あらすじ
朝幕対立の時代に即位した青年天皇は、徳川和子を妃に迎え学問と芸道を究める。
幕府の莫大な資金を引き出しながら宮中の諸儀式を復させ、修学院離宮を造営する。
〈葵〉の権力から〈菊〉の威厳を巧みに守りつつ、自ら宮中サロンを主宰。池坊専好、千宗旦、本阿弥光悦らを輩出した、雅と風流の寛永文化を花開かせた帝の、波瀾の生涯を描く評伝の決定版!
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Posted by ブクログ
家康による全国統一が成った時期に、父後陽成天皇の譲位により1611(慶長16)年16歳にて即位、1629(寛永6)年突然譲位し院に、1680(延宝8)年崩御。徳川秀忠の息女和子の入内問題、紫衣事件など朝幕の対立・軋轢の中で苦労した天皇というイメージだった。
本書はそうした事項についても筆を割いているが、主たる問題関心は、林家辰三郎氏が唱えた、「寛永文化論」、すなわち、後水尾院の時代を文化史的に、桃山文化とも元禄文化とも性格の異なる寛永文化と捉える考え方にある。
後水尾院自身若い頃から学問に励んでいたとのことだが、さらに院の主宰するサロンでの和歌、立花、茶などの催しの様子や様々な文化人等との交わりが描かれる。そして修学院離宮の造営。30年ほど前に一度参観したことがあるのだが、本書を読んでまた行ってみたくなった。