あらすじ
湾岸戦争をアメリカのTV放送だけで追ってみる、という試みから始まった本書は、アメリカを突き動かす英語という言葉の解明へと焦点を移していく。母国語によって人は規定され、社会は言葉によって成立する。たえず外部を取りこみ攻撃し提案していく動詞中心の英語に対し、日本語とは自分を中心とした利害の調整にかまける言葉だと著者は結論付ける。言語にはそれぞれ美点と歪みがある。日本語のなかで生きる私たちは日本語という「歪み」を通してしか考えられない。「戦後」という時空間は、実はその「歪み」そのものなのだ。ではその歪みから自由になることはできるのだろうか。「歪み」を熟知したうえで「歪み」を駆使すれば、日本語の外へでていくことはできる、と著者は書く。英語と日本語への熟考が、やがて読み手を世界の認識の根源まで導く鮮やかな思考の書。 1997年は加藤典洋の『敗戦後論』と片岡義男のこの本の出現で画期的な年として記憶されることになるだろうと思った。(高橋源一郎『退屈な読書』より)
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Posted by ブクログ
圧倒的に読むのに時間がかかってしまった。638ページ。読み切った自分を褒めたい。この本を最初から最後まで読んだ人はそう多くないだろうと確信する。評論というには主観的で、エッセイというには客観的だが、バイリンガルならではの独特のリズムの日本語で、「日本語」と「日本人」を斬る。が、あまりに痛烈すぎて少し読み進めるのが嫌だというレビューさえありました…。
人がいわゆる社会人としてまといつけざるを得ない日常の現実味のようなものを、出来るだけそぎ落とした状態で自分を人に提示したいとき、人は自分のことを「私」と呼ぶ。自分がどんな人だか出来るだけわからなくするときの言葉が、「私」という呼び方だ。
人間は言葉だ。人間は言葉によって生きていく。
といったあたりが印象的でした。前者は「なるほど!」という意味で。後者は言い切り方の潔さ、という点で。
Posted by ブクログ
日本語や日本人の思考についての悪口多し。
日本人のことを彼らと言ってみたり、自身はまるで日本人じゃないかのような書き方に少し不快感を持った。
とはいえ、あたっている部分も大いにあるのだろう。
確かに日本人の考え方には問題点は多くあると思う。
日本語は主観的であることも、英語がそうではないことも納得している。
それにしてもマイナス点ばかりが羅列され続けて、読んでいて少し辛かった。
日本語という言語について語っているので難しいのかもしれないが、その日本語を使い、思考している人々に対する提言があってもよかったと思う。日本語のマイナス点をよく理解し、そのうえでどのようにしたらいいのかということに言及してほしかった。読んでいる方としては、ダメ出しだけされて終わった感じがして、おじさんの愚痴を聞かされた感が強く残った。
それから何度も同じことが繰り返されていて、それも辟易した理由の一つだ。