【感想・ネタバレ】父のビスコのレビュー

あらすじ

第73回読売文学賞【随筆・紀行】受賞作待望の文庫化!

父の死。倉敷の時間。白木蓮の咲く家。

三世代の記憶を紡ぐ初めての自伝的随筆集

「金平糖が海を渡り、四人きょうだいが赤い金平糖の取り合いっこをする日が来ていなければ、いまの自分は存在していない。もし、祖父が戦地から帰還できなかったら。もし、岡山大空襲の朝、祖母ときょうだいたちがはぐれたままだったら。もし、父の目前に落ちた射撃弾の位置がずれていたら。『もし』の連打が、私という一個の人間の存在を激しく揺さぶってくる」(『母の金平糖』より)

遠い時間の中に分け入り、生まれ育った倉敷という土地の食と風土と家族について向きあった著者の記念碑的作品。

〈目次より〉
父のどんぐり
母の金平糖
風呂とみかん
冬の鉄棒
白木蓮の家
ピンクの「つ」
ばらばらのすし
「悲しくてやりきれない」
眠狂四郎とコロッケ
流れない川
民藝ととんかつ
祖父の水筒

ほか二十四編

「旅館くらしき」創業者による幻の名随筆を同時収録。

※この作品は過去に単行本として配信されていた『父のビスコ』の文庫版となります。

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ

読んでいる間中、自分の故郷、両親、祖父母のことなどが次々思い浮かんできた。最後の「場所」「父のビスコ」では涙があふれてきた。
今年の春、母が逝き、父が施設で暮らすという状況の中で読んだものだから、このように振り返ってくれる娘がいて、なんとお幸せなご両親だろうと思った。平松さんと自分を比べても仕方がないのだが、東京にお住まいなのに岡山のご両親のお世話を十分にされて、自分のことを「ダメな娘」と反省する。お元気そうだったお母様もお亡くなりになったと最後に知り、私と父の時間もそんなにはないと、当たり前なことに改めて気付いた。

文庫の最後の木内昇さんの解説以上のことは何も書けそうにない(当たり前か)。すべて同意。文章を書く仕事の人はやっぱりすごいな(もちろん含平松さん)。

しみじみ余韻に浸っているのだが。
今度銀座に行ったら芹そばを食べ、新宿に行ったらとんかつ茶漬けを食べ、東京駅に行ったら鶏めし弁当を買うぞ!と決めている。

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2025年11月24日

Posted by ブクログ

平松さんのお父さんは 昭和3年生まれ
うちの母も 昭和3年生まれ

平松さんは 私より4才若いけど
子供の頃の話しを読むと
あ、そうそう!
という気分になりました。

アミの塩辛
そういえば 最近食べてないなあ!
アミの塩辛が歯にあたる感じを読んで
今 食べた感じがしました。

わたなべのジュースのもと
もう口の中で蘇りました。
あれは色つきチクロだったのか!

チクロっていっても 今のひとは知らないでしょうね。

祖父の水筒 という章読んで
寺の僧侶にも赤紙がきたんだ!
その頃の人は 驚かなかったんでしょうが
なんか ビックリします。
じゃあ 亡くなった人 誰が弔うんだ!
ぶじ帰ってきたお祖父さんのところへ お祖母さんが走っていって 水筒の中身をあけ そこにお酒を注いだ。
というの読んだら
なんか お祖母さん(その頃は若いけど)の愛情を感じました。お清めもあるんだろうけど
この時代の女の人だなあ!

父のビスコも
父親を見送ったわたしが読むと グッと来ます。
同じく時代を生きてる人のエッセイって いいもんてわすね。

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2025年11月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

平松さんのエッセイは、初読み。食品・食事がらみで多くの本が出ていることを知る。併読している幸田文の小説もそうだが、父との思いでを魅力的なエピソードと文体で描いていくエッセイは自分の好みぴったりだった。入院中のエピソードである表題作は、素敵なエッセイの中でも白眉で、穏やかに死期を迎えた父と娘の一コマが見事に切り抜かれる。鰻とビスコのくだりに心が震えた。平松さんの他の本はどうなのだろうか、気になっている。

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2025年08月18日

Posted by ブクログ

平松洋子さんの本は人生のカンフル剤として定期的に読んでいるので本作は、おや⁉と思った。しゃっきりスッキリど根性みたいなあのテイストと違う。軽やかさより、重たさのある読後感。でもこの重たさが必要な内容なので、ズーンと受け止めた。このテイストでもカンフル剤。読後は、前向いてこう、と腹から感じる。好きです、平松洋子さん。

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2025年02月04日

Posted by ブクログ

食エッセイの名手による家族と郷里・倉敷の話。中でも表題作が白眉。だいぶ状況は違うけど、自分が家族を亡くして間がなかったというタイミングだったから、ということもあるかもしれないけれど、「ビスコが食べたい」に笑いながら目頭が熱くなった。

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2025年08月31日

Posted by ブクログ

どうしてか心が和む文章。
ここの生活には目新しいものがないほうがいいと思うとる。
知りたいことがまだたくさんある。だから死ぬわけにはいかん。自分もこうなりたい。
柔らかい宝石を食べているようだ。

無名の人の言葉にも胸を打たれる

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2025年05月28日

Posted by ブクログ

しみじみといいエッセイだった。
著者のバッググランドが少しわかったようなファミリーヒストリーの要素のある名著。
著者がなんとなく向田邦子の匂いを感じるのは、感性とやっぱ昭和をガッツリ生きた時代背景もあるのかな。
サクマの缶入りドロップス。懐かしすぎる。
ハッカでるとがっかりしてね、また戻しちゃったりして^^;
粉末のみかんジュースもあったなぁ。なかなか溶けなくてね。
お父さんが最期に自分の意志で食べたのがビスコ。
いろいろ聞きたいことをもっと聞いておけばと著者は言うけれど、最期の最期にお父さんの願いを叶えてあげたのだから、ほんとに幸せなことだと思う。
あの赤い箱、ビスコを見るたびに思い出すね、きっと。

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2025年04月10日

Posted by ブクログ

生まれ、育った地での思い出を抱きながら、やがてその地を離れ、一旦は新たな土地に順応する為に故郷と疎遠になりかける。
やがて或る事をきっかけに或いは故郷に帰り、或いは新たな土地で思いを馳せる(著者にとっての或る事とは親の病と死であり、災害であり、一冊の本との出会いであった)
 
近代の日本、特に戦後の日本で育った一定数以上の人々に流れる通奏低音は本書にも横たわっているように思えた。
 
大垣書店イオンモールKYOTO店にて購入。

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2025年01月27日

Posted by ブクログ

平松洋子『父のビスコ』小学館文庫。

第73回読売文学賞受賞作。

父の死と家族で過ごした倉敷の時間。親子三世代の記憶を紡ぐ初めての自伝的随筆集。

平松洋子と言えば食のエッセイのイメージが強いが、このようなしっとりとしたエッセイも良いものだ。前半は面白いのだが、『「旅館くらしき」のこと』から最後までは断片的に倉敷や家族のことが描かれるだけで、ちょっとがっかりした。


『父のどんぐり』。平松洋子の昭和3年産まれの父親の食の記憶。先日、亡くなった自分の父親も昭和6年産まれであるが、戦中戦後に少年時代を過ごした人たちは食べるために毎日が必死であったと聞く。自分の父親はその頃の飢餓の記憶の反動で、草大福や饅頭、かりん糖といった甘い物やカツ丼、天丼などの高カロリー、高コレステロールの食べ物に異常に執着し、身体を壊した。

『母の金平糖』。サクマの缶入りドロップスと祖父が戦地から持ち帰った金平糖の話。戦時中は金平糖も贅沢品であっただろう。本作にも書いてあったが、自分もサクマの缶入りドロップスのハッカ味が出るとブルーになる。金平糖の不思議な形状は可愛らしくもあり、あの刺々は口に入れた時に金平糖の存在を感じる。

『風呂とみかん』。温泉でみかんを食べるとは。みかん風呂とは知らなかった。

『冬の鉄棒』。銀座の蕎麦屋で芹そばを待つ間に耳にした夫婦の会話。芹を1把使った芹そばはさぞや美味いだろう。年末になると芹の値段が上がる。先日、買い物に行った産直でも1把348円だった。

『白木蓮の家』。桜が咲き誇る前に白い花を付ける白木蓮の家に一家で住んでいた時の思い出。

『ピンクの「つ」』。韓国の南大門市場で見付けたガラス瓶に入ったアミの塩辛。韓国の氷点下20度の耳を切るような寒さが紹介される。自分は盛岡産まれの盛岡育ちだったが、昔は氷点下13度とか16度とか普通だった。氷点下10度以下となると確かに耳が千切れるような寒さだ。そんな中、自転車やバイクで高校や大学に通っていた。

『ばらばらのすし』。確かに小学校の運動会で万国旗を目にすることが無くなった。それどころか、今の小学校では徒競走で順位を着けないことが主流なのだとか。当たり前だったことが無くなることの寂しさよ。

『ふ、ぷかり』。麩の話。板麩は山形だけで無く、岩手でも食べられる。何しろ板麩はすき焼きには欠かせない食材の一つであるのだ。宮城の登米地方で食べられる油麩は油麩丼で有名だ。親子丼やカツ丼とも違うコクのある油麩丼は本当に美味い。

『やっぱり牡蠣めし』。牡蠣は火を通した方が味が濃くなり、美味い。焼き牡蠣も美味いが、牡蠣めしも捨て難い。今年は海水温が高く、三陸地方の牡蠣は不漁どころか壊滅的らしい。市場には出回らない唐桑の牡蠣が食べたいものだ。

『「悲しくてやりきれない」』。きゅうりもみは夏の定番料理である。都会の方には馴染みの無い料理かも知れないが、シンプルながら美味い。

『「四季よ志」のこと』。倉敷の実家の隣りにあった『四季よ志』と谷崎潤一郎の『美食倶楽部』を重ね見る幼い頃の記憶。幼い頃の食の記憶は大人になっても色褪せない。

『饅頭の夢』。作中で紹介される内田百閒の『饅頭を食ふ夢』が良い。

『おじいさんのコペパン』。作中に盛岡の福田パンが登場する。盛岡市民にとってコペパンと言えば福田パンなのだ。何しろ福田パンは盛岡市内の殆どの高校で昼休みに訪問販売を行なっていた。家から持参した弁当は2時限目の終わりの休み時間に食べ、昼休みは1個100円の福田パンのジャムバターやあんバターなどを2つ食べるのが常だった。福田パンの本店に行けば、ジャムやバターの他にポテトサラダやナポリタン、焼きそば、コンビーフなどを挟んでくれた。福田パンは今や盛岡市内の何か所かに支店を出し、岩手県内の殆どのスーパーで販売しているので、有難味が薄れた。そして、自分の高校時代よりコペパンは小さくなり、モッチリ感は無くなり、フワっとした普通のパンに変わってしまった。

『すいんきょがでた』。楳図かずおの『へび少女』『赤んぼ少女』と同じレベルの恐怖が『すいんきょ』らしい。自分も楳図かずおの数々の恐怖漫画は未だに記憶に残っている。

『眠狂四郎とコロッケ』。昔の映画館は良かった。入れ替え制など無く、一度入れば最後まで居ても良かった。東映まんがまつりの後に任侠映画。子供は何本立てだかのまんがまつりが限界で、同行していた父親が楽しみにしていた任侠映画は冒頭を見ただけで帰宅したものだ。

『インスタント時代』。十円噴水ジュースとは懐かしい。渡辺ジュースの素は名前だけ聞いたことがある。

『ショーケン 一九七一』。1971年に誕生したカップヌードルは冬に通っていたスケート場にあった自販機でよく食べていた。当時は自販機価格で100円。スケート場の入場料と貸靴料、カップヌードル代で200円持っていれば1日一杯楽しめた。

『ミノムシ、蓑虫』。襤褸を纏ったような蓑虫を小学校の貧乏な同級生に重ね合わせるとは随分と悪趣味なエッセイだと思った。

『「旅館くらしき」のこと』。毛色が変わり、旅館くらしきをテーマにしたエッセイである。

『倉敷川 流れるまゝに』。(畠山繁子著より) 先の『「旅館くらしき」のこと』とセットで掲載。

『流れない川』。2018年の西日本豪雨が倉敷を襲う。

『民藝ととんかつ』。とんかつ茶漬とは一体如何なる物なのか。

『祖父の水筒』。住職を務めた祖父にまで赤紙が届く。

『場所』。祖父が住職を務めた寺の話。

『父のビスコ』。表題作。読書家の父親の死。父親が最後に食べたいと言ったのは……

『支流 あとがきに代えて』。

本体価格730円
★★★★

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2024年12月31日

Posted by ブクログ

平松さんのエッセイが何気に好きだ。ちょうどいい塩梅なんだ。いつもの感覚で手に取ったら、趣が異なることに戸惑った。食べ物のことも書かれてはいるが、どちらかというと父母と故郷の思いが詰まっていた。それはどこか石牟礼道子さんのエッセイを思い出させるもので、故郷という故郷を持たない身には憧れに似た感情を抱く。一方で戦火をくぐり抜けたお父様に対する想いが切なかった。もし平松さんが息子であったなら。そんなことを思う。

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2025年03月09日

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