あらすじ
1955年にトランジスタラジオをソニーが商用化して以降、日本の半導体産業は次第に地力をつけ、80年代末には世界トップの市場シェアを獲得した。だがその後、日米半導体摩擦の影響を受け弱体化が始まり、摩擦が収まった後も日本半導体の市場シェアの低落傾向は続いて今日に至っている。この栄枯盛衰のドラマの裏側には技術者たちの奮戦があった。日本の「ミスター半導体」と呼ばれ、生涯を半導体とともに歩んできたレジェンド技術者が語る、業界の内側から見た日本の半導体開発70年史。
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Posted by ブクログ
日本半導体製造業における平成以降の凋落は、日米半導体協定、リーマン・ショック、あるいは PC や iPhone のような機器の普及(日本のメーカーは顧客・製品志向が強く、汎用品に的を絞りきれなかった一方、世界市場的には CPU/SoC が全盛となり、メモリの重要が爆発的に増加した)を見通せなかったことで、単純に説明されることがあるが、事実はそんなに単純なものではなく、それらを乗り越えたり、見通したりていてもなお、幾多の困難があったことがわかる。
Posted by ブクログ
日立からソニーに渡り、半導体の黎明期から第一線で活躍、日米半導体協定にも関わった著者による、日立半導体物語。
リアルで面白かったが、専門用語の説明が全くなく、ちょっと興味を持って読んだ人には全く分からないと思う。CMOSって何?NMOSって何?
そもそもマイコンすら、40年前にはパソコンと同義で使われてた言葉なんで、日立がマイコンで頑張ったと言われたって、FMVって日立だっけ?と訳のわからんことを一瞬思ったくらい。
米国との切った張った。
あいつらって、利害が合う間はべったりだが、反すると一転、叩き潰しにくる。ルールによる平等が好きだが、そのルールを自分たちに有利に持っていくのが、ルールだと思ってるから面倒臭い。
今後の、日本半導体復興への提言は、どうでも良いと思った。こういう、頑張って来た人の本て最後はこうなる。
こんなとこで言ってもしょうがないし、誰がやんのよとしか思えなく。
ヤンないからこうなったんでしょ。