【感想・ネタバレ】中江兆民 三酔人経綸問答のレビュー

あらすじ

一度酔えば即ち政治を論じ哲学を論じて止まるところを知らぬ南海先生のもとに,ある日洋学紳士,豪傑君という二人の客が訪れた.次第に酔を発した三人は,談論風発,大いに天下の趨勢を論じる.民権運動の現実に鍛え抜かれた強靱な思想の所産であり,日本における民主主義の可能性を追求した兆民第一の傑作.現代語訳と注を付す.※この電子書籍は「固定レイアウト型」で作成されており,タブレットなど大きなディスプレイを備えた端末で読むことに適しています.また,文字だけを拡大すること,文字列のハイライト,検索,辞書の参照,引用などの機能は使用できません.

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Posted by ブクログ

ネタバレ

日本にルソーを紹介した民主主義者・中江兆民の著。1887年出版。 現代語訳だけ読んだ。

進歩的理想主義者「洋学紳士」と保守的軍国主義者「豪傑君」がそれぞれリベラリストとナショナリストの立場から国家論を展開。中道的リアリストの「南海先生」が聞き手に回るという内容。 三人とも酒を呑みながらしゃべる。

洋学紳士も豪傑君も極論。どちらも理解できる部分があるし、いやそれは違うだろ、という部分もある。最後に二人をいさめつつ議論をまとめ上げるリアリスト・南海先生のくだりのカタルシスが素晴らしい。

「政治の本質とはなにか。国民の意向にしたがい、国民の知的水準にちょうど見あいつつ、平穏な楽しみを維持させ、福祉の利益を得させることです。」(南海先生、p97)

「紳士君、紳士君、思想は種子です、脳髄は畑です。(中略)今日、人々の脳髄のなかに、帝王、貴族の草花が根をはびこらせているまっ最中、ただあなたの脳髄にだけ一つぶの民主の種子が発芽したからとて、それによってさっそく民主の豊かな収穫を得ようなどというのは、心得ちがいではありませんか。」(南海先生、pp99-100)

南海先生の言が中江兆民の考えていたことだとすれば、明治時代としては、おそらく最も先進的な政治思想にふれていた中江兆民が、意外なほど現実的で、かつ、百年先の未来を見据えてコツコツと啓蒙するしようと決心していたのだなと感じた。

かくして、「とりあえず立憲制度、上下両院を置いて下院は選挙による、海外の法律を参照しながら良いところは取り入れる、外交は平和友好を原則とする、言論・出版の規制は少しずつ取り払う」という南海先生の凡庸な結論に、洋学紳士も豪傑君も肩透かしを食らうのであったw
「今日では、子供でも下男でもそれくらいのことは知っています」(p109)

まあしかし、明治にすでに進歩的な国家のビジョンを作り上げた思想家がいたのに、日本は随分と遠回りをしてきたものだなぁ。

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2014年02月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

<紹介>
 本書は自由主義的進歩思想、絶対平和観を有した洋学紳士君、帝国主義的国権論者の豪傑君、現実主義の南海先生、三人が対話によって世界の潮流、日本の政治を語るものである。洋学紳士君、豪傑君はどちらもラディカリストであり、それを南海先生がたしなめる形になっている。南海先生は決して自らの主張を述べるでもなく、喋る機会自体が少ないが、先生の言葉一つ一つは比喩を用いながら、思想や政治の本質について核心的な事を述べており興味深い。

<感想> 
 解説にあるように、三者のうちどれが中江兆民の思想に一番近いのかははっきりしないが、私は洋学紳士君に対する思い入れが大きいように思える。洋学紳士君は西欧の歴史の理から自由民主制こそが最上の制度であり「進化の理法」だという。そして富国強兵など弱小国は望めないから、学術的に秀でることで「無形の道義」を体現すべきだという。この洋学紳士君の「進化の理法」に対する批判に本書でもっとも力が入れられているように感じた(p94~)。
 先生曰く、人間が先導することが出来ない「進化の神」は、畢竟跡づけに過ぎない。その「神」の進む道は曲がりくねり、前後し決して直線コースを採らなず、人間が予見出来るものではない。さらに、世界中には至る所に多様多愛な「進化の神」がおり、西欧型が唯一ではない。だから直ちに何を採用すべきか分からないけれど、一つ確かなことは「進化の神」が共通して憎むものがあるということである。そしてそれは「その時、その場合においてけっして行ない得ないことを行なうとすること」である。
 続けて言う、政治の本質とは国民の意向に添い、国民の知的水準に合う制度を採用し、福祉の利益を達成することであると。事業、歴史は常に「過去の思想を発現」である。「進化の神」としての歴史は「人々の思想が合体して、一つの円をかたちづくるもの」である。であるからこそ、人々の脳髄に思想を植え、それを一度過去のものにしない限り、良い事業は出来ないのだ。
 社会契約論を翻訳し、東洋のルソーと呼ばれ藩閥政治には批判的であった中江兆民だが、本書を読んで感じるのは、兆民自身がフランス型の社会契約論に根ざした「民権の回復」(草の根の革命的民主化)を求めているとは到底思えないことだ。それよりも「恩賜の民権」(上からの自由化、民主化)を重視し、君主や宰相が「人民の知的水準」に注意を払いながら、自由の規制を解くことが望ましいと考えている(p98~)。そしてその漸次自由化の間に人民が行なうことは「これ(恩賜の民権)をちゃんと守り、大切にあつかって、道徳という霊気、学問という滋養液で養ってやる」ことである。そうすれば時勢が進み歴史が展開するとき、肥え、背が高くなり「回復の民権」と肩を並べることが出来る、それこそ「進化の理法」であると考えている。

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2011年12月24日

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