【感想・ネタバレ】一場の夢と消えのレビュー

あらすじ

『曾根崎心中』『国性爺合戦』など、
数多の名作を生んだ日本史上最高のストーリーテラー・近松門左衛門。
創作に生涯を賭した感動の物語。

越前の武家に生まれた杉森信盛は浪人をして、京に上っていた。
後の大劇作家は京の都で魅力的な役者や女たちと出会い、
いつしか芸の道を歩み出すことに。
竹本義太夫や坂田藤十郎との出会いのなかで
浄瑠璃・歌舞伎に作品を提供するようになり大当たりを出すと、
「近松門左衛門」の名が次第に轟きはじめる。
その頃、大坂で世間を賑わせた心中事件が。事件に触発されて筆を走らせ、
『曽根崎心中』という題で幕の開いた舞台は、異例の大入りを見せるのだが……。


書くことの愉悦と苦悩、男女の業、家族の絆、芸能の栄枯盛衰と自らの老いと死――
芸に生きる者たちの境地を克明に描き切った、近松小説の決定版。

絶賛、続々!

〈実〉を緻密に積み上げ、〈虚〉の世界から情を迸らせる。
読みながら、何度もぞくりとした。
本作は、虚実皮膜のギリギリを攻める近松の浄瑠璃と地続きにある。
――平松洋子

生真面目で切なくて、色っぽい。虚と実の間に立ち昇る、
近松の真実(リアル)。圧巻の芸道小説だ。
――朝井まかて

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Posted by ブクログ

近松門左衛門の生涯を描く時代小説。江戸時代は歌舞伎や浄瑠璃がこれほど身近にあったのか、と驚き、また、羨ましかった。
杉浦信盛(後の近松)は浄瑠璃の発展とともに自身でも驚くような速さで売れっ子になっていく。それは、若い頃から古典文学や歴史への造詣が深く、また、考え方が柔軟で、切り替えが早い、ポジティブシンキングの人だった事が大きいように思った。
この作者はまるで近松が目の前にいるかのように生き生きと描いていて、読んでいて楽しかった。火事になればあっという間にすべて焼けてしまう江戸時代。何度も大火に遭うが、簡単に建てられる芝居小屋はしぶとくすばやく再開するところも、あの時代の人々のバイタリティの表れのようで、好ましかった。
人生はいろいろなんだと思える。面白かった。

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2025年12月09日

Posted by ブクログ

近松門左衛門の生涯。地に足ついた語り口。今もなお名前と作品名と功績が称えられている超ビッグネームなお方だけど、本名の信盛目線で一緒に時間を進んでいけるのがなんとも楽しい。

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2025年10月28日

Posted by ブクログ

近松門左衛門の一代記。歌舞伎と浄瑠璃の黎明期の様子がわかり、ファン必見と思う。
当時の情勢に鑑みながら、有名な物語の生まれる背景や、話の筋をわかりやすく説明してくれて、またその時代の人の心情、京都と大阪の違いなんかもめっちゃ面白かった。今に通じるエンタメの創作の苦労とか、政治に翻弄される町人とか、どこを切り取っても面白かった!

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2025年07月15日

Posted by ブクログ

近松門左衛門の無名時代からに加え、京、大阪を舞台に「曽根崎心中」で不動の地位を得ても更に創作活動に励み、「国性爺合戦」で頂きに立った事実を元にした小説。家族とのやりとり、政治的な圧力、艶やかな女性との関わりなど、人間としての近松が面白かった。

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2024年11月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

松井今朝子さんは6冊目かな。今回もおもしろかった。
近松門左衛門は不勉強で「曽根崎心中」を書いた人くらいしか知らないのが自分の残念なところ。
でも十分に楽しめたし、読み応えもありました。
当時の人々の暮らしや政情なども描かれていて、なるほどなあと思うところもあった。
恵次とのエピソードが妙に楽しかったな。ヤキモキしながらも最後はほっこり。

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2024年11月10日

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近松門左衛門になるまでが
やた冗長だがクリエイターと
しての成長や、
周囲の舞台人たちの群像劇が
現代的で面白い!

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2025年03月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

一場の夢と消え

著者:松井今朝子
発行:2024年8月30日
文藝春秋
初出:「オール讀物」2023年3・4月号~2024年3・4月号

もう4年も前になるが、同じ著者による「江戸の夢びらき」という小説で、初代市川團十郎の誕生と、二代目團十郎が一人前になっていく様子が描かれた。史実に基づいたフィクションとのことわりがあり、團十郎の評伝的な小説でもあった。

今回は、舞台が関西、京と大坂である。主人公は近松門左衛門こと、杉森信盛。

越前の武士の子として生まれた信盛が、京でどのようにして浄瑠璃や歌舞伎の脚本家となっていったのか、そして、大坂で曽根崎心中を大ヒットさせて不動の地位を築いた経緯、国性爺合戦という史上稀に見るロングラン作品が誕生した様子など、華やかに描かれている。今回は史実に基づいたフィクション、といった注意書きは出ていないが、この著者のことだろうから、かなり史実には忠実なのだろう。ただし、評伝と違って小説なので、華やかさがあるし、いきいきとした歴史ワールドが読んでいる時に脳内に広がるのである。

とはいえ、著者は早稲田の修士まで終えて松竹経由で脚本家になった実力派作家。直木賞作家でもあり、語彙も豊富で歴史や文芸の知識も豊富。言葉も古めかしいものにこだわる部分もあり、読みやすい文体だが言葉は平易でもない。辞書が必要な部分も結構ある。

物語は「春永」「夏安吾(げあんご)」「出来秋」「斑雪(むらゆき)」という季節に喩えた4章からなる。

春永は、武家に生まれた信盛が浪人中、近江の近松(ごんしょう)寺で暮らしている時、三井寺を訪ねてきた公家の正親町公通(おおぎまちきんみち)に出会うところから始まる。公通は権大納言・実豊の長男。2人は会ったのは初めてではなかったので、公通も覚えてはいた。

後日、信盛は上京して公通を訪ねると、雑用のようなことをするなかで、公通に代わって浄瑠璃を案文してほしいと頼まれる。浄瑠璃は聞いたことがあるが、もちろん書いたことはない。しかし、持ち前のセンスでなんとか書くと、評判は上々だった。「春永」では、そんな浪人、下積みから、なんとか浄瑠璃を書いて生活が出来るようになるまでを描いている。もちろん、浄瑠璃語りなど前面に出る人間には比べものにならないほどの薄給ではあった。なお、公通の妾腹の妹である弁の君について侍女をしていた清滝(多岐)と結婚することになった。

「夏安吾」では、浄瑠璃や歌舞伎作者として生活できるようになった信盛が、大坂・道頓堀の竹本座のために書いた「曾根崎心中」が出来上がるまでを描く。

信盛は、京で仕事をするなか、興行師・竹屋庄兵衛(竹庄)のもとで義太夫語りをする、宇治嘉太夫と出会う。宇治座の座本である。そこには、若手の有望株である天王寺五郎兵衛もいる。なめらかな嘉太夫に対し、声量があり一語一語力強くはっきりと語る五郎兵衛は、のちに竹本義太夫となり、竹本座を率いることになる。

浄瑠璃を書いて暮らすなか、京の歌舞伎役者、坂田藤十郎の演技に惚れ込み、歌舞伎の作者にもなる信盛。彼が初めてだということがいくつもあるが、その一つに、かぶき芝居で初めて素人から狂言作者になった、というものがある。
・素人から初めて歌舞伎の狂言作者に
・浄瑠璃で初めて正本に作者の名を記した
・初めて心中の浄瑠璃を書いた
・「国性爺合戦」で初めて足かけ3年の興行をした

そして、都万太夫が興行師をする都万太夫座の座付きとして、坂田藤十郎(座本)の芝居を書くことになった。彼の年俸は800両と噂された。一方、都万太夫座から信盛がもらう給金は銀1貫目。16、17両だった。

そんななか、大坂で旗揚げしていた竹本座から呼び出され、大坂へ。竹庄から窮状を訴えられた。苦しいらしい。大坂では心中騒ぎでもちきり。そこでこれを浄瑠璃にした。歌舞伎では、朝一番の上演で主演目の付録として「切り狂言」を最後に上演していた。これにならって、浄瑠璃にも「切り浄瑠璃」をしようとアイデアを出し、切り浄瑠璃「曾根崎心中」を上演。辰松八郎兵衛の人形が大いに客席を沸かせるなか、大ヒットとなった。

「出来秋」では、浄瑠璃の正本は、それまで作者の名前など一切入らなかったのが、近松門左衛門の名前が入ることになった話からスタート。この名をいれることで本がよく売れる。京の出版元も、大坂の高麗橋に出店を出すことに。しかし、偽本も出回り始めていた。なお、近松門左衛門のペンネームは、近江の近松寺にいたことにちなむ。

浄瑠璃も、歌舞伎に倣って11月に顔見世をすることになった。信盛も大坂の高津に居を移した。とはいえ、妻の多岐は生まれ育った京を離れがたく、単身赴任状態に。道頓堀のいろは茶屋(48軒あったためこう呼ばれた)の一軒、「ほ」の奈加といい仲になる。

竹本座は、本書きでもある竹田出雲のもと、新生竹本座となり、「顔見世浄瑠璃」を打つ。宝永2(1705)年11月初日、「用明天王職人鑑」がヒット。
♪沖に恋路のまだいろは船、惚れてほの字の帆が見ゆる・・・
しかし、宝永地震と津波(4年)があり、道頓堀も流される。片岡仁左衛門座「萬宝千箱玉」が大当たり、さらに富士山が噴火。

新生竹本座は、竹田出雲の希望に基づき、信盛が書き上げた「国性爺合戦」が爆発的なヒット。なんと足かけ3年、17ヶ月門ロングランになった。

「斑雪」では、すっかり大物になった信盛が活躍し、歳を取って体が衰えていく様子を描く。
天満の網島で起きた心中事件を題材にした「心中天網島」は、享保5(1720)年の師走に初日。「曾根崎心中」ほどではないが、ヒットがじわじわと続いた。今回は熱気で盛り上がるというより、見た人々がその筋書きについていろいろ議論をするような反響があった。

ただ、曾根崎心中のときもそうだったが、心中ものはお上がいい顔をしない。また、医師をしている兄からも、人の命を救う仕事をしている身として、心中が流行でもしたら困ると批判を受けていた。

本天満町(北組)で起きた「油屋の女房殺し」を題材にした浄瑠璃を書く。下手人は近所の油屋の次男坊。「女殺油地獄」は享保6(1721)年に幕を開けた。初日から大入りが続いたが、長持ちはしなかった。

心中ものが、歌舞伎、浄瑠璃、絵草子に至るまで禁止となった。

信盛も晩年を迎え、もう書かない方針だったが、最後にひと踏ん張りとばかり、「関八州繋馬」を書き上げた。享保9(1724)年である。舞台奥の襖がぱっと開くと、一面に築山の絵を描いた簾が現れる。極めて細い葦ばかりで組まれた簾の裏に、ぽつぽつと火が灯り、それが徐々に「大」の門司を形成しる仕掛けがあった。竹田出雲が考えたからくりだった。これも当たった。しかし、享保9年3月21日、大坂は大家に見舞われ、大坂三郷の605町のうち408町に燃え広がる惨事となった。「関八州」で「大」を燃やしたから大坂が燃えたんだ、と陰口を叩く者もいた。

体ばかりではなく、意識も衰えた信盛は、昔のことを思い出す。いい思い出、苦労した話。最初は堺で「徒然草」を語る大道芸・・・

「春宵一刻直千金」(しゅんしょういっこくあたいせんきん)の言葉。この名句を詠んだのは、蘇東坡(そ・とうば)。その蘇東坡が、同じく年老いた婦人から、富貴と名声に包まれたあなたの人生も所詮は「一場(いちじょう)の春夢」に過ぎぬと言い放たれる。

信盛は、それを思い浮かべていた。

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2024年09月13日

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