あらすじ
IT社会の“タブー”に踏み込む!
自殺願望の書き込みは、公序良俗に反するのか――ある遺族から寄せられたメールをきっかけに、著者は“死への記述”が綴られた143のサイトを調査する。ネット上に蓄積された「苦悩のデジタル遺品」は、自殺の連鎖を招く単に“有害”なものなのか、それとも全く別の新しい価値があるのか。
膨大な記述を紐解き、投稿者や遺族など当事者たちの心情を追いながら、「ネットと自殺」という現代社会の難題に向き合った。
(底本 2024年8月発売作品)
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Posted by ブクログ
私は普段、自殺に関する記述は臨床心理学や医学の分野で書かれたものを読むことが多い。個々人への配慮と寄り添いはあれども、学問的な中心は統計にあって、だんだんと平均化された現象として「死にたい」を見てしまいがちになる。「どうしたら防げるのか」という予防の話だったり、「そうは言っても自殺はよくない」という道徳っぽさが含まれてしまう。
著者が自殺の後になってから関わりをもつ職業であるためか、「死にたい」をどうこう予防するという視点でもなく、起きてしまった自殺を良い悪いで評価する視点からも離れているように感じる。
きっかけは著者自身の後悔から始まるが、ただひたすらに「死にたい」という現象、あるいはその渦中の本人を理解しようという敬意があるからこそ、この大変な仕事を完遂できたのだろうと感じる。
自殺についての著作、特に社会科学的な考察は世に多いが、この本の唯一性というか、この著者にしか書けなかったのだろうと思わせるところもあり、特に以下の2箇所でそう感じた。
p.164
(デジタル遺品を扱う筆者の仕事とこの本のための調査を比較して)実用と人文。あるいは社会と人間。集団と個人という対照的なテーマだと思っている。……ところが今の私は「死にたい」と漏らすサイトがもたらす社会的な影響と、その人がサイトに残した一こじんの人生の価値を天秤にかけているような心境になっている。
p.174
(末木教授の見解を受けて)個々の自殺には、さまざまな要因が絡む。そのなかで有意なリスクファクターとしての定説となるには、教授が実施したような大規模調査をさまざまな角度から行い、その論文が多くの専門家に査読されて、学会で議論され、広く合意形成がなされなければならない。
Posted by ブクログ
希死念慮表現は公序良俗に反するのか? 自殺者遺族にも消す権利はあるのか? を考えさせられる
必ずしも実行を促す/本人内でも行動に繋がるとは限らず、吐き出して楽になる事例も考えると何でもかんでも制限することで状況は好転するのか?
数十年後の視点からの振り返りも気になるテーマ
Posted by ブクログ
この世界に生きている人間の、誰もが経験したことがなく、そしていずれ必ず経験するもの。それは死。
内容はタイトルの通りで、「死」に関して作者さんなりに考察する、というものとなっている。新書でありながら小説のようなストーリー仕立てになっていて、事の発端はとある依頼が作者さんのもとに届いたことから始まる。
「娘が自死した。ツイッターに娘のつぶやきが残っており、死を誘発する内容となっている。そのつぶやきを消したい」
作者さんは依頼主さんにツイッターのつぶやきを消す方法を伝えたが、そもそもその処置内容でよかったのか?という自問が発生した。で、そもそもネットにあふれる「死にたい」は有害なのか?と思いたち、それらを調査してゆく。
調査標本数が少ないし、作者さんの主観も入っているので、書かれている内容にめちゃくちゃ信ぴょう性があるわけではないけれど、「死」というテーマを扱った本を読んだことがなかったので読んでいて新鮮味があった。
とくに自殺した人たちが運営していたサイト(ブログなど)に書かれている内容は生々しく、読んでいるだけで気分が憂鬱になった。やはりそれらのサイトには死を誘発させるだけの「負のオーラ」があるように感じたが、一方で作者さんが言及しているように、亡くなった方の最期の言葉を簡単に消していいのか?という思いもある。
結局答えは見つからないけれど、死に関して考えるという貴重な経験ができてよかった。