【感想・ネタバレ】戻れないけど、生きるのだ 男らしさのゆくえのレビュー

あらすじ

ひとりの青年が、とまどい、ゆらぎ、つまずきながら、夫になり、父になる成長物語。その率直さに胸を衝かれる。男性が本書から学ぶことは多いだろう。——上野千鶴子

このひとの書くものはブレない。それはたぶん、自分の立ち位置と付与された力を厳しすぎるくらいに点検することを忘れないからだ。——信田さよ子

フェミニズムから受け取った重たい宿題。これからの〈俺たち〉へ。

男らしさや男性性にまつわる当事者研究として各メディアで話題となった『さよなら、俺たち』に続く最新ジェンダー・エッセイ集。ジェンダーの先にある人間の生き方、幸福を探求する。

人生の価値は、人生の豊かさは、どれだけ何かに心を揺さぶられたかでおそらく決まる。ジェンダーとは生き方や在り方に直結する問題で、私たちの言動や感受性のOS(オペレーション・システム)として機能しているものだ。そこに変化を加えようとすれば、当然ながらいろんなところがギリギリ軋む。そのストレスや不快感はバカにならず、反動的なエネルギーが生じたって不思議ではない。だからこそ思う。俺たちは頭で考えてるだけでは変われない。そのためには何かに圧倒され、言葉を失い、放心状態になるような体験を重ねることが重要で、内省も責任も、ケアも覚悟も、抵抗も希望も、きっとそういう時間から生まれるはずだ。もちろん本やドラマだけじゃない。恋愛にも、子育てにも、仕事にも、旅にも、生活にも、友達とのお茶にも、そんな感動は宿っている。「昔のほうがよかった」「ずいぶん息苦しい時代になった」「あの頃に帰りたい」って気持ちは誰の中にもあると思うけど、進んでしまった時間を、変化してしまったものを、元に戻すことはもうできない。それでも毎日は続くし、何かに心を震わせながら生きていくことは全然できる。さよならした時間に戻ることはできないけれど、男らしさの危機が叫ばれるこの時代を、俺たちはこれからも生きるのだ。
(「戻れないけど、生きるのだ」)

1 〈男〉とフェミニズム──シスターフッドの外側で
2 我は、おじさん──男性優位社会と中年世代の責任
3 被害と加害と恥と傷──泣いてる〈俺〉を抱きしめて
4 平成から遠く離れて──生産性の呪いと自己責任社会
5 家父長制への抵抗──結婚と家族、ジェンダーの呪縛
6 これからの〈俺たち〉へ──beingの肯定

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Posted by ブクログ

ネタバレ

独身未婚中年男性(アロマンティックだがアセクシャルではない)の自分が読んでみました。

これは清田さんが悪いわけではないのですが、決定的に読者としての自分と清田さんの文章や考え方が合わないんだろうなということで星3つというか、例によって読み終わってモヤモヤしました。
ただ、結局この手の話は結論が出ないので、読者をモヤモヤさせることが目的である部分もあるはずなので、そういう意味では成功しているのかもしれません。
でもたぶん本当は、自分みたいなマイノリティがモヤモヤしたところで世間的には意味はなく、いわゆるマジョリティ男性がモヤモヤしてくれないと意味がないのですが、おそらくそういう人たちはこの本を読みません(笑)。

以前、論文かと思って清田さんの本を読んだらエッセイ、面食らったのですが、今回はエッセイとして読み始めたのでその点は問題なし。
でも、つくづく、清田さん論文書いてくれないかなと思う。

遠野遙さんの『破局』の紹介が面白かったです。読んでみようと思いました。
いろいろコンプラが厳しくなった昨今、男性によるあからさまな女性蔑視は減ってきているものの、内心本音はそういう人というのは減らないだろうなと思いました。

カツアゲを拒否したら殴られて、という話。自分は高校時代、カツアゲにあって2000円ほど取られましたが(ちょっと年上っぽい若い男2人に絡まれた)、これを読んで、2000円渡して怪我を免れたのは正解だったのかもしれないと30年以上前の話を思い出しました(親には、その行動は正解、怪我なくてよかったと言われた。自分としては、自分で稼いだわけではない、親からもらっているお金をそんな悪い連中に持って行かれるのはすごく悔しかったのだけれど)。

『射精責任』の本の話。自分は幸い就業していますが、妻子を養えるだけの給与をもらったことは一度もないので、避妊しない性交渉をしたことはありません。一方で、清田さんがこの本を書くにあたり取材した男性の中に「「ナマでさせてくれる=俺の子どもを妊娠する覚悟があるという認識で、そのことに興奮していた」と語ってくれた人もいた」といいます(p.124)。これは自分も思うので、結局、自分はそういう覚悟を持ってくれるように女性に思わせることができなかった、という烙印を押されたんだなと思うことがよくあります。それがゆえに、特に結婚難の時代にあっては、男にとって子どもがいるということは、そうしたハードルを超えた男の勲章となる時代となったのであり、結婚できない男性は辛い時代となったと日々痛感します。
 「家父長制に傷つき、家父長制にしがみつく男たち」(p.198)という項目がありましたが、自分はまさに家父長制に傷つきつつ家父長制にしがみつく男なんだと思います。

 「俺たちは「お茶」することができるだろうか?」(p.220)に関しては、これは割と自分はできています。類は友を呼ぶのか、酒がなくても大丈夫(もしくはお酒がダメ)な友達が多く、これは昔からやっています。若いときはお酒飲むのが楽しかったのですが(でも自分はお酒は弱い)、30歳頃から、お酒ある必要がないねと友人たちとお茶をすることも多くなりました。
 が、社会人になってから、そういう間柄になる「友人」を作るのは難しいかなと思いました。大手フィットネスジムに5年ほど通っていますが、ジムでの友人は未だにできません。これ、女性だとジムでの友達ができるようなんですが(もっとも、表面上の付き合いも多い)、中年男性どうしが友達になることはよほどのこと、つまり相当なマッチョかコミュ力おばけでないと、なることはない気がします。

 「もう誰かと恋愛することはないと思うけれど」(p.276)というのは、ある意味すごく羨ましいです。独身未婚中年男性の自分はまだ結婚を諦めてはいないのですが、稼得能力がないので、見合い結婚は難しいです。最初、見合い結婚できるかと思っていたのですが、こんな自分でも相手に愛着がないと、もしものときに相手のケアができないということに気づいて愕然としました。そこで、女性を好きになろうと努めてはいますが、日本では恋愛は若者の特権で、自分も基本的に中年の色恋は気持ち悪いと思っていた側面があり、中年男性は妻子を持って中性的になり安定している、という像を強力に内面化しているので、年齢不相応なことをしなくてはならないのがなかなか辛かったりします。「「俺じゃないんだな」という苦しみ」(p.279)もわりと最近体験して辛かったです。結局自分からすると、清田さんは妻子持ちのマイノリティ・強者男性・勝ち組なので、自分とはわかりあえないんだろうなと思いました・・・。

 自分は早く「ときめきを諦めたい」(p.297)です。

 なんだかんだいって清田さんの本に、期待せずとも新刊読んでしまうので、清田信者なのかもしれません(笑)。

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2025年09月10日

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