あらすじ
難病で視覚を失った著者が、見えなくなって初めて見えてきた世界とは。ユーモアたっぷりに綴られる体験。健常者と視覚障がい者がともに歩む社会を願う著者の心あたたまるエッセイ。
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Posted by ブクログ
風になってください
~視覚障害者からのメッセージ
著者 松永信也
法藏館
2004年11月10日発行
杉本彩がラジオで推薦していたので読んでみました。
著者は、この本を出した時、46才か47才。書き出しに「何も見えなくなってもう五年かな」とあります。鹿児島出身で、京都の大学を出て、今も京都在住。
視覚障害者ならではの視点で書いた、優しさとユーモアのある詩のようなエッセイ集。
1章の最初のエッセイ(「なぜサングラスをかけてるの?」)で、ある小学校へ行って話をした時の話題がある。なぜ視覚障害者はよくサングラスをかけているかという話題になり、最初に手をあげた女の子が「カッコいいから」と言ったので、著者は「それは僕だけ」と答えたそうな。それをきっかけに、いろんな答が出てきたとのこと。最初の女の子、なかなかいい。
「林檎」より
白杖は希望すると支給されるが、1度給付を受けると2年間は権利がない。新品の値段は5000円ぐらい。
自転車とぶつかるなどして、折れることがある。修理するか、不可能なら買い換える。ぶつかった人に、ちゃんと説明し、半分だけだしてもらう。全額補償するという人もいるが、それを安易に受けると理屈が通らない。故意に折られたり、点字ブロックの移動中にぶつかったりした場合を除いて。
「道先案内演奏会」より
団地の途中、道がゆるやかにカーブしていて、最大の難所。しかし、秋は歩きやすい。道の両側で虫たちが演奏会をやってくれているから。夜の空港の滑走路のライトのように歩く道を教えてくれる。
「目くらさん」より
バスに乗り、よろけながら進むと白杖が何かにあたった。すみませんと言い、何にあたったのか確認しようとしたが分からない。反応がないので他人に迷惑をかけてないと判断して前に移動すると、数人の笑い声が起き「びっくりしたなあ」「ほんまに見えてへんのかなあ」と。彼女たちの持ち物にあたったようだ。しかし、そのぐらいではくじけない。
すると、突然、老人の手が著者を引っ張った。「目くらさん、こっちがあいてるよ」。「目くらさん」は差別用語として姿を消しつつあるが、その日の著者にとって人のぬくもりのする、血の流れた言葉だった。
「空いている席」より
バスや電車で空席がどうかが分からないのに苦労する。ある時、空席と思って座るとおばあちゃんの膝の上だった。素っ頓狂な声を上げられ、ひたすら謝った。申し訳なく、恥ずかしくて、次で降りた。以後、乗客から教えられない限り立ったままでいる。最近は女性専用車両が登場したらしいが、ドアなどにシールが貼ってあるのかな。乗り込んだだけで悲鳴でも上げられたら・・・
「新緑」より
新緑の匂いがして、心の中を、さわやかな薫風が吹き抜けた。新緑が頭の中一杯にひろがった。「目には青葉・・・」よし、今夜は、鰹のタタキを食べよう。
(気持ち、分かるなあ。私もそういうパターンでよく一杯やる)
「木漏れ日」より
いつもの道で、ふと左の耳を春が触った。木漏れ日のぬくもりが足を止めた。
(きれいな表現だなあ)
「喫茶店」より
知らない街角で入った喫茶店。高齢のウエイトレスが著者の励ましになるような話題を矢継ぎ早に浴びせた。無言だったマスターがぽつり、「汚いものが、見えなくていいかもしれない」。奇妙な説得力を感じた。選挙カーが走り抜ける。大きなボリューム。あの白い手袋は、何を隠しているんだろうか。苦笑い。
「ポケットティッシュ」より
見えている頃はあれだけ不自由しなかったポケットティッシュ、見えなくなってからは売店で買うこともしばしば。もらえなくなったのは、たぶん、渡す方が白杖を使っている人に声をかけるのをためらうのだろうと、著者は分析。広告が読めない人に渡しても無駄というのもあるかも、とも。たまにもらうと、「ありがとう」と何度も。ティッシュ渡して、そんなにお礼を言われるのも珍しいだろう。
著者は、これを書いた理由について、「見えない僕が、再度社会参加しようとすると、それはとても大変なことだと知りました」とし、「僕は『見えない』ということが、正確に知られていないことに一番の原因があると思うようになりました」と書いています。
この本を読んで、それは実感しました。女性専用車両と点字で書いてあるのかどうか、の下りなど、我々では気づかないほんのちょっとしたことが実に多いことを知りました。
最近、「2」が出版されたとのこと。
そちらも、早速、予約しました。