あらすじ
欧米のように血みどろの戦争と迫害の中から生み出されたのではなく、いわば上から降ってきた「信教の自由」を、日本人はいかに受け止め、その法規定の解釈・運用や改正をめぐり議論してきたのか。宗教者・知識人らの論争から、その底流にある「信教の自由」をめぐる思想の変転を跡づける。さらに、オウム真理教事件を契機とする宗教法人法改正にあたって論議となった創価学会と政治との関係、安倍晋三元首相銃撃事件後の旧統一教会の被害者救済などの政策動向などを踏まえて、今後の「信教の自由」のあるべき姿について提言する。
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Posted by ブクログ
適当に取った本ではあるが、読みやすく宗教に関する法律の歴史を概観できる良書であった。
当時、神社は宗教とは考えないで法律を作成、通そうとした為宗教界から大きく反対された。
太平洋戦争後は、かつての神社非宗教論によって国民を戦いへ扇動しているとの見方により、神社も宗教とし、また完全なる信教の自由が確立された。
行政に依存しても行けないし、屈しても行けない。
民間の組織を宗教連盟で立ち上げるべきであると筆者は考える。
当時、貴族院で否決されてなかったら当時の仏教はかなり取り締まりを受けていただろうなと思った。
後、否決されても内容を変え、何度も法案を提出されるところに、宗教の力が国によっては邪魔になりうると改めて思った。
宗教の盛衰は、放置させるべし。
廃れていく宗教は、その宗教が悪い。
おそらくこれから新しく保護が厚くなることは無い。
世間の目も厳しい。だからこそ、意識を高く持たなければいけないと感じた。
Posted by ブクログ
明治時代以前の日本では、領土的野心や権力維持の観点から、国家が思想や信仰を強く統制していた。信教の自由は基本的に認められておらず、特に幕末期にはキリスト教徒への弾圧が顕著であった。そして、明治時代に入り、憲法上は信教の自由が謳われるようになったものの、実際には天皇を神格化する国家神道が事実上の「国教」として機能し、他の信仰や思想を抑圧する傾向が強まっていった。つまり、形式的な信教の自由と、実質的な思想の強制とが共存する矛盾した体制が構築され、天皇主義は国家の統合装置としてますます加速していったのである。
他方で、明治期には、西洋文明の急速な発展の根幹にはキリスト教的価値観や宗教観があるのではないかとする見解も現れはじめた。特に、キリスト教が理性・秩序・倫理を重んじる「科学的宗教」であるという評価のもとで、その研究が進められた。この背景には、西洋における近代科学の発展が、キリスト教世界において生まれたことへの模倣の意識がある。
また、宗教を単なる信仰の対象ではなく、文明を形作る制度・精神の基盤として捉える視点も芽生え、キリスト教に内在する道徳性や教育機能が、西洋近代を可能にした要因と理解されるようになった。
その後、近代以降の日本社会では、宗教が自由であるべきという理念と、現実における宗教の危険性(特に暴力や国家への敵対性)との間で、緊張関係が存在してきた。この問題は、宗教の自由が近代国家の基本的権利として尊重されるべきである一方で、「いかなる宗教でも無制限に認められるのか」という問いを常に伴う。
宗教がもたらす暴力は、必ずしも物理的・肉体的なものだけではない。精神的な暴力、すなわち、洗脳、恐怖支配、罪悪感の植え付け、自己否定の強要、社会的孤立の強制などは、宗教の構造的性質として内包される問題。
で、「信教の自由が良いか」VS「信教は制限する方が良いか」、これは民主主義社会においての‟社会的選択“になってくる。今もって、信教は当然ながら日本国憲法の範囲で一定程度は制限するべきだし、本来は、監査のようなものがあった方が良いと思う。本書では、そのような信教の自由についてを考えさせられる。
Posted by ブクログ
明治維新開国後、海外と対等に付き合うため、「信教の自由」を憲法に取り入れることは必須であった。
国が定める「信教の自由」は「政教分離」とも密接に関わる。
なぜなら。
「宗教」が排他的だから。
と見た。
ぶっちゃけて、既得権とか勢力拡大という利権をどう確保するかに汲汲としてた界隈の様子が透ける。
国家を現実的、科学的、実証的、現代的に運営しようとすれば、それは、宗教とは相容れない。
自らの真理と正義を最優先にする、特に一神教は、国家とギシギシせずにはいられない。過去、仏教は上手く国家とやってたし、そもそも日本国は天皇陛下が最強の祭司なのであって。
社会の論理とは違う、自治と権利を認めろよ、なんて、奈良以前から全然変わってないよなあと思う。
信教の自由を認めるなんて当たり前のことって、西洋の先人達が、宗教が違えば悪魔だから殺さないとダメだっていう、野蛮な理論を否定することから始まった訳でしょ。正当な宗教も、信仰の邪教もないよ。
残念ながら。宗教は過去からずーっと、数えきれない人民を虐殺して来ました。
科学的啓蒙から、隔離して参りました。
まあ、本音と建前のせめぎ合い。