をつかい、大切にしていた。だが数が多くなればそうはいかない。クヴィリング・ファン・ブレーケレンカムの『仕立屋の店』という絵には、質素な仕立て屋の仕事場の壁に静物画が掛けられ、その額、しかも真ん中に、帽子が無造作にひっかけてある様子が描かれている。もはやその絵は財産でもなければ、部屋の装飾ですらないのだった。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「こうして絵画の値は下がり、実力のない画家は淘汰されてゆく。そんな現実を、しかしメーリアンは子どものころからずっと見てきたから、いたずらに怖れなかった。才能があり、実績があり、幸いコネもある。それならたとえ厳しくとも、ここほど自分を生かせる場はないだろう。ここほど名を上げるのにうってつけの環境はないだろう。なぜならアムステルダムは刺激を求める都市だ。常に新しく魅力的な対象をさがす都市だ。それがどんなに小さな対象──虫のように──でも、そこに驚きと美しさがあれば喜んで認める。今までにない分野であれば、なお。  メーリアンのテリトリーこそ、今までにない分野だった。彼女ほど昆虫に詳しい銅版画家は皆無なのだ。単に昆虫に詳しい者はいる。秀でた銅版画家もいる。だがその両者を合わせ持つ人間は、彼女をおいて他にない。誰よりも虫の生活に通じていなければ、描けない絵。それを誰よりも巧みに描く。この専門分野で、彼女は頂点を極められるにちがいない。頂点を極めれば需要は多い。彼女には自信があり、まさにそのとおりになる。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「仕事の内容は変わらなかった。生徒を集めて絵の教室を開き、画材の販売をし、依頼に応じて昆虫画、植物画、布地絵、科学書のイラストを描く。むろん昆虫の飼育も続けた。都会での採集はたいへんだったので、もっぱら愛好家から分けてもらったり、植物園へ通って研究した。知識を吸収するのは、あいかわらずの悦びだった。  もっとも大きな変化は、これまでにない活発な社交生活である。アムステルダムには『花の本』や『虫の本』のファンが多く、メーリアンはおおぜいの知識人と面識を得て、親しくつきあいはじめる。後年『スリナム本』で、「アムステルダム市長であり東インド会社の長でもあるニコラス・ウィツェン博士と、同市政務次官ヨナス・ウィツェン氏のすばらしいコレクションを見せていただくことができた。また解剖学の医者で植物学教授でもあるフレーデリク・ライス博士、そしてレヴィヌス・ヴィンセント氏、他おおぜいの方々のコレクションを拝見させていただいた」「植物名は現地人の呼び名にしたがったが、ラテン語名は植物園園長であり植物学者、医学者のカスパル・コンメリン博士に付記していただいた」と、謝辞を述べている。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「レーウェンフックのことを、もう少し如才なければ出世できるのに、という者もいたがそうとは限らない。いくら市民国家オランダといえども、正規の大学教育も受けずラテン語もできない人間に、どんなポストも与えられない。本屋の会計係をはじめ、織物商人やら町役場の受付係やらで生計をたててきた彼には、イギリスのロイヤル・ソサイエティの通信員というポストでさえ法外だったろう。だいいち彼はたまにアムステルダムヘ出てくるくらいで、故郷デルフトを離れたがらない。あちらで測量技師の免許も取っている。  もちろん天才である。九一年の長い生涯でただの一冊も著書を書かなかったにもかかわらず、それを認めない者はいない。熟達したガラス研磨術で二倍から三〇〇倍といった倍率の顕微鏡を数百も作り、それで人間の精子や赤血球や筋繊維、またノミの卵やら原生動物を発見した。顕微鏡の構造自体はどれも同じで、二枚の金属板の間に小さなレンズをはさむといった簡単なものだが、彼のようにガラスを磨き、彼のように観察できる者はいなかった。なにせ知りたがりの見たがりだ。盲目になる危険を冒し、火薬の爆発状況を四、五センチのところで観察したことさえあった。同じデルフトの画家ヨハネス・フェルメール(一六三二 ~一六七五)とも親交があり、彼の『地理学者』のモデルはレーウェンフックではないかといわれている(肖像画とはあまり似ていないので、賛否両論ある)。フェルメールの死後、彼の遺産管財人もした。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「ピョートルは後年、もう一度アムステルダムヘやってくる。そしてそのときには自分のコレクションにメーリアンの絵を加えるため、わざわざ侍医を彼女の家へよこすだろう。この世で唯一ゴキブリだけを怖がったというこの絶対君主は、どんな思いで彼女の昆虫画を鑑賞したのだろうか。  メーリアンとピョートル大帝の関係、いやメーリアンとロシアの関係は、これだけで終わらない。むしろオランダやドイツより密接な関係を結ぶことになる。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「捕まえた虫はすぐ処理しないと、腐ったり大アリに喰われるので、場合によってはその場で標本にした。せっかくの標本を、家の中で台無しにしてしまったこともある。「アメリカでもっとも悪名高い虫」ゴキブリにやられたのだ。「小さなゴキブリは動きがすばやく、木箱や容器の継ぎ目や鍵穴から中へ入り込む」。もちろん彼らの生態も研究対象である。パイナップルのガクに、びっしり並んで産みつけられた卵とともに、南米産ワモンゴキブリの一生が時間の枠を超えて描かれた。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著


「運にも味方され、ようやく全快したときには、もはやこれまでどおりのフィールドワークを続ける力はなかった。三年間という約束を東インド会社とかわしていたこともあり、まだ一年を残して帰らねばならないのは無念の極みだ。しかしこれ以上頑張ってまた病気に倒れては元も子もない。メーリアンの本来の目的は自然研究ではなく、自然研究によって得た知識で絵を描くことである。そのための余力をとっておかなければならない。いったんここは、帰るのが得策だろう。  帰国の決断は、母娘の相談の上と思われる。偉大な母親の後ろにかくれてドロテアの存在はほとんど見失われかねないほどだが、しかしこの娘は毎日のルーティンワークのときも、カヌーでのジャングル探検のときも、常に母によりそって黙々と補助作業をしながら支えてきたのだった。とうぜん病気のときには介護もした。メーリアンにとって、遅くに生まれたドロテアヘの愛情はひとしおだったが、ドロテアもまたその愛情に生涯かけてこたえることになる。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「メーリアンがまず読者に強調したかったのは、自分は正統の学者ではないけれど、各地で長期間研究を続けてきて、すでに評価を得ている人間だという点だった。人に勧められたので出版するという表現は、この時代ではふつうのことなので、別にへりくだっているわけではない。それどころか、彼女には確固たる自信がある。誰の娘か、誰に絵を習ったかを明らかにする必要を、もう感じていない。マリア・シビラ・メーリアンの名前ひとつで、事足りるのを知っている。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

「では彼女の作品は、「あまりに美麗」な点だけに価値があるのだろうか。そうではない。科学と芸術は、真実を見るふたつの目だといわれている。メーリアン作品の神髄は、やはりサイエンスアートという点にあるだろう。彼女が自然をどう認識したか、その認識の証が絵になり、それが見る者の胸をふるえさせる。彼女への再評価は、けっきょくそうしたところから湧き起こってきたのだった。」

—『虫を描く女(ひと) 「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯 (NHK出版新書)』中野 京子著

0
2026年08月03日

Posted by ブクログ

300年以上も前にこのようなパイオニアの女性がいたことに驚かされる。しかも当時の昆虫学と絵画の両方を極限まで突き詰めて。
マリア・シビラ・メーリアンという女性の生涯、出生から子供時代、結婚、離婚、病気、母親、画家であり商人、そして南アメリカのスリナムへの冒険ともいえる挑戦はどこを切り取っても魅力があります。

17世紀ヨーロッパの「見たい、知りたい、集めたい」という空気と、この方の絵の凄さが伝わる素晴らしい内容でした。

0
2025年10月19日

Posted by ブクログ

マリア・シビラ・メーリアン。
ダブリン大学の蔵書に関する勉強中、不意に出会った女性。
ドイツではお札の顔にまでなっているとのことだが、日本ではこの手の分野は、ファーブルおじさん一択である。
ボタニカルアートが好きで、魅入られるまま関連書物を検索すると、なんと中野京子大先生の著作。読むしかなかった。

人生というものは、”そうなるようになっている“というのが私の持論である。マリア・シビラの人生も、幸、不幸を問わず、すべてのことが、少女を“虫を描く女”へと変容させていく。偶然に見せかけた神のお導きであろう。

マリア・シビラの人物像は、地味でひたむき。自分が信じたものに言葉少なく、それでも恐ろしいエネルギーで取り組んでいく。また不思議なのは、取り立てて美しくもなく、社交的でもないのに、センスが良い、大胆でビジネスも上手い。現代の昆虫図鑑は、彼女から大きく影響を受けたと言っても過言ではないほど、学者としても優れている。
父親の遺言、「おまえはメーリアンの娘」
を実証し切った。まさにイモムシ、実はアゲハチョウ!といった女性なのである。

彼女の作品の魅力は、中野先生が語るように、自然に対する素直な尊敬と畏怖の心である。この時代、花や虫を美しく描いた作品はいくらでもあった。だが、根本的な生物学的誤解があっただけでなく、寓意画のように人間の妙な概念を生物に塗り込めた、”生きているようで死んでいる”作品が多い。しかし、マリア・シビラの昆虫たちは画面上で、もそもそ動き、孵化や脱皮を乗り越える息吹を観者に与える。
花が開いているのに葉が枯れていたり、植物より圧倒的に繭玉が大きかったりと、1つの画面に見たものすべて織り込んで、生物の成り立ちをダイナミックに伝え切る作風も圧巻である。

さらに彼女の人生で面白いのは、バリバリのキャリアウーマン、でも働かない夫からDVを受け(たと思われ)、コミュニティに身を移す。しかもこの時代において離婚にまでこぎつける。妙に現代社会的なのである。
そして、さらには・・・。

それにしても時代を的確に読み手に伝える中野先生のテクニック、そして主人公の心の変遷を嗅ぎ取る力に、毎回、敬服する。客観的で出過ぎた姿勢がない、時代を映す額縁に徹している。
実はこの著作、大ヒット作「怖い絵」前のもの(復刻版)。
名画の歴史をヨーロッパの歴史とともに丹念に描き続ける中野先生、ある意味、あなたもメーリアン!

0
2025年08月08日

Posted by ブクログ

生まれや育ってきた環境、人間関係や時代背景などの描写もあり、そういった逆境の中でも強く生きる彼女の信念と好奇心の強さを感じた

0
2026年06月07日

Posted by ブクログ

文体は好みとはいえないものの、メーリアンに愛ある伝記で面白かった。メーリアンに限らず、19世紀以降「科学的に」断罪された人々が結構いるのかもなと思う。メーリアンの博物画を見てみたい

0
2026年03月28日

Posted by ブクログ

古くは『堤中納言物語』内の10話ある短編の一つとして、「虫めづる姫君」が紹介されている。化粧をすればそこそこなのに、、身なりに構わず昆虫に夢中である。ちょっかいをかけようとした若君は退散するが、西洋の虫めづる女性は結婚し、子供も産み、昆虫の絵を書くことを職業にさえした。しかしやはり、女性ならではの差別や理不尽とは無縁ではなかった。その女性とは、マリア・ジビーラ・メーリアンだ。

 メ―リアンは実家の姓だ。実家は銅版画で有名なメ―リアン一族で、マリアの父は版画工であり「メーリアン出版社」の経営者スイス人マテウス・メーリアンだ。マリアが生まれた3年後に死去し、亡くなる前に、マリアを指して「あれはメ―リアンの娘だ」と宣言するも、長男と母親の折り合いが悪く、あっけなくメ―リアン家を出されてしまう。オランダ人であった彼女の母は静物画家のヤーコブ・マレルと再婚。しかしマレルの死後、再び母親は婚家を追い出され、裁判沙汰になる。マリアもまた働かないぐうたらな夫を捨て、メ―リアン家で唯一マリアの面倒を見てくれた次兄カスパル・メーリアンの紹介で、ソンメルデイク家が所有するワルタ城のラバディ派のキリスト教コミューンに行く。近代の夜明け前、フンボルトやリンネ、ダーウィンより昔、昆虫学という学問が存在しない時代に、独学で研究を行う。メタモルフォーゼ(変態)の概念を絵によって表現し、大西洋を渡って南米を調査旅行。昆虫や植物の姿を生々しく描いた。彼女の絵は、かのピョートル大帝も好んで取り寄せたくらいである。次女夫妻はその縁でロシアに招かれた。「女性は引っ込んで家庭を守りなさい」と母親に何度言われても「いやでもあなた失敗してるからね…」とその逆を行き、成功した。但し金を持っていた割には無縁墓に葬られている。子孫に金を残すためと徹底している。

 2002年刊の『情熱の女流「昆虫画家」──メーリアン波乱万丈の生涯』復刊。

0
2025年08月09日

Posted by ブクログ

小さな虫の中に「神」を見た、植物画家で昆虫学者
マリア・シビラ・メーリアン(1647~1717)
ドイツ紙幣、500マルク札と切手の肖像画の女性。私は名前どころか、存在さえ知らなかった。

今でこそ女性が堂々と昆虫好きなどと言えるが、
昆虫どころか薬草を摘んで煮ていても怪しい女と
見られ、魔女だと密告されるような時代、
そんな時代に独学で虫を研究し、メタモルフォーゼ(変態)の概念を絵によって表現した、
マリア・シビラ・メーリアン、
彼女は52歳の時に、憧れの南米スリナムに娘と
共に渡る(あの時代にその歳で!)マラリアで
死にかけながらも精力的に研究を続け、昆虫や
植物の姿を生き生きと描写した。
恐ろしいほどのバイタリティだ。

彼女が描いた生命力に溢れた細密画の植物や
昆虫達を、本書の挿絵でぜひ見てもらいたい。

0
2025年07月24日

Posted by ブクログ

17世紀、ゴシック期のドイツに生まれたマリア・メーリアン。
彼女の虫を愛で、描き、探究する、波乱の、不屈の人生を
精密で美しい作品を添えて紹介する。
・はじめに
第一章 フランクフルト時代(~18歳)
               ――小さき虫に神が宿る
第二章 ニュルンベルク時代(~38歳)
             ――科学と芸術の幸福な融合
第三章 オランダ時代(~51歳)――繭の中で変化は起こる
第四章 スリナム時代(~54歳)――悦びの出帆
第五章 アムステルダムでの晩年(~69歳)
              ――不屈の魂は何度も甦る
・あとがき ・主要参考文献 ・復刊に際してのあとがき

「すごい博物画 歴史を作った大航海時代のアーティストたち」
デイビッド・アッテンボロー/著 グラフィック社で
初めてマリアの絵に出合い、驚き、興味を抱いて探した
「マリア・シビラ・メーリアン作品集 Butterflies」
グラフィック社で、彼女の作品を堪能していました。
で、更にマリアの人生が知りたいと思っていたところ、
復刊したのが、この人物伝でした。
著者ならではの、マリアの人生の歩みを辿りながら、
彼女の内面や心理を深く探ってゆく内容になっていました。
時は17世紀。メーリアン出版工房を営む父の後妻の娘に
産まれたマリアは、心身共に複雑な家族関係の中で育った。
だが彼女は虫に出会う。虫愛でる娘は、
蚕の飼育から虫のメタモルフォーゼを知る。
亡き父の出版工房と義父の絵画工房での学びも、彼女の基盤に。
結婚後、フランクフルトからニュルンベルクへ。
処女画集「花の本」出版。第二作目「虫の本」出版。
夫との別居でフランクフルトに戻り、
次兄の影響でオランダのラバディストのコミューンへ。
そこでスリナムの動物や昆虫の標本と出会う。
離婚と母の死からアムステルダムで再始動。
52歳で娘とスリナムに渡り、精力的にフィールドワークを
行うが、体調を崩して53歳でアムステルダムに戻る。
その成果は大センセーションを巻き起こす。
58歳で最高傑作の「スリナム本」を出版。
69歳での死。1771年頃までが最盛期で、その後18世紀に
批判が起こるが、20世紀半ばに再評価され、現代に至る。
昆虫学の先駆であり、研究者、画家。更に商人としての才。
バロック期、女性の第一の仕事が家事の時代に、
見たい・知りたい・集めたいをこれほどまでに追求した
生涯は、力強いものでした。そう、作品もインパクト抜群!
ただ、一度忘れ去られた彼女がどのように再評価されて
いったのかの言及が無かったのが、少し残念。

0
2025年06月04日

Posted by ブクログ

植物昆虫学者としてまた画家として素晴らしい業績を残し、また2人の女の母としての行動力など生命力に溢れたマリア・メリーアンの人生。
沢山の挿画ありその素晴らしさが伝わってきました。

0
2025年05月31日

Posted by ブクログ

葉を食べる芋虫が、蛹となり、蝶や蛾になり飛び立つ。メタモルフォーゼ。本能の赴くままに動いて、時が来て、変態する。偶然おかれた環境で、生き物がそれぞれ行動し、自然界を成り立たせている。…フランクフルトの版画工の後妻の子として生まれる。父の死後、実家を追い出され、母の再婚相手の元で暮らす。孤独な少女が出会ったミクロな世界。虫さえ追っていれば幸せだった。成長し結婚する。出産し離婚する。その後、スリナムを目指す。娘とのフィールドワーク。歴史に残る「虫の本」の出版。バロック期の女性。それぞれの中の1人として生きた。

0
2025年05月08日

Posted by ブクログ

売り文句として「昆虫学の先駆」、「リンネ、ダーウィンよりも昔に研究を行い~」という人物の伝記であり、「マリア・メーリアン」という名前は一切知らない状態で読み始めたが、非常に興味深く読むことができた。
まだ近代科学が発達する前で昆虫学もない(おそらく生物学もなく、博物学が大勢を占める)時代に、変態含めて自然観察を前提として書籍を作成した女性であり、その生涯の業績だけでなく、関係者や親類とのやり取り方から、時代の背景を知ることができ、興味深く読むことが出来た。
レーウェンフックとの関係とやり取りはちょっと笑ってしまった。

0
2025年05月04日

「趣味・実用」ランキング