【感想・ネタバレ】記憶の切繪図 ──七十五年の回想のレビュー

あらすじ

300年以上の超難問であった「フェルマーの最終定理」が1995年A.ワイルズによって解決された。その際多大な貢献をしたのが「志村予想」であった。志村多様体論や高次虚数乗法論で知られる世界的数学者・志村五郎の自伝的随想。幼少期、学生時代、プリンストンでの研究生活、さまざまな時代の追想を交え75年の人生におけるエピソードを時に辛辣に、時に滋味深く綴る。特にアンドレ・ヴェイユ、カール・ジーゲル等、数学者との交流と評価、「志村予想」への自身唯一の言及は興味深い。

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Posted by ブクログ

 "〈数学者〉の回想"だからではなく、維新から戦前の"東京"に関する回顧があるから、読むことにしたもの。

 著者が幼い頃住んだ旧牛込区若松町周辺は土地勘もあるので、著者の回想に出てくる場所は何となく懐かしい。
 著者は1930年(昭和5年)生まれ。戦前の中流家庭に生まれ育った訳だが、学校の授業や先生の教育方法、学友との交際などが具体的に描かれる。また空襲で多数の焼死体を見るなど死と隣り合わせの時代であったが、そんな中で映画館で映画を見た記憶などが語られる。

 戦後、一高、東大で、本格的に数学を学べると期待した著者であったが、その期待は裏切られる。その時代、時代で教えるべき意味のあることが教えられていない、との不満である。この辺り、門外漢の自分には分からないが、とにかく新しい数学の世界を切り拓こうとしていた著者からは、そう見えたのだろうなあとは思う。

 また、この時代、左翼の勢力が強い時代であったが、朝鮮戦争における北朝鮮、ソ連、あるいはそれら諸国のシンパ層に対して歯に衣着せぬ批判をしている。


 後半、いよいよ研究者としての時代になるが、モジュラー関数体、アーベル多様体等、自分には内容が全く分からない世界の話になるので、専門的部分は飛ばして、パリ留学やプリンストンでの生活などを興味深く読んだとだけ記そう。

 

 数学の世界とは高等学校ですっかり縁が切れたので、世界的数学者と言われる著者のことも全く知らなかった。感じたのは、人物評の厳しさ。学者としてそれなりの人なのだろうなと思われる人たちに対して、分かっていない、小人等々の評価がなされる。人物としてはそうなのかもしれないが、詳しい理由が書かれていないので何とも言えないが、正直、敬して遠ざけたいお人、という感想。

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2021年10月03日

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