あらすじ
殺人事件の被害者遺族と死刑囚の家族がそれぞれの体験を語り合う旅,「ジャーニー・オブ・ホープ」.娘を殺されたアン,息子が死刑囚となったバーバラ,妻を殺され殺人の容疑をかけられたジョージなど,この旅に参加した人びとの心の葛藤を丹念なインタビューで綴る.単行本刊行後の参加者たちのその後のエピソードも収録.
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Posted by ブクログ
先日約3年ぶりの死刑執行があり、色々と考えるところがあって積読していた本書を読んだ。
被害者遺族と死刑囚家族が共に死刑反対を訴えてアメリカ各地を巡る「ジャーニー」の取り組みは日本ではなかなか考えられない。すごい。
それを見つけて密着取材している筆者もすごい。
被害者遺族と死刑囚家族それぞれの立場から死刑についてじっくり考えることができた。
死刑を支える言説というものはいくつかある。
犯罪の抑止になる
被害者感情に報いる
など。
このうち、「犯罪の抑止になる」ことは全く根拠がないことは明白。死刑になる人たちは死刑になることをわかってやっているのであって望んでいる人すらいる。
「死刑になるから犯罪を踏みとどまった」人の話なんて聞いたことはなく、死刑に抑止力はない。
難しいのは被害者感情。
私が知っている遺族で、加害者を許せていたり交流していたりする人はいない。
この本に登場する遺族と何が違うのだろうと考えてみると、加害者側の謝罪や反省の有無なのかな、と思った(加害者がわからない未解決事件の遺族もいたが)。
自分の苦しみや悲しみの原因になった相手に、きちんとそれを受け止める姿勢がある。それが被害者の回復に必要で、加害者がたまたまそれができる相手だったら、被害者は許せることができ、死刑についても反対の立場をとれるようになる。
そういうことなのではないか。
私が知っている遺族は、「加害者から反省や謝罪がない」と怒っている人たちばかり。本書のように反省して遺族にアプローチしている加害者はみたことがない(もちろん少ないながらいるのだろうけど)。
加害者の中にもこうした違いがあるのはどうしてなのだろう?と強く疑問に思う。
他にも被害者遺族が死刑に反対できる理由について、元々の価値観や「死刑されても楽にならないと気づいた」とか色々あると思うけど、とはいえ加害者側の反省は不可欠だと思う。
加害者がきちんと罪と向き合い反省できる→被害者の感情が和らぎ、回復につながる、という過程があって初めて「被害者遺族のために死刑は必要」という言説を乗り越えることができるのかなと思った。
アメリカで死刑執行がお祭り騒ぎになり、被害者とは何の関係もない賛成派が「殺せ!殺せ!」と叫んでいるという描写は、本当におぞましくてゾッとした。
なぜそんなことができるのか私には全くもって理解できない。