あらすじ
若くして夫と死別したアンは愛情を注いで一人娘セアラを育ててきた。だが再婚問題を機に二人の関係に亀裂が。貞淑だった母は享楽的な生活を送るようになり、誤った結婚を選択した娘は麻薬と官能に溺れていく。深い愛情で結ばれていた母娘に何が起きたのか? 微妙な女性心理を繊細に描く。
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依存と書いてあったが、共依存というものなのだろうか。
麻薬依存を断つことができたところで、母親への依存も断ち切れた。
母娘の依存を断ち切る過程がさらっと書かれているのが、物足りなく感じた。
再読したい。
春にして君を離れが気に入ったので、こちらも読んでみた。
今回は意外にハッピーエンド。
という事は、春にしてもハッピーエンドなのかもしれない。
NHKBS番組の作家達の感想を見てからだったので、人は簡単に変われないと勝手に私がラストを決めつけてしまっていたのかも。
殺人はおきなくても、普通にその辺にいる人達だけで充分怖い。
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ローラが!ローラが!かっこいいっ!!
んー、なんとも言えないこの家族関係。
ぼくも、自分の親子関係と照らし合わせて読んでいました。
この親子がしていることを普段何気なくしている人っていますよね、ぼくはわざとすることがありますが。
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アガサクリスティの3つの面がみごとに3人の女性として描かれているように思われる。
まず、未亡人の母親。
再婚をめぐる心の葛藤。
死別ではない、アガサクリスティからは、一番遠い性格のように見受けられる。
未亡人の母親の娘。
わがままだけど、反面大人びた考えの持ち主。
最後は、幸せを選択できるところは、一番アガサクリスティに似ているかもしれない。
未亡人の母親の友人。
著名人で、仕事上はアガサクリスティに一番近い役回り。
考え方、発言も、公式のアガサクリスティの言いたいことを代弁している。
それでも、未亡人の母親の性格の中に、ひょっとしたらアガサクリスティらしさが
織り込まれているような気がしたのは、設定のうまさだろうか、表現のうまさだろうか。
自分が選ぶアガサクリスティのベスト10に入れたい。
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ノン・ミステリーシリーズ。
母と娘という、一種異様な独特の関係を描いた作品。
憎むのも、煩わしく思うのも、心配するのも、反発するのも、愛しているからなんだと強く思いました。
読んでいる間、苦しめられ、振り回され、のたうちまわり、ラストは涙が止まりませんでした。
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メアリ・ウェストマコット名義のクリスティの作品は、読み返すほどに味が出てきます。読むたびに新たな発見があり、そこから自分の考え方が分かってくるというか。最初に読んだころから随分違う印象を持つようになりました。母と娘、愛しているからこそどんな犠牲も払う。それを決めたのは自分なのに、相手を恨めしく思ってしまう瞬間があるのです。その気持ちが段々胸に溜まっていって、自分でも訳のわからないモヤモヤになって・・・。ミステリの女王は人間観察の女王でもありますね。イーディスやデーム・ローラの台詞を読んでいると、目の前にクリスティがいたら心の奥底まで見抜かれそうな気がしてきます。
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クリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で書いた一冊。この作品群はとにかく登場人物の内面が他作品以上に深く描かれているのが特徴。
夫に先立たれたアンは、娘のセアラに無償の愛を注いでいた。あるとき、セアラが三週間のスイス旅行に出掛けている間にアンは自分と同じく配偶者に先立たれた悲しみを背負って生きるリチャードと出会い、たちまち恋に落ちる。しかしスイスから帰ってきたセアラはリチャードを毛嫌いし、二人の結婚を認めようとしない。リチャードはリチャードで、そんな態度を取る近い将来継娘になるはずのセアラを拒絶する。
母親には女性としての幸せを求めることは許されないのかと苦悩するアン、突然現れた継父に「お母さんの幸せを考えてあげないといけない」と説教され反発するセアラ、継娘に拒絶され、アンが間を取り持ってくれるわけでもなく苛立ちを募らせるリチャード。
それぞれの苦しい胸の内がこれでもかと深掘りされている。
リチャードとセアラの板挟みになったアンはリチャードとの結婚を諦め、ついに壊れてしまう。何もかもがどうでもよくなり、ただ目の前の快楽に溺れるアンがあまりにも哀しい。
アンが結婚を諦めざるを得ないほどセアラはリチャードを嫌っていたのに、当のセアラはあっという間にリチャードのことなど忘れてしまう。また、アンがリチャードとの結婚を考えていた時は頑なに家を出ることを拒んだのに、騒動が過ぎれば家を出たいと言い出す始末。セアラへの不満が募るのに、「娘だから」「愛しているから」と自分の本心に蓋をし続けたアンの気持ちを考えると苦しくなる。もちろんセアラも含め登場人物の誰もがそれぞれに葛藤を抱えながら生きているが、それでもやはりアンがあまりにも不憫。そのため、アンがセアラにぶつけた憎しみの言葉はそこまで残酷とは思えない。
ただその部分を深く考えてみると、セアラがリチャードに厳しく当たったのは、「自分の娘にはまともな人を結婚相手に選んで欲しい」と考える世の母親に対する強烈なカウンターにも思える。
最終的に母娘は和解し、今まで何もかも母や他人のせいにばかりして生きてきたセアラが地に足をつけしっかり生きていこうと決意するので、その点は救いかもしれない。家族とは言えそれぞれが自我を持った一人の人間。甘えから、家族であればどんなきつい言葉をぶつけても大丈夫というわけでは決してない。
何をやらせても駄目なジェリーが母娘の関係の在り方も含め意外に常識人なのと、クリスティー作品の中に出てくるある種の秩序を形成する役割を担うローラとイーディスのキャラクターがとても魅力的。
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【ノンシリーズ】
シングルマザーのアンは人生の全てを注いで一人娘を育てきた。しかしアンの再婚問題を機に母と娘の関係が変わってくる…。
「母親の目線」で読むか、「娘の目線」で読むかによって思う事も変わってくる。
自分も娘がいる母親だし、かつては娘だった時代もあるので、両方の気持ちがよくわかるので面白い。
再婚を決めた男性のことをどう思うか?
娘が好きな男性を親として許せるかどうか?
この2点は読者それぞれの価値観によって違うと思う。
古い友達と長年仕えるメイド、この2人の頼れる老女が精神安定剤みたいで安心する。
クリスティー自身もこの作品と同じように、娘がいて14歳も年下の男性と再婚してるので、ここまで繊細に描けるのではないかと思った。
読後感は『春にして君を離れ』と同じ。
読み終わった後に考えさせられる本が好きなので、こういうのも大好き。
いつものミステリーっぽくない、こういう作品もあるからクリスティーは飽きないんだよなぁ。
Posted by ブクログ
これはまた、『春にして君を離れ』とは違う意味で痛い本でした。
何事もなければ胸を張って言えるのですよ、「自分のことより子どもが大事」。
でも、つかず離れずを装っていながら、実は互いに相手の存在に頼っていた母と娘のどちらかが、違う世界に踏み出そうとしたとき、自分のもとに引き留めようとしたくなるのは自然な流れ。
だけどお互いに自覚がないから、自分のためではなく娘(母)のために、何かをしてあげている気になっている。
寂しさや絶望をその瞳に浮かべている相手のことなんて、見もしない。
”家の整頓、使い走り、(中略)そうしたこまごまとした用事をアンは当然のことのように忠実に果たした。娘は両親に仕えるために生きているので、その逆ではなかった……(中略)子どもが親に仕えようが、親が子どもに仕えようが――人間対人間の根本的関係にはいささかの変わりもない。”
だが、アンが娘のために再婚を諦めた途端、娘のことがかわいいけれども憎い存在になったっていうのはわかる。
何といってもセアラはまだ19歳。
大人ぶったって大人ではない、とアンは突っぱねるべきだったけど、現代っ子の娘とおとなしい母親は往々にして親が意見を引っ込めがちだ。
だけど、再婚したいほど好きな男性を娘のためにあきらめた…娘のせいであきらめざるを得なかった…というのは、本人が思うよりも傷が深い。
セアラはセアラで、なぜ母が自分を憎んでいるかのように接するのかが理解できない。
自分が結婚をぶち壊したこと、当初こそいいことをしたと得意になっていたが、すぐにそんな事すら忘れてしまう。
母に見捨てられたかわいそうな私は、誰かと結婚でもしてこの家を出て行かなければならない。
拗れるにいだけ拗れた母と娘の仲だけど、一度腹を割ってぶつかったらあら不思議。
憎しみはどこへやら。
だって何があっても、娘は娘だもの。
めっちゃ刺さるわ、この話。
でも、今どきは親子の間とはいえ、一方的に仕えるのは無理筋だと思う。
Posted by ブクログ
アガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコットの名で書いた母と娘の物語。
娘の名付け親であり、母の友人でもあるローラの言葉が良い。淡々と語るその内容は、アガサ・クリスティーの考えそのものなんじゃないかしら。
人間は結局のところ、自分自身しか道連れはいない、女は中年から開花する、仕事は自分自身から逃避する有効な手立てだということ、一つ一つが身に染みる。
Posted by ブクログ
親は子供にうるさく思われるくらいがいいのかもと思った。
放っておいても取り返しのつかないことは
実はそんなには無くって大体上手くいくものなのかもしれないが、
行動することで回避できるならそれに越したことはない。
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私も娘がおりますが、一人娘でなくてよかった。
母と娘一対一だと密着ぶりが半端ないだろうと予測できます。
憎みあうときは際限なく、かといって娘は娘、やはり可愛いのです。
Posted by ブクログ
若くして夫を亡くし育てた一人娘も19歳になった。そこに再婚してもいいかと思う男性が現れた。ところが娘と男性はそりが合わない。娘は全力で男性を排除しようとする。男性には娘と自分とどちらを択るのか?と選択を迫られ、娘を選ぶ。まるで一人息子を争う嫁姑のような会話が展開される。
また女性が間にはさまり対立が異性という点では婿取り娘対実母と婿。これも間にはさまる娘は大変。自分がこの立場なので、対立相手は娘ではなく実母だが、この小説の未亡人アンが娘と愛する男との間にはさまり神経が摩耗する会話が実にリアルに響いてきて、読むのがつらくなるほどだ。
娘は母親が相手の男性を好きな事に気づかないし気づいてやる余裕も無い、という描き方だが19歳ならそうなのかなあ。あるいはクリスティ自身の再婚あたりの実情はどうだったのか。
娘は娘、A Daughter's a Daughter's 娘のために自分のしたいことを犠牲にした と思い娘のあやうげな結婚にも親身にならない。娘は相談した時否定して欲しかった、と最後に言っているが、修羅場とはこういうことか。
1952発表
2004.8.31発行 1018.7.25第3刷