あらすじ
数学者として将来活躍する少年少女を見抜くことはできるか.答えが一つの数学の試験採点は容易か.どのようなコースをたどって数学者になるのか.数学者のピークはいつごろで,どのくらいの年齢までアクティブに研究できるのか.世間のイメージとも他分野の理系研究者の感覚とも異なる数学者の実像と思考法がうかがえるエッセイ.
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Posted by ブクログ
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科学の中でも数学科は英語に次いでフランス語の論文が多くて、重要論文がフランス語なのもあるらしい。やっぱりフランスは数学の国なんだね。何となく直感的にそう思ってたけど。今も数学研究世界一はアメリカだけどそれは世界からの寄せ集めだからであって、自国出身者だけで言えばフランスが世界一らしい。
河東泰之(かわひがし・やすゆき)
麻布中高、東京大学大学院数理科学研究科教授.数学者.専門は作用素環論.1985年東京大学理学部数学科卒業.1987年同大学大学院理学系研究科修士課程修了.1989年カリフォルニア大学ロサンゼルス校数学科博士課程修了,Ph.D.取得.東京大学助手・講師・助教授を経て 1999年より現職.東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構客員上級科学研究員,理化学研究所客員主管研究員を兼任.
「数学者というと洋の東西を問わず、頭は切れるが奇矯な変人というのがステレオタイプである。小説では小川洋子『博士の愛した数式』の博士、東野圭吾『容疑者 Xの献身』の容疑者などがすぐに思い浮かぶし、シャーロック・ホームズ・シリーズのモリアーティ教授も数学者である。日本では特に、試験の社会的影響力が大きいこと、数学は試験の主力科目であることから、数学者というと、数学の試験の得意な人イコール頭の良い人のように思われることが多い。これが良い方に働くと賢い人として尊敬され、悪い方に働くと頭だけ良くて社会性のないおかしい人だと思われる。 数学は特別な天才だけのための学問だという印象をもつ人も少なくない。実際、数学業界では天才秀才伝説には事欠かない。日本でも幼稚園で微分積分ができたとか小学生で大学数学科で習うような理論をマスターしたとかいう人はいるし、各種の試験さらには本番の東京大学入試の理科 Ⅰ ~ Ⅲ類で一番だったという人もいる。また高校生対象の国際数学オリンピックでは、金メダルというのは出場選手の上位 8パーセント程度の人がもらえるものなのだが、それを取ったというだけではなく満点で世界一になったという人もいる。さらに海外だと、 12歳でオックスフォード大学数学科に入って一番だったとか、 20歳で博士を取って 22歳でシカゴ大学教授になったとかいう人までいる。私の海外の知人の間でも、国際数学オリンピックに出たとか、何年も飛び級したとかくらいの人は本当にごろごろいる。国際数学オリンピック代表に選ばれるのは毎年各国から 6人までなのに周りには驚くほどたくさんいる。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「まず数学者として新しい研究成果を挙げるには何らかのオリジナリティが必要なことは間違いない。まったく新しい理論を打ち立てるといった場合はもちろん、ただ普通に問題を解くだけでも何かしらこれまでにはない独自のアイディアやテクニックが必要なことが多い。一方いくら斬新なアイディアがあってもそれ一発で素晴らしい論文が出来上がるということはめったになく、たいていは数十ページに及ぶ緻密な論理や計算が必要である。そしてそのような論理展開の実行はかなりハードルが高く、例えば東京大学数学科の学生でもそのような能力を身につけられる人は多くない。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「そういうことを考えると、数学者として活躍するためには新しいことを生み出す創造力と、論理や計算などに代表される数学力の両方が必要である、この両者の能力の間にはあまり相関がない、実績を挙げる前に前者の創造力を測定するのはかなり困難である、後者の学力は比較的簡単に筆記試験で測れる、といったところなのではないだろうか。日本最高の天才、秀才と言われたのにほぼゼロに近い業績で消えていった人をたくさん見てきたことを思えば、この両者の能力の相関が高くないことは間違いないであろう。(ただし負の相関があったりはしないと思う。)こう考えると、とりあえず筆記試験をやってその成績の良い人を集めて自由に勉強、研究させる、その結果、研究成果を挙げた人を数学者に採用する、という(ほぼ現行の)方式はそれなりに合理的である気がする。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「経歴でも、 3人の子どもを育てて 40歳近くになってから大学院に行ったとか、大学のエクステンション(誰でも入れるカルチャーセンターのようなもの)で実力が認められて大学院に編入したといったところから世界的な大物になった人はいる。キャリアの多様性の少ない日本でも、大学に行かずに働いていたあと 10年近く遅れて大学に入ったとか、文学部を出てから数学科の大学院に行ったなどの経歴の数学者はいる。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「こういう早熟な人はもちろん普通ではないが、それでもけっこうな数いるのであって、こんなものが天才であるはずがない。最初に書いた私の知人たちも立派な人たちではあるが、別に歴史に残る天才ではない。そもそも百万人に一人でも世界中には数千人いるのである。また研究者としての能力には運を含むさまざまな要素が複雑にからんでおり、単純に試験の成績がよいとか早熟で難しい内容が素早く理解できるといったことによって決まるのでは全然ない。 数学の場合、何学年も飛び級できるような人の方が数学者として活躍できる可能性は一応一般の人より高いと思うが、極めつけの天才少年、少女と言われながらまったくものにならなかった例はたくさんあるし、普通に勉強していた、あるいは普通より何年も遅れていたのにその後大活躍している例もたくさんある。「頭の良さと研究」にも書いた通り、高校生や大学生を見て、その中で誰が数学者として将来活躍できるようになるかを高い精度で当てる方法はないのである。 子どもの頃どんなにめちゃくちゃにできて数学者を目指したとしても数学者としてものになる確率はせいぜい 5割で、たいていはもっと低いと思う。ここでものになるといっているのは、数学者になって一生コンスタントに研究を続けて世界の同業者に認められるといった程度のことであり、世紀の難問を解決するとか、フィールズ賞を取るとかのことではない。 15歳で大学院に入っても別に成功が約束されているわけでもないし、また 40歳を過ぎてから学問に目覚めて勉強を始めても遅すぎるわけではないのだ。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「 私が飛び級制度を主張する理由は、早熟な人は天才だから大事に育てるべきだからではなく、年齢によらず、各人の能力と意欲によってそれにふさわしい教育を受けられるという制度が、結果的にうまくいかない多くの場合も含めて、優れた社会の仕組みだと思うからである。 早熟な人のその後として、一つ極端な例を挙げれば、ユナボマーと呼ばれたアメリカの有名な連続爆弾魔セオドア・カジンスキーは、 16歳でハーバード大学に入学し数学者をしていたのであった。数学者としてはほとんど活躍せず短い期間で辞めてしまい、その後、連続爆弾事件を起こして逮捕され、現在は終身刑に服している。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「日本の学校は飛び級もできず、逆に大幅に学年進行が遅れている人もとても少ないので、年齢層がとても狭い範囲に収まっていて多様性がない。またいろいろな局面で年齢が問題になり、年齢を気にする傾向が強すぎると思う。新聞などで人物を取り上げる際にもしばしば年齢が書いてある。この人は ○ ○歳だから、あるいは ○ ○歳なのに、という話がよく出る。人間の能力の発揮のされ方には極めて多くのパターンがあるのであって、早熟な人も遅咲きの人も年齢を気にせず能力を伸ばせるのがよい社会であると思う。たとえばアメリカでは就職の際に履歴書に年齢を書かせることは違法行為として禁止されている。 海外の数学関係のある審査をしていたとき、ある審査員が「この人はまだ ○ ○歳なのにこの業績は素晴らしい」という発言をしたことがあったが、すぐに別の審査員が「そのように年齢を基準にすべきではない。研究のペースが優れているというのなら、博士号を取ってから ○年ということを基準にすべきだ」と反論していた。この反論をした人はその後フィールズ賞選考委員になっていてさすがだと思った。もっともフィールズ賞には 40歳という年齢制限があるので年齢は無視できないのであるが。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「アメリカでは大学院生は独立した社会人という意識が強い。アパートの賃貸もクレジットカードの申請も自分だけでできるし、結婚している大学院生も少なくない。日本の大学院生が、いつまでも学校に行っている物好きみたいに思われがちなのとは大違いである。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「しかしこれは、私がネイティブスピーカーのように英語を話せるという意味では全然ない。英語圏に数年以上住んでいた日本人科学者の中で比べれば、私の英会話力は大したものではないであろう。若い頃は、何年もアメリカに住んでいるとネイティブスピーカーと変わりないような英語が話せるようになるのだと思っていたが、まったくの間違いだった。私は今でも映画の会話はろくに聞き取れないし、英語が一度で通じないこともよくある。特に、銀行、役所、病院などは難度が高い。ファストフード店で正しく注文することだってそう簡単ではない。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「数学の世界には中国人やインド人はたくさんいてなまった英語を話しているし、ヨーロッパ人もけっこう不完全な英語を話している。よくこんな英語でアメリカの大学の教授をしているものだ、と思う人もそれなりに見かける。研究集会などに行っても英語のネイティブスピーカーの割合はそれほど高くないし、あちこちでさまざまな英語が飛び交っている。昔、フィールズ賞受賞者のヴォーン・ジョーンズのセミナーに出ていて、ネイティブスピーカーはジョーンズ(ニュージーランド出身)一人だけということがあった。また、ヨーロッパ連合の事務的な会議に出ていて、英語の表現が問題になり、ネイティブスピーカーの意見を聞こう、ということになったのだが、十数人いたヨーロッパ人の中には一人もいなかったということもあった。みんなそれぞれに問題のある英語でなんとかやっているのだから、場数を踏んで度胸をつけることが重要という面はあるのだろう。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「とはいえ日本の若者の英会話力は昔より改善しているのではないだろうか。私の親世代の日本人数学者にはまるっきりたどたどしいカタカナ発音の人がけっこういた。私自身は、大学を出てアメリカの大学院に留学するまで一度もネイティブスピーカーの授業は受けたことがなかったし、留学のために T O E F Lの試験を受けるまで一度もリスニングの試験は受けたことがなかった。今では早くからさまざまな英語の世界にふれることにより、昔の私より英会話力のある学生はそれなりにいるように思う。最初にも書いたように、できる人はちゃんとできるが、そうでない人は全然できないということで差が開いているのであろう。 「アメリカ大学院留学」でも書いた通り、英語で授業ができれば研究者としてのキャリアの選択肢は大きく広がる。これを読んでいる若い人は、ぜひ今のうちに世界に通用する英語力を身につけてほしいと思う。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「数学以外の科学研究者に言うとよく驚かれるが、数学では今でもフランス語で論文を書く人たちがけっこういる。たとえば 2 0 0 2年にフィールズ賞を取ったローラン・ラフォルグの場合は、全論文の 9割くらいがフランス語である。 30、 40年前は今よりもっとフランス語の本や論文が多かったし、数学ではこのくらい前の本や論文を読む必要は普通によくあるので、フランス語が読めないとかなり不便である。重要な結果でフランス語文献にしか載っていないものもいくつもある。特に代数学分野で顕著である。私がチーフエディターをしている 2つの数学のジャーナルでは、投稿規定に英語の論文に限ると書いてあるのだが、実際にはフランス語の論文が投稿されてくることが時々あり、普通に査読に回して、通ったものはそのまま出版している。私もフランス語の論文の査読をしたことがある。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「 私はこういう状況を高校生の頃から知っていたので、大学の第 2外国語選択では迷わずフランス語を選んだ。大学の授業でも、将来必ず数学の用事でフランスに行くことになると思ったのでまじめに勉強した。その結果、最初の半年くらいでフランス語の数学書は問題なく読めるようになった。そしてアメリカで大学院生をしていたとき、実際に 1年間パリ郊外の研究所に滞在したのだが、論文が読めて講演の概要が理解できるととりあえず数学の用が足りてしまうので、それ以上に上達しようとする意欲が失われてしまった。今思うとせっかく若いときにフランスに住んでいたのに、それをフランス語能力向上にあまり生かせなかったことはもったいなかった。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「現在、数学研究で世界一の国は明らかにアメリカだが、二番目はフランスだと思う。しかもアメリカは外国出身の数学者を大量に抱えているのに対し、フランスの主力は自国出身者であることを思えば、研究者養成の実績ではフランスが世界一なのかもしれない。フィールズ賞受賞者の出身校を(大学院ではなく)大学で見れば、世界一はパリの高等師範学校( E N S)である。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「フランス語の難しさのかなりの部分は複雑な動詞変化であるが、数学論文を読む分にはどの動詞かわかればよいのであまり気にする必要がない。しかし話すときにはちゃんと変化を考えないといけないし、読まない文字(特に tや s)がたくさんあるので、書くのはさらに難しい。私は数学の研究のためイタリアに行ったことが 30回以上あるのだが、イタリア語とフランス語は発音はだいぶ違うけれど、文法構造はそっくりで、単語もかなり似ているので、フランス語を話せるイタリア人は多い。しかしそのイタリア人でも読まない文字のつづりは難しくて、正しく書くのは大変だと聞いた。(イタリア語には原則、読まない文字はない。)」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「伝統的に日本では修士論文の重みが大きく、優秀な人は一人で立派な修士論文を書いて、それをジャーナルに投稿して出版するものだという意識が今もかなりある。東京大学の場合、実際に大学院生の単著論文として出版される数学の修士論文は くらいだと思う。 一方、数学では論文の数が少なく査読にも時間がかかるので、博士号を取る際にすでに論文が何本か出版あるいはアクセプト(掲載予定として採用)されていなくてはいけないという規則は通常ない。あくまで審査の基準は、博士論文として提出されたものに学術的価値があるかどうかであり、それを審査するのが審査委員の役目である。これは世界的に共通のことで、たとえばデータベースで 10年前にハーバード大学で純粋数学の博士号を取った人たちを調べてみると、博士号取得時点で論文が出版またはアクセプトされていたと思われるのは半分弱である。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「数学者になるために必要なものは才能、努力、運の組み合わせで、この割合は人によって違うと思う。「誰でもがんばればなれる」というようなことを言う人もいて、私も若い頃に言われたことがあるが、無理がある意見だと思う。これを文字通りに取れば、なれなかった人はがんばり方が足りなかったということになってしまう。必死に努力したがなれなかった人を長年にわたりたくさん見てきた私には、とてもそんなことは言えない。自分は成績はあまりよくなかったがちゃんと数学者になれた、というようなことを言う人もいるが、それは単に成績とは別の才能、適性があったということだと思う。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「数学は若い人の学問とよく言われる。実際、無名の若者が世紀の難問を解決したとか、革命的な大理論を打ち立てたといった例は歴史上いくつもある。しかし最近は寿命の延び、アメリカの大学教授の定年廃止などによって数学者の活動期間は昔よりだいぶ長くなっていると思う。「飛び級」では早熟な数学の才能について書いたが、今回は逆に、年をとってからの数学研究の話である。特に、数学者としての研究のピークはいつごろ来るのか、またどのくらいの年齢までアクティブに研究を続けられるのか、ということを考えてみたい。前に年齢にこだわるのはよくないと書いたが、今回の話はあくまで全体的な傾向の話であって、個々人の限界を設定しようというわけではない。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「数学者のピークは 20代だ、といった主張を数学者ではない人がしているのを何度か見たことがある。 20歳で死んだが不滅の大理論を残した 19世紀フランスのガロアなどの例はあり、現代でもそういう例はないわけではないが、さすがにそういうケースは普通ではない。もちろん早くに数学研究をやめて別の道に転身すれば、数学研究のピークは若い頃だったことになるが、そういう例は別にして、長い間数学者を続けた人について、私が直接知っている範囲の数十人を見てみると、研究のピークは 30代後半から 40代前半くらいであることが多いと思う。 30代前半という人は何人か思いつくが、 20代という人は私の直接の知り合いの中には見当たらない。 数学で最高の権威をもっているフィールズ賞には 40歳以下という年齢制限がある。 3世紀半にわたって数学史上最大の難問と言われたフェルマーの最終定理を解決したアンドリュー・ワイルズがフィールズ賞の年齢制限に間に合わず、特別賞を受賞したという例はあるが、多くの人は数学界最高の賞にこのような年齢制限があることを受け入れているようだ。あるフィールズ賞受賞者が、数学者の価値は各業績の総和ではなく、業績の中の最大値で測られると言っていたのを聞いたことがあるが、この最大値を達成するのは若い時期であることが多いという、これまでの歴史によってこうなっているのだろう。日本数学会の最高賞である春季賞も 40歳未満という年齢制限があり、このため時々新人賞、若手賞的なものと思われることがあるがそうではなく、これが最も高い権威をもっている賞である。新人賞、若手賞のようなものは複数あり、そちらには 30歳以下、 35歳以下という年齢制限がある。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「数学で最高の権威をもっているフィールズ賞には 40歳以下という年齢制限がある。 3世紀半にわたって数学史上最大の難問と言われたフェルマーの最終定理を解決したアンドリュー・ワイルズがフィールズ賞の年齢制限に間に合わず、特別賞を受賞したという例はあるが、多くの人は数学界最高の賞にこのような年齢制限があることを受け入れているようだ。あるフィールズ賞受賞者が、数学者の価値は各業績の総和ではなく、業績の中の最大値で測られると言っていたのを聞いたことがあるが、この最大値を達成するのは若い時期であることが多いという、これまでの歴史によってこうなっているのだろう。日本数学会の最高賞である春季賞も 40歳未満という年齢制限があり、このため時々新人賞、若手賞的なものと思われることがあるがそうではなく、これが最も高い権威をもっている賞である。新人賞、若手賞のようなものは複数あり、そちらには 30歳以下、 35歳以下という年齢制限がある。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「数学は多くの大学の理系学部や、文系も含む国立大学の入学試験で主要な科目である。数学の出題や採点において何を重視するかは数学者の価値観に大きく依存している。論理的思考力、表現力が大事である、計算力はあった方がよいがそこまで重要ではない、記憶力は別に重要ではない、というのが多くの数学者に共通する感覚だと思うが、数学以外も含めたすべての分野の大学教員が入学者の判定における重視すべきポイントについてこう考えているわけではないであろう。数学科教員の価値基準でついた点数が多くの学部の入学者選抜において大きな重みをもっているのは、我々の影響力が大きいということで喜ぶべきことである。工学部、法学部、経済学部などは学生の数でも教員の数でも数学科よりずっと大きな規模の組織だが、これらの学部の教員の入学者決定への関与は数学科よりずっと小さい。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「数学の入学試験における必要性についてよく言われることは、論理的、数理的な思考がどの専門においても大事だ、特に統計的な見方の重要性が多くの分野で高まっている、といったところであろう。特に統計はかなりのレベル、現在の高校数学の標準を超えるようなレベルの数学をマスターしていないと、謎のブラックボックスになってしまいがちなので、数学の重要性の根拠としてわかりやすいものである。この点から見ると、数学の入学試験がないのはあまりよいことではなく、特に私立大学だと経済学部でさえ数学の試験がないところが多いのは大きな問題であろう。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「一方、日本人と結婚している、親(の片方)が日本人だ、子どもの頃日本に住んでいた、といった理由で日本語に興味をもってくれる外国人はある程度いる。また日本文化に興味があるので日本に来たいという人も、私が昔思っていたよりは多いようだ。交換留学で東京に来て、アニメで見た通りの街並みだ、といって喜んでいたフランス人学生もいたし、セミナー講演に来て、村上春樹の国に来られてうれしいです、とあいさつしたデンマーク人の若手研究者もいた。そういう人たちは大いに大事にすべきだと思うが、しかしそういう人がとてもたくさんいるというわけではない。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
実現可能性はとりあえず横において、真に国際化した一流大学を日本に作るにはどうすればよいか、を考えてみよう。 まずはアメリカ水準の給料を保証して英語で授業できる優れた研究者を世界中から公募することだ。アメリカ基準では現在の日本の物価はとても安いので、給料が安くても実際には暮らせるのだが、アメリカでポストが取れる人に、「給料はアメリカの半分ですが、物価も半分なので大丈夫です」と言っても来てはくれないであろう。 次は、学生の入学試験もTOEFLなどを課して一般学力と英語力の両方に優れた学生を授業料無料、給付奨学金で世界中から集めることである。残念ながら現在の日本の高校生だけを対象にしたのでは、一般学力と英語力の両方が高い人を多数集めることはできない。 さらに職員も十分な英語力をもった人をアメリカ水準の給料で雇うことが必要である。また先に書いたような家族のことも考えれば、教職員の子どもを対象に保育園から高校まで、英語で対応できる教育機関を低額で用意する、英語でかかれる病院を近所にそろえる、といったことも必要になる。 こう書いてくるとあまりに非現実的で絶望的な気分になるが、中国は実際にこういう方向を目指しているように思う。今年の7月に北京郊外の新しい数学の研究所に行ったのだが、世界中から研究員を公募します、最上級の研究員の年間の給料は1000万~7000万円です、と言って宣伝しており、実際にケンブリッジ大学のフィールズ賞受賞者をはじめとする著名な数学者を引き抜いてきている。日本人も何人かそこに移っており、中国は本気でこういうことを始めているようだ。その研究所で開かれた大規模学会に招待されて行ったのだが、潤沢な資金と政府のサポートがあることが感じられた。
「このため数学の大学教員を目指した場合、最大の難関は修士課程の入学試験に合格することだった。修士課程進学者は、本人の意識でも周りの目でも、数学者になる予定の人として扱われていた。現在かなり有名な数学者になっている人でも、大学院入試に落ちて留年したとか、第 2希望の大学院に進んだという人はかなりいる。この人たちはそれでもあきらめずに数学者になったわけだが、本当は才能、適性があったのに、 1回落ちたところであきらめてしまった人たちも少なからずいたはずである。一方、逆に試験が得意であったために大学院に進学できてそのまま数学者になったものの、たいして研究していないという人もけっこういた。筆記試験の能力と研究能力はそれなりの相関はあるとは思うが、同じではないことは明らかである。数学者を選ぶ最大の基準が筆記試験だったのはおかしいと言われればまったくその通りである。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「マンガや音楽が好きで自分もこういうものを作る側の人になりたいと思う子どもは多い。その中のごく一部の人が実際にプロとして作者になる。私が数学者になった理由もこういう人たちとまったく同じである。私は記憶にある限りの昔から、算数、数学が大好きであり、これを仕事にしたいとずっと思っていた。ほかの職業に就きたいと思ったことは一度もない。 しかし私が数学研究に対して収入を得ている仕組みはマンガや音楽とは大きく異なっている。マンガや音楽は作品を好きだと思う人がお金を払い、作者はそこから収入を得ている。数学研究から収入を得る方法をこの方式にしたら、プロとして生活できる数学者は世界中でほぼゼロになってしまうであろう。(最新の数学をわかりやすく解説して著書や講演で稼ぐということは不可能ではないだろうが、現在数学者が書いているような論文を一般向けに売って、その印税で暮らしていける数学者はまずいないと思われる。)私が数学を職業として暮らしていける理由はマンガや音楽と違い、数学研究が政府、社会からサポートされているからである。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「 私は学内の会議に出ていると、理学部や工学部の人たちより、文学部の人たちと感覚が共通していると思うのだが、大学のポストや研究費のことを考えると、数学は文学よりはるかに恵まれている。なぜこのようなことが成り立っているのだろうか。これは基礎科学の多くに共通する問題だが、以下、主に数学に特有の事情を考えてみたい。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「どの数学がいつ役に立つかわからないし、いつまでも役に立たないかもしれないのだが、一方数学が役に立つときは非常に基本的なレベルで幅広く役に立つ。数学は実験もなく研究に巨額の費用がかかることはないので、数学者に勝手に好きなように研究させておけば 50年後、 1 0 0年後にその一部が大きく役に立ち、かけた費用の元は十分に取れる可能性が極めて高い。人類がこれまで数学にかけてきたお金、人手、時間と、人類が数学から得てきた利益を比べれば、後者の方がはるかに何桁も上であることは確実である。 また数学の中で何が重要か、数学者の中で誰が優れているか、についての数学者の間の意見はよく一致する。だから数学者の意見に従って優れている人を選び、あとは放っておいて好きなように研究させるというのはかなり合理的なサポート方法である。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「アメリカでも純粋数学の研究がビジネスとして成り立っているわけではない。お金が取れるビジネスとして成功しているのは教育であり、それに付随して研究も公的にサポートされているという面が強い。アメリカの大学で教えている数学者の知人と話していると、子どもの大学の授業料と寮費で年間 5 0 0万円かかるという話を少し前によく聞いた。それが最近では年間 1 0 0 0万円というレベルになってきている。このように教育は大金の動くビジネスである。日本では学科の定員や授業の数はかなり固定的だが、アメリカでは学生の人気によってしばしば変動する。しかし数学の授業の需要は安定して高く、これが数学に多くのテニュア職がある理由となっている。たとえば数学の授業の数は物理学よりずっと多い。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「アメリカに住みたい、アメリカで働きたい、そのためならいくらでもお金を払うという人は世界中にとてもたくさんいる。そのために最も手っ取り早い方法の一つはアメリカで大学(院)を出ることであり、これがアメリカで教育が産業として成立していることの大きな理由の一つである。このため大学(院)教育に経済的価値があり、それゆえに公的なサポートをする価値がある、ということになり、それに付随して研究にも公的サポートがついてくるのである。ここまでの価値を大学(院)教育にもたせることは日本ではなかなか難しいことであるが、その経済的価値を高めていくことは我々、日本の大学関係者にとって大きな意味があるであろう。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「日本人のフィールズ賞受賞者はこれまで小平邦彦、広中平祐、森重文の 3氏である。全受賞者はこれまで 60人くらいなので 3人というのは悪い数字ではないのだが、 1 9 9 0年よりあとに受賞者が出ていないのは、最近日本人受賞者が多く出ているノーベル賞と比べると少し残念なところである。 40歳以下、そして 4年に一度しか授与されないという制限のため、どの国の出身者が受賞するかはかなりランダムな要素もあり、最近はイラン、ブラジル、ベトナムなど、受賞者の出身国も散らばっている。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「多くの人の期待通り、ウクライナ出身の女性数学者マリナ・ヴィヤゾフスカが 2 0 2 2年 7月にフィールズ賞を受賞した。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「この夏にルーマニア西部のティミショアラで開かれたコンファレンスに参加してきた。私がルーマニアに行ったのは 8年ぶり 14回目である。ルーマニアについてはあまり科学技術先進国というイメージはないと思うし、国民 1人当たり G D Pも日本の半分以下である。しかし数学ではかなりの有名研究者が出ており、私の専門である作用素環論では、フィールズ賞受賞者こそいないものの、フィールズ賞のすぐ次のレベルの人が 2人いて、さらにその次のレベルの有名数学者も何人も出しており、世界トップ級の重要国である。私もルーマニア人数学者に大きな影響を受けている。(ただしこれらの有名数学者はみなアメリカをはじめとする先進国に脱出しており、現在のルーマニアにはいない。)なぜルーマニアが経済状況のよくない中、このような高い研究水準に達することができたのかは興味深い問題だと思うので、私の考えを書いてみたい。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「まず旧共産圏は一般に数学や理論物理学の研究水準は高かった。教育がしっかりしていれば、どこの国でも数理系の高い能力をもった人はある程度育つ。しかし旧共産圏では、自動車やコンピュータの開発などにそういった才能を生かすことができなかったので、基礎科学、中でもお金のかからない数学や理論物理学に優秀な人が集まったのだと思う。(このほかに軍事研究も優秀な人を集めていたはずだが、これについては私は詳しくないのでここではふれない。)芸術やスポーツのことを考えても、旧共産圏には商業的なスターはいなかったが、クラシック音楽やオリンピックでのレベルは高かったことも似た話だと思う。私以上の世代の人は覚えているであろうが、女子体操金メダリストのコマネチもルーマニア出身である。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「一方、採用、昇進、研究費採択、授賞などの審査の際には依然として論文がどのジャーナルに載っているかは大いに重要である。数学ではインパクトファクターはまったく重要ではなく、ジャーナルの格付けは数学者間で共有されている意識によるのだが、トップジャーナルに載っていればこれらの審査ではとても強い。審査員が論文の中身を自分で読んで判定すべきだということもよく言われるが、それは無理である。素晴らしい論文なのか、それともまったくの無価値、でたらめなのかさえ、ごく少数の専門家以外にはわからないのが数学では普通のことである。 一方、数学のトップジャーナルに 10年前に載った論文を今見てみれば、間違っている、今では価値がない、正しいのかどうかわからない、といったケースはごくごくわずかである。この意味でトップジャーナルでの正誤、価値判定はかなりきちんと行われており、信頼度は高い。これから 10年後、 20年後にジャーナルのシステムがどうなっているか予見することは難しいが、今と同じようにプレプリントサーバーと共存していくのではないかと私は考えている。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「ニュートンの時代には数学者と物理学者の区別はほとんどなかった。ニュートンは史上最大級の物理学者であると同時に、ライプニッツとほぼ同時に微分積分学を創始したことによって、史上最大級の数学者でもある。その後もオイラー、ガウスなど、数学、物理学の両方で活躍した学者はたくさんいる。現在でももちろん、数学と物理学、特に理論物理学がごく近い学問分野であることは間違いない。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「もともとは私は物理学に全然興味のない純粋数学者として出発したからである。 数学と物理学でどちらを専攻するか迷ったという人はよくいる。私の周りの数学者にも、実際に物理学科を出た、物理学専攻で博士号を取った、物理学科に勤めていた、といった人は何人もいる。しかし私はそうではなかった。中学生、高校生の頃は物理の成績はよかったが何か厳密でない怪しい学問といったひどい偏見をもっていた。大学でも物理学を専攻しようとは一瞬たりとも思わなかった。それなのにさまざまな人との出会いによって 30年くらいかけて物理学と関係した数学の方にだんだんとシフトしてきたのだ。 それでも物理学そのものとはやはり距離がある。研究集会などの私の講演の後で、「あなたの所属は数学科ですか、物理学科ですか」と聞かれたことが何度もあるのだが、私に大学の物理学の授業が教えられないことは確実である。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「多くの数学者にとって最新の物理学を学ぶことはとても難しい。物理学の本や論文は数学のようには書かれていないからである。物理学の論証が、数学の基準で厳密でないことがその障害であるようによく言われるが、それ自体はそれほど大きな問題ではない。そういう場合は、この部分は数学的に厳密な議論を行っていない、数学の立場からは論理が飛躍している、とわかるので、そういうものだと思って論文を読んだり話を聞いたりすればよいからである。数学者にとって最も難しいのは、定義や仮定がよくわからないということである。 数学の論文や本ではすべての用語が厳密に定義され、定理の仮定や結論ははっきり述べられ、その証明は一分の隙もない厳密な論理によってなされる。一方物理学の本や論文は全然そうではない。多くの基本的な用語に厳密な定義はないし、議論で何が仮定されているのかもよくわからない。物理的な直感、感覚が明言されずに使われていることも多い。一つだけ例を挙げると、「対称性」という言葉はとてもよく使われるが、どのような数学的構造について対称だと言っているのかはしばしば、数学的に厳密なレベルでは明言されない。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「それでもいろいろな交流をしているうちに、だんだんとわかる部分が増えてくる気がする。物理学者の中でも、数学者にわかりやすいように話したり書いたりしてくれる人とそうでない人がおり、前者の人の講演や論文をもとに少しずつわかる部分を広げていくことが有効であった。そうこうしているうちに、物理学者の論文で行っている議論と数学ですでに知られている理論の関係を明らかにする、物理学の論文で問題とされていることに数学的に答える、物理学の問題意識にもとづいた設定での研究を数学的に行う、といったことがある程度できるようになってきた。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「 「数学と物理学」で私は子どもの頃あまり物理学に興味がなかったと書いたが、一方プログラミングには強い関心があった。私は人生を何度やり直しても必ず数学者への道を選ぶと思うが、もしどうしても数学は禁止だ、何か他の学問を選ばなくてはいけない、と言われたらコンピュータ科学を選んだと思う。昔物理学にあまり興味をもてなかったのは厳密性に乏しいと思ったからだが、その一方、コンピュータのプログラムは必ず書いた通りに動くという意味で、読者の理解にゆだねるような部分がなく、数学と同等以上に厳密なところが好きだった。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「コンピュータと数学と言えば、最近の最も大きな話題は ChatGPTに代表される人工知能の飛躍的進歩であろう。その裏にかなりの数学的からくりが潜んでいることは間違いないし、また数学研究に与えるインパクトもこれからどんどん大きくなるとも思うが、残念ながら私はこの話題については素人なので、ちゃんとした見解を書くことができない。一般的に言えば、私は人間にできて機械にできないことは一つもないと思っているし、また、機械の知能が全人類を上回る日は確実にやってくると強く信じているが、それが 10年後なのか、 1 0 0年後なのか、あるいは 1 0 0 0年後なのか、私にははっきりしたことは何もわからない。そこで今回はもっと一般的なコンピュータと数学とのかかわりについて、二つの話題を取り上げてみよう。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
「この原稿はローマ大学で書いているのだが、ローマには 2 0 0 0年以上前の遺跡がたくさんあり、カエサル暗殺の場所も今に残っている。イタリア人たちと永遠の都で数学をしていると、 2 0 0 0年でさえも大した長さではないように感じられてくる。私個人としてはそういう時間軸で研究生活を送れることを、深く感謝しているところだ。」
—『数学者の思案 (岩波科学ライブラリー)』河東 泰之著
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すぐ読める。
河東先生の人柄が文字から伝わってくる。
数学という学問の評価の仕方や、日本と海外の教育の違い、数学業界におけるコミュニティなど。
最後の研究に関する時間軸についてのお言葉は、とても感慨深いものでした。
おすすめです。
Posted by ブクログ
『科学』に連載された、数学者の随筆。数学者の文章に触れることが稀なのもあり、とても楽しく読んだ。
・日米の数学教育の違い
・大学入試の数学の採点には主観的なところがある
・大学での数学科の感覚は、工学部あたりよりも文学部の感覚に近いようだ
・数学の論文がジャーナルに載るまで
・「昔は物理学なんて怪しげな学問だと思っていたが、最近は物理学者の中にも少しは話のわかる人がいることが分かってきた」
などの話が特に面白かった。1時間程度で読めてしまうが、とてもワクワクできた。ざっくばらんで乾いた感じの文体もとても良かった。買って良かった。
Posted by ブクログ
数学者の書いたエッセイ集だが、同じ理科系とはいうものの数学は実験がないという特異点を持っており、その観点から説き起こした文章は楽しめた.フランス、ドイツ、ルーマニアなどの数学に対する状況が記されていたが、驚く点が多くあった.たまたま京都大学の柏原教授がアーベル賞を受賞されたニュースがあり、数学者の活躍を再認識した.高校までは割と得意としていた数学だが、大学の教養課程で高木貞治の解析概論を見て、これはついていけないな感じたことを思い出した.
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数学研究に興味を持つ、特に高校生あたりにオススメ。数学者というと、どこか非常に遠いところの人、という認識をしていたが、彼らが日々どのような事を考え、どのような役割を担っているのか、研究というのがどのくらいのスピード感で進められているのかが良く分かって、とても面白かった。
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麻布時代から数学に突出した著者、普通の人とは違った感覚で物事を考えているんだろう、との興味にある程度応えてくれるエッセイになっている。自分の数学の能力に謙遜することなく、中高では簡単過ぎて、ばかばかしかったと言い切る。日本の教育への不満があった。数学の世界での海外の超一流の研究者との交流がリアルに語られている。優秀さ故の恵まれた環境で研究に邁進してきた自負が感じられる。本来数学にしか興味がないなか、自らは外に働きかけることはなく、物理など応用分野からアプローチを受けて共同研究へと発展していく。数学が核やツールになるプロセスは、真理とは何かを考えさせられると同時に、まだ未知のまま潜んでいる真理があり、それを発見するという知力が凄い。ノーベル賞受賞者が、基礎研究から実用化まで20年かかった、基礎研究には長い目で見で欲しい、という発言を受け、生きているうちに実用化できることはとてつもない速さである、と数学者との感覚の違いに言及したが、数学の奥深さとそこに向けた並大抵でない根気や執念が感じられる。
Posted by ブクログ
数学者は何を考え何故にそう考えるのか。河東泰之のエッセイを読むと数学の世界の片鱗の片鱗が垣間見える。身近に数学者はいないし数学の授業には結局はついていけなかった。でも数学者の思考の筋道には不思議な魅力がある。新聞に載る数学問題は問いそのものがわからない。しかし数学者たちが築く抽象の塔は世界の仕組みを解き明かす鍵を秘めているのかもしれない。知らんけど!