あらすじ
「朝鮮人が暴動を起こした、井戸に毒を投げ込んだ……」。関東大震災の発生直後、各地で飛び交ったデマによって多くの朝鮮人が命を奪われた。非常時に一気に噴き上がる差別と偏見。東京で、神奈川で、千葉で、埼玉で、悲惨な事件はいかなるメカニズムで起きたか。虐殺の「埋もれた歴史」は誰によってどのように掘り起こされてきたか。100年余りが経過した現在、何が変わり、何が変わらないのか。歴史的事実を葬ろうとする者たち、人災を天災の中に閉じ込めようとする政治家、差別行為にお墨付きを与える行政……。差別やヘイトクライムの問題を長年追ってきたジャーナリストが100年余り前と現在を往還し、虐殺事件が及ぼし続ける様々な風景を描く。
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Posted by ブクログ
関東大震災における朝鮮人の虐殺の現場を訪れ、残された記録や証言を丁寧に紐解きそこで起こった虐殺の記録を書いた本。
日本人全員読むべき本だと思う。
朝鮮人虐殺のことは歴史的事実として知ってはいたものの、この本を読んで自分は何も知らなかったと思い知らされた。
まず驚かされたのが、デマを流布させたのが、国、警察、行政、新聞であったということです。
巷間で流布したデマだと思っていたので衝撃でした。
そして、自分が思っていたよりもずっと虐殺の範囲も人数も多かったことにもショックが大きかったです。東京のみならず、千葉、埼玉、群馬、神奈川と、関東全域で起こったことでした。
加害者たちの残虐性は目を覆うほど酷いものですが、朝鮮人への差別心が人をどこまでも残酷にしたということ、人はお墨付きさえあれば、どこまでも残虐になれるということ…は、後世に伝えていかなければいけないと思いました。
そして、各地の虐殺の事実を独自に何年もかけて取材した市井の人々の努力には頭が下がる思いです。
本書を読むと、震災の「混乱」が朝鮮人を殺したのではなく、日本社会の差別と偏見が朝鮮人の虐殺に導いた、ということがよく分かります。
Posted by ブクログ
関東大震災朝鮮人虐殺については、何冊か本を読んだことがあるのだけど、安田さんの取材で、想像よりさらに残虐なことが起こったことがわかった。
現在の小池都知事をはじめとした虐殺はなかったとしようとする人々を見ると、被害者はいまだに殺され続けている。加害に目を向け、差別に加担しないことが私たちの責任だと感じる。
この、「加害を無かったことにして責任を負わない文化」が、現在告発されている芸能界の性暴力被害者へのバックラッシュに繋がっているのではないか。
Posted by ブクログ
(24/08/23-12/29)
既存の文献(郷土史、当時の新聞記事、公文書)を基に展開
特色
・現地訪問
・関係者インタビュー
・朝鮮半島出身者のみならず、日本、台湾、中国の人たちも対象
・取り上げた件数の多さ
これらの虐殺事例を中心に、当時と現在の関連というか往復。
過去の終わった事件ではなく、現在でも十分に再現される可能性を訴えているように感じました。
ただ……
件数(犠牲者数)は、今後も調査は必要だけど、確定は難しいかと
虐殺の根拠を新聞、公文書に拠っているけど、デマ、虚偽とその新聞、公文書を否定しているという矛盾。
虐殺における組織性
保護にまわった警官もいたので、どの程度徹底されていたのか疑問。
亀戸事件は、前もってリスト化されていたみたいでしたけど。
「虐殺はなかった」と言う人たち
私の意見としては、虐殺はあったが、数は不明。拘束はともかく、殺害までするのが、どうもしっくりこないのでした。とは言っても、付和雷同な国民性もあるので、完全に否定もできないのです。あった根拠は、各地にある追悼碑。冤罪なら、さすがに地元民が黙ってはいないでしょう。
で、本題なのですが、「なかった」という人たちの根拠をインタビューで深堀りしてほしかったのでした。
あとがき
P592
>過去と現在は断絶することなく続いている。
「旧」を付与して、「無関係」な体にしている組織を知っています
東京スカイツリー+荒川河川敷
おそらく表紙カバーの場所かと
Posted by ブクログ
今から100年ほど前の関東大震災。流言飛語により多くの朝鮮人が殺された事件を追ったノンフィクション。当時の新聞記事から震災体験記、子どもの作文など。警察署の記録など。
一方には隠したい歴史、一方では暴きたい歴史、筆者はどちらかというと日本政府を貶める立場。事実は直視せねばならないが、その立ち位置には疑問が残る。未曾有の震災の混乱の中、警察、軍も含め流言飛語により暴走した事件が多くあったのだろう。そして事件の後に慌てて隠蔽したのかと。
筆者は官憲が震災前から計画的に朝鮮人の虐殺を考えていたような書きぶり、それは行き過ぎに思える。日本人の恥ずかしいまでの無計画性と窮地に立つとパニックで感情的になる国民性こそ非難すべきであろう。
100年前とはいえ、また大災害があれば今すぐにでも再発しそうなヘイトクライム。隠蔽は良くないが筆者の被害者ビジネス的な立ち位置には違和感を感じ、釈然としない読後感でした。人と人の相互理解は本当に難しい。
Posted by ブクログ
関東大震災から101年を経過した2024年に出版された関東大震災・朝鮮人虐殺について記された決定版的本。
朝鮮人虐殺については多くの研究者や作家、独自に調査する在野の研究者によって数多くの本が出版されている。
郷土資料や日記までも調査され、事実として確かな強度がある。
にも関わらず、どこかの馬鹿夫妻が記した朝鮮人虐殺はなかったなどというデマ本にネトウヨはまんまと踊らされた。そして、この10年で朝鮮人虐殺はなかった論というものが登場してしまった。
その影響はそれまで毎年形式だけでも追悼文を出していた都政のトップが、追悼文を出さないまでに発展している。
都政だけではなく、内閣の官房長官までもが事実関係を把握出来る記録が見つからないなどと発言している有り様だ。
それは地方にまで伝播し、群馬では朝鮮人虐殺碑が撤去されてしまった。
100年足らずで歴史修正主義が跋扈している状況が今である。
若干高く、ページ数も多いためこれを最初に読むのはちょっとしんどいだろうと思う。だが読んでおくべき一冊である。