あらすじ
なぜ、社員の心が離れていくのか?
28万部のベストセラー『不機嫌な職場』から17年。
ギスギスした感情もなければ、衝突や対立もない。
本音の見えない部下、次々と辞めていく優秀な若手、協力しようとしない線引き社員……
今、職場は静かに分断している。
「組織感情」を分析し続けてきた経営コンサルタントである著者が、職場で起きている問題を明らかにする。
「1on1といっても、本音は言えないし、気をつかうだけ」
「生産性を上げながら成長と挑戦っていうけど、どこにそんな余裕があるの?」
「最近の若手は何を考えているかわからない。下手なことを言って辞められても困る」
何かおかしい。何かが違う。
でも周囲がどう思っているかわからないし、声に出しても、何かが変わるとも思えない。
だから余計なことは言わないほうがいい。
あなたの会社でも同じようなことが起きていませんか?
ギスギスした職場で社員同士が協力できない状況になっていることをまとめた『不機嫌な職場』から17年。
状況が変わらない職場では、負の感情や不満の声すら出なくなっていった。
同じ職場の仲間なのに、仕事に、職場に、会社に対して、本当はどう思っているのかが見えなくなる。組織の中の感情が見えなくなってしまったのです。
気づくと、価値観や考え方の違いが見えない壁をつくり、互いに触れられない、向き合えない、対話ができない。
ギスギスした感情もなければ、衝突や対立もない。
互いの心の距離が離れ、「静かなる分断」が生まれているのです。
本書では、職場で起きている問題の構造を明らかにし、
人と組織の新しい関係をつくり、より良い未来を切り拓くための、
部下と上司、現場と経営、若手とベテラン、立場を超えた「対話」の方法を解説する。
わたしたちは今、人と組織の関係が大きく変わる分岐点にいます。
人と組織がともに支え合い、協力して未来を切り拓く関係になるのか、各々が自己利益を優先し互いをうまく利用するだけの関係になるのか。
見えない壁、静かなる分断の前で、あなたは、あなたの会社はどのような選択をするのかが問われているのです。
(「はじめに」より)
<目次>
第1章 仕事や会社から心が離れていませんか?
第2章 なぜ、心が離れていく会社になってしまったのか?
第3章 心が離れた会社ではダメのなのか?
第4章 静かなる分断を超える五つのカギ
第5章 静かなる分断を超える七つの対話
第6章 人と組織が一緒に変わる三つの革新
第7章 コミュニティシップ溢れる社会をつくる
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
ベストセラーである不機嫌な職場の著者の新作。
不機嫌な職場の時代はは悪い職場であるかどうかが分かりやすく、みえやすかった。
しかし、今は見えづらい。まずは自分が違和感を感じられるかどうかだと思う。
違和感を感じたことを仲間に伝えると意外とそう思っている人は多いのではないだろうか。
本当に今のままの組織で良いのか?本当に今のままの会社で良いのか?
そんな思いがある人が読むとたくさんの気づきがあるのではないだろうか。
Posted by ブクログ
著者自身の長年にわたる組織開発、人材開発に関するコンサルティング経験を踏まえつつ、
経営や職場環境に関する研究によって得られた数々の知見に基づきながら、
2025年3月現在における
日本の職場の現状と課題を紐解き、その解決策を経営者から管理職、一般社員まで職責に関わらず取り組むべきこと
として幅広く呼びかける一冊。
理論や研究成果を引用しつつも、
著者自身の反省や熱い思いがメッセージとして込められていて、とても人間性が感じられる。
語り口は温かく平易なので、
少なからず会社員経験や経営経験のある人なら誰でも読みやすく、
参考になる指摘が散りばめられた、示唆に富んだ内容になるのではないかと思う。
特に、金融資本一辺倒の経済からの脱却と、
かつて日本が営んでいた“人本主義”の再構築を
読者に強く呼びかけている。
必ずしも、あらゆるすべての会社員が、
著者が掲げるような「本音としては前向きに生きたい思いがあるが言い出せない」人だったり、
「本当は前向きだが世代間ギャップに戸惑う」人だとは限らないと個人的には思いました。
すべての人に必ずしも当てはまるわけではないものの、
仮にそうだとしても、モヤモヤした気持ちを抱えた会社勤めの人にとっては大いに参考になるアドバイスが満載の、心強い内容の本だと思います。
Posted by ブクログ
確かに。余計な雑談や踏み込んだ圧力や誘いは避け、発言に気をつけ、コンプラ重視でクリーンな職場になっていく。一方で能力を査定する人事面では最適解がないまま、クリーン化で牙を抜かれたベテラン層も、新しいツールに詳しいが変革の仕方を熟知せず身動き取れない若年層も、こうした軋轢は共通。あらゆる“自分以外の責任“を言い訳に心は静かに離れていく。
伊丹敬之氏の引用が多く、私は伊丹氏の本を好んで読むために本著の論理も共感しやすかった。だが、目新しさがないとも言える。伊丹氏の「人本主義」とは以下の内容。かつての日本企業における強みとして分析された。
ー 人が経済活動の最も本源的かつ希少な資源であり、その資源の提供者たちのネットワークのあり方を土台とする企業システムです。すなわち、「資」=カネとカネのつながり方にシステムの原理を求める「資本主義」ではなく、「人」=ヒトとヒトとのつながり方にシステムの原理を求める「人本主義」という独自性のある極めて競争力の高い企業システムをつくりだしたというのです。
ー 伊丹敬之名誉教授は『漂流する日本企業』(東洋経済新報社)の中で、大企業の設備投資額と配当額を比較しています。2001年時点では設備投資が20・4兆円、配当が3・1兆円と、設備投資額の方が7倍近く上回っていたものが、2021年には設備投資は21・2兆円、配当は22・2兆円と、配当額が設備投資額を上回るという逆転現象が起きています。会社の未来に投資をすることよりも、短期利益を求める株主に還元することを重視してきた結果だと指摘しています。さらに、設備投資額自体が20年間でほぼ同じであるということからも、経営者が新たなチャレンジすることに足踏みしていたことがわかります。
リチャード・ハックマンとグレッグ・オルダムによる職務特性理論について。自分が持つ多様なスキルや才能を活かせる仕事(技術多様性)、初めから終わりまで関われる仕事(タスク完結性)、他者の生活や社会に影響をもたらす重要な仕事(タスク重要性)、価値のある仕事をしているという実感(仕事の有意味感)、自分のやり方で進められる自由度が高い仕事(自律性)、結果がわかる仕事(フィードバック)、これらが満たされるほど、モチベーションが高まるという理論。
だが、モチベーションは高まらない。何が足りないのか。儀式による体験の共有、喜怒哀楽の感情の交流、それらにより醸成される(帰属意識)が足りないのではないか。分断というより、交わらぬ職場になりつつある。
Posted by ブクログ
私が働いている会社でも、まさに当てはまっていると感じてしまう。
当社は2019年に元々分散していたグループ会社7社が合併してできた会社だ。
それぞれの会社が、別々の事業を営んでいて、横の接点はほとんどなかった。
それが合併により、会社規模も大きくなったということだが、2019年4月に会社が合併にてスタート、同年11月に新本社へ移転し、社員のほとんどが一同に集まった。
お互いに初めましての人も多く、社員が一丸となって新会社のスタートを切ろうと年が明けた2020年、突然のコロナ禍である。
全員が出勤停止を余儀なくされ、テレワークが当たり前になってしまった。
当社の場合は、「静かに分断」ではなく、「最初から分断」であった。
もちろんテレワークの最中であっても、様々な取り組みをしたつもりだ。
横の連携を図るための人事施策も、様々なことを実施した。
運もよかったと思うが、コロナ禍中であっても、新入社員が年度で数名ずつ入社することもできた。
コロナ禍は2023年頃に明けて、リアルでの出社、リアルでの飲み会なども回帰していったが、一方でテレワークのメリットもすでに手放せない状態になっていたため、当社では現時点でも職場によってテレワークの運用を現場判断に任せている状況だ。
確かに、全員が決まった時間に強制的に満員電車に押し込まれて出社し、それで仕事して退社するというのは、それまでは当たり前に思っていたが、いかにも非効率だ。
通勤によって削られる体力を、仕事の生産に充てた方が、遥かに効率が良いのは間違いない。
そんな訳で、あの頃さかんに議論された「アフターコロナ」の世界が、まさに今の状況である。
フル出社に戻している企業もあるらしいが、当社の場合はそれを選択することは、ほぼないだろう。
(職場のローカルルールで「フル出社にした」という声は聞くことがある)
それでは、全てが順風満帆かというと、そんなことは決してない。
まさに本書のような静かな分断は、当社内でも確実に起こっている。
この何とも形容し難い雰囲気は何と表現すべきか。
一見すると楽しそうに働いているようにも感じる。
頑張っている人は頑張っているし、そうでない人はそれなりである。
これは出社だろうが、テレワークだろうが実は同じで、フル出社に戻したとしても、全員が頑張って仕事することなどはあり得ないだろう。
上司に見られているプレッシャーで、サボらないで働くということもあるかもしれないが、上司だって勤務時間中、メンバー全員を細かく監視している訳ではない。
生産性だけでいうと、出社とテレワークは差がないように感じてしまう。
しかし、「分断」という切り口で見れば、間違いなくテレワークは分断を助長している。
テレワークは仕事をしない口実にはならないが、敢えて会社や他人と接点を持ちたくない人にとっては、非常に都合がいい。
余計な同調圧力に屈しないし、自分のペースで仕事が出来るからだ。
しかし、この状況を俯瞰で見た場合は、本当に全体最適と言えるだろうか。
上司の目を気にするだけでなく、周囲がどういう仕事をしているか。
ただ忙しそうに働いているだけなのか、トラブルに対処しているのか。
ちょっとしたことでも、隣同士で確認し合って、ミスを防ぐということもあるはずだ。
先輩が後輩に仕事を教えるのは、テレワークの画面越しよりも、横並びで都度指示をした方が絶対に伝わる。
空気感や、ノンバーバル(非言語コミュニケーション)が、大事だというのは間違いないはずであるが、それを拒否する口実を与えてしまった。
当社の場合は、合併時から分断されていたのだが、それを何とか混ぜようとしても、なかなか混ざらないで今に至っている。
テレワークが全て悪とは思わないが、大きなきっかけとなったのは間違いない。
コロナ禍以後、濃密な人間関係を、職場内で作り上げることが、非常に難しくなっている。
「仕事なのだから、ドライな人間関係だけでよい」となれば、益々静かな分断の溝は深まっていくばかりだろう。
これからの時代は、一つの仕事であっても、益々複雑性が増して、難易度が格段に上がっていく。
そんな中で、他者と敢えて分断して、自分の世界でコツコツと目の前の仕事だけ行うのは、一見すると楽に見えるし、自己の心身を防衛するためにも必要なことだと思う。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。
それで果たして、個人の成長に繋がるのだろうか、と思ってしまう。
そういう人は「成長しなくてもよい」と開き直るパターンも多いのだが、それはそれで会社も困る訳である。
資本主義に身を置いている以上、成長は宿命とも言える。
もちろん、過度な拡大による地球環境の破壊など、資本主義の弊害が語られているのも事実。
次の時代に向けて、資本主義自体も変化していくことは間違いない。
それであれば尚更、自分で学習し、成長をしていくことは、個人の生き残り戦略としても、絶対に必要なことだと思うのだ。
スキルの獲得については、自分でコツコツと学習することもあり得ると思うが、違う視点や違う考え方に気付いたり、視野を広げたり、視座を高めたりするのは、他人と積極的に絡んでこそだと思う。
同質性の高い人と仲良くするよりも、これこそ様々な背景の人と接点を持った方がいい。
今で言うダイバーシティ(多様性)ということになるが、分断された職場内では、そもそも他者との接点が薄いのだから、多様も同質も関係なくなってしまう。
イノベーションを生み出すための多様性であれば、それこそお互いを理解するためにも、濃密な人間関係を構築しなければ、何も生まれるはずがない。
どうやったら本音で話し合えて、お互いに協力体制を築けるのか。
解決策は本書にも載っているが、これは理屈ではなく、無理矢理にでもメンバー同士を絡ませていくしかないと思う。
そのための出社、飲み会、1on1、会議での進行、プロジェクトへのアサイン、などなどだが、他にももっとあるのかもしれない。
人間はそもそも社会的な生き物である。
人は一人では生きられないはずで、分断された中で孤独に生きることは、結果的に個人にとって得なことは何もないはずである。
正直に言えば、これからも益々分断は起きていくだろう。
Web3とか、DAOとか、インターネットの世界は中央集権ではなく、分散化に向かう流れもある。
仕事も中央集権的に行うだけではなく、分散化して、プロジェクト単位で集合して解散してを繰り返すことが主流になっていくかもしれない。
そこで成長ができる人はいいのだが、何か違和感を感じてしまうのは、私が古い人間だからだろうか。
今でも確かに番組や映画制作の現場などは、プロジェクト単位にスタッフがアサインされて解散してという仕組みが成立している。
しかしそれは、アサインされるスタッフがプロフェッショナルである前提だ。
下っ端ADであっても、それはプロのADとして、プロジェクトに参加する訳である。
ADから各現場を経験して、自ら這い上がって、ディレクターやプロデューサーになっていく人も確かにいるだろう。
人材プールが多かった時代は、その方式が成立していたのかもしれない。
我々含めて、今の40〜50代は、そういう経験を含めて生き残ってきた訳だから、今の若者にもついついそういう部分を強要してしまいがちだ。
しかし、時代はとっくに変化してしまった。
これだけ労働人口が減っている中で、修業期間をサバイブさせるのは、なんとも効率が悪過ぎる。
それこそ業界存続の危機であるのだから、育成方法を変えていかざるを得ないはずだ。
これは番組制作現場に限らず、他の業界でも間違いなく起こっている事象だ。
なにせ人材プールが足りないのは、日本全国で起きていることだから。
プロジェクト単位に参加して、自ら学ぶ方式の弊害は他にもある。
文字通り「自己流」になってしまうことだ。
様々な現場を経験すれば、それだけ多様なやり方を学んでいけそうに思うが、一方で、その学び方自体が自己流になってしまう。
本来は学び方にも、メソッドがあるはずなのだ。
学校の授業とまでは言わないが、正しい学び方で順番に学ぶことは、品質を一定に保つ上では重要な要素である。
さらに言えば、例え自己流であっても、確かに番組作りのスキルは上達していくかもしれないが、その背景にある「文化」の継承までされるだろうか。
ある番組制作の背景には、成立の理由や歴史があり、そこで語られるべき物語(ナラティブ)が存在したりする。
これは企業も同じで、まさに企業文化として、ノンバーバルに暗黙知として確実に存在している。
本来は、これら企業文化、マインドこそ継承されなくてはいけない。
しかし、今の時代はこの文化の継承が非常に難しい。
今さら、深夜の居酒屋で武勇伝を語る時代じゃない。
それではどうすべきか。
一撃必勝の解決策は見当たらないのだが、とにかく分断を起こさせないような、社内外の人間関係を構築できるあらゆる仕組みを取り入れていくしかない。
本書内にもあるが、上司間が分断していたら、部下間は間違いなく分断する。
ここでも上司の役割が重要で、まさに管理職無理ゲーになりそうであるが、ここは踏ん張るしかない。
負担が増えない形で何ができるか。
人間関係の静かな分断は、企業文化、大局では日本文化の分断にも繋がりかねない話だ。
まずは社内でのアイディア出しから始めてみたいと思っている。
(2025/7/9水)
Posted by ブクログ
静かな分断はたしかに起きていると感じるが、その解決方法を行動に移すのはなかなかハードルが高い。
業務と並行してコミュニケーションをどう図るか課題。
Posted by ブクログ
後半に進むにつれて徐々に面白くなっていく珍しい本。
アフターコロナの現代社会では、繋がりを生むことが大事であり、どのように繋がりを生むべきなのかを考察している。
愛着や思い入れなどの個々人の心のなかから生まれる感情より、つながりから生まれる感情(エンゲージメント)に着目して、良い感情を生むべき。
タイトルにある「静かなる分断」とは、背景や前提が違う、価値観や考え方が異なる人材との対話を避け、距離をおいている状態である。
▼静かなる分断のループ
1)感情 背景や前提が違う、価値観や考え方が違う、わからない
2)行動 余計なことを言えない、下手に聞けない、踏み込めない
3)結果 表面的なやりとり、本質的な対話はしない
4)認知 理解し合えない相手とは下手に関わらないほうがよい。さらに心が離れていく
静かなる分断は、閉じた働き方を生み、負の感情の連鎖をおこす。仕事の楽しさや喜び、分かち合いの機会を奪う。
仲間や職場の対話を重んじて、繋がりをつくることで、未来へ前進していくことができる。
▼繋がりは「縦」を意識して気をつけるべぉ
まず理解したいのは、エンゲージメントで重要なのは、「縦」の関係である。
さらにいえば、管理職とその上司との分断が、エンゲージメントを著しく下げる。つまり、部長クラスや役員クラスとの間に分断は起こりやすい。
分断が起これば、関わり方が変わり、考え方が変わり、行動が変わり、成果はでなくなる。※成功の循環モデル
良い結果を生むためには、良い関係性が必要であり、そのためには良い感情が必要である。
良い感情を生むためには、「相手を知ること」「お互いのナラティブを理解すること」「溝を渡れる橋を設計できるようになること」が重要。
見えない分断を放置して、本音で向き合うことを避けると、つながりが失われていく。まずは、自己を開示し、相手を知ることから始める。
▼繋がるために理解しておくべきこと
・自分の眼鏡を外して俯瞰する。主観やナラティブを脇におく。
・人の心理と特性を把握しておく。※心理学的な要素
・相手が今どのような環境、状況にいるのか理解して、想像する。この際も自分の眼鏡を外して考える。
・議論ではなく、まずは対話する。対話は多様性を広げ、お互いの意見の重ねられるところを探すイメージ。
・自分の当たり前を押し付けない
・完全一致ではなく、重ね合わせ続ける。すべて共感ではなく、重なる部分を見出す
▼強い繋がりを生むための対話
・未来を問い直す
・会社を問い直す
・個人を問い直す
前提として、良い感情を埋める関係性=信頼の質が高い人材同士ができる「強い繋がりを生むための対話」である。
関係の質が低い状態で、レベルの高い対話を行っても、上位の一方的な押し付けに聞こえるし、本気で回答もしてもらえない。
変えるのは、人ではなく、関係性である。
会社や組織を見直すとしたら、関係性に注目するのも面白いかもしれない。