【感想・ネタバレ】神聖ローマ帝国 「弱体なる大国」の実像のレビュー

あらすじ

電子版は本文中の写真をすべてカラー写真に差し替えて掲載。
オットー一世の皇帝戴冠(九六二年)を起源とする神聖ローマ帝国は、ドイツを中心に周辺へと領域を広げた。皇帝位は一四三八年以降、ハプスブルク家がほぼ独占。十六世紀に最盛期を迎える。宗教改革、三十年戦争といった混乱を経て帝国は衰退し、一八〇六年に消滅した。弱体に見える国家が八五〇年も存続したのはなぜか。叙任権闘争など、皇帝と教皇の関係はいかなる推移をたどったのか。捉えにくい「大国」の実像に迫る。

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Posted by ブクログ

何となくのイメージやけど、カール5世まで、マクシミリアン以降で分けて考えてて、特に前半をよく知らない、後半ハプスブルグ帝国の方がまだ分かる。だからこそ前半、正直フランク王国の分裂とカノッサ、あとはサッコ・ディ・ローマくらいしか知らんので知りたくて読んだんやけど、結局オモロいのは後半、三十年戦争からマリア・テレジアの流れなのよね…

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2024年07月20日

Posted by ブクログ

皇帝がいたから帝国ではあるけど、中央集権的ではなく絶対王政時代の帝国とはだいぶ趣が異なる。そこが中世ドイツの特色にもなっているけど、けっこう不思議な帝国だよね。
皇帝は選挙で選ばれるわけだし、周辺の国の王家とは姻戚関係にある。現代から見ると連邦制みたいな体制で、まるでユーロの先取りみたいに評価する向きもあるみたいだけど、それは違うだろう。あくまでもドイツの特異性によるものと考えるべきでは。

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2024年10月08日

Posted by ブクログ

バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ルターが生まれた国、カノッサの屈辱のあった国、その割には神聖ローマ皇国ってあまりメジャーでない。国が連邦?二重構造?だったからであろうか。同じ名前の皇帝が多くて混乱極まりない。

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2024年06月04日

Posted by ブクログ

様々な革命や反革命を経験してそのたびに歴史の画期があり現在にいたるイギリスやフランスに比べ、ドイツの歴史はわかりにくい。
皇帝と諸侯、教皇の複雑な関係が絶え間ない争いをうみ、諸々の家柄や所領の絡み合いを条約や法によってなんとか纏まり維持してきたかにみえる神聖ローマ帝国の歴史は本書を通読してもなおなかなかに飲み込みづらい。
とは言え、そんな歴史の霧の中にも、現在のドイツにいたる核心のようなものもおぼろげながら見えてくる。それは地域ごとのまとまりである帝国クライスだったり、何事も決まらないながらも存続した帝国議会だったりするのではないか。
苦言をあげると、版図と系図が少ない。主なところは載せてあるけど、文書を理解するためにはこの3倍くらいは載せてもらわないと。

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2025年11月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ヴォルテール曰く「神聖でもなく、ローマ的でもなく、そもそも帝国でもな」と言われてしまう不思議な帝国・神聖ローマ帝国の実像。850年もの長い歴史には色々ある。叙任権闘争や三十年戦争、七年戦争など興味ある事件も多い。

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2025年10月04日

Posted by ブクログ

神聖ローマ帝国について何も知らんので知りたく思い読む。結論、先にドイツ史を読んどくべきだった。

西ローマ帝国の滅亡により庇護者を失ったローマ教会がゲルマン人の国フランク王国に、ぶいぶい言わせてるカール大帝に教皇が戴冠を行うという形で、歩み寄ったことからことは始まる。

その後フランク王国が仏独伊みたいな形で分裂したりして形を変えながら、いわゆるドイツのあたりがそれと定まる。
10世紀頃イタリアではアルプス以北のゲルマン人を「ドイツ人」と呼んでいた。

10世紀末、ハンガリーを版図におさめ、オットー一世の時代に帝国となる。

古代部族社会を形成していたゲルマン人の慣習として王は選挙により選ばれるので帝国の前に国があり、まずドイツ国王を選出し、その後皇帝として承認されたりされなかったりする。

皇帝選挙の選挙権がある諸侯は選帝侯という特権的地位をもち、中世以降は選帝侯が力を持って領邦国家を形成し、その中からイギリス王になったりポーランド王になったりするものも出たりしている。

帝国初期になんだかすでに教会側との距離が開いて、聖界諸侯の叙任権をめぐる叙任権闘争が起こる。
この論争の中で教会の権利が宗教的権利と世俗的権利に分けられる。16世紀宗教革命のフラグである。

叙任権闘争は11世紀初頭に教会側の勝利で決着し、そこで神性を剥がされた帝国側が開き直って神性は教会から与えられるものではないと自ら「神聖ローマ帝国」を名乗り始める。
けど神聖ローマとか言ってる割に教会に対して権力も及ばなくなったんで封建的支配に移行。その後近世の帝国崩壊に至るまで実質はどうあれかたちとしては封建制が続く。

13世紀前半、皇帝と教皇の対立の果てに双方の権力が弱り始め、議会主義が生まれる。

1453年コンスタンティノープル陥落。キリスト教世界に激震が走る。

このあたりから戦争に火器が使われるようになり、騎士もねえよなということで中央集権寄りに。なったのは領邦か。

15世紀末になるとハプスブルク家の皇帝位独占状態になり、帝国からイタリアが外れてくる。このへんからもうどのへんがローマなのかわからない感じ。

ハプスブルク家は知られてる通り婚姻により領地を拡大していき、帝国の外にも所領を持つようになる。

このころ帝国の方は帝国クライスの概念を発明し、領邦と帝国の中間にクライスが置かれる。近世では軍もクライス単位になっていたようだ。

帝国等族の保護を受けたルターをきっかけに宗教革命がはじまる。そしてフランスとオスマンが攻めてきてる。大炎上。

宗教革命を経て宗派が政治問題に巻き取られ馴染みのある形に。

中世はずっとフランスやオスマンやスウェーデンの侵攻や領邦国家の成長でぐだぐだしてる感じだ。

そんな中でマリア・テレジアがフランスに子供を嫁がせたのはフランスと融和するためだったんすね。
マリア・テレジアはハプスブルク家の相続人になったけどサリカ法(ゲルマン人の法とか典らしい)で皇帝にはなれないので神聖ローマ皇帝は夫息子とか。

近世に移る頃には帝国外でプロイセン王国が誕生し、じわじわ領土を食ってきてて、でもそのころ帝国ってオーストリアなの?状態で、ポーランドは消滅して、フランス革命が起こって王様殺されてナポレオンが登場したりして、なんだかんだで神聖ローマ帝国は滅亡。

この本読んでみてフランスとドイツが仲悪いのがよくわかったけど、トルコはどうなんだろうね。オスマン帝国超怖くない?

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2025年06月22日

Posted by ブクログ

中世〜ナポレオン時代までドイツに存在した帝国の概説本。「皇帝と教皇」「開かれた(=制度が確立していない、と読んだけどOK?)国制」の二つの観点で850年の歴史を紹介している。帝国主義時代にドイツが出遅れた原因は神聖ローマ帝国が続いたことにある、と思っていたが、現代のEUという連合体につながる(意訳)、と言われるとそうかもしれないとも思う。ただ、21世紀が4分の1経過した時点で見る限り、神聖ローマ帝国存続による中央集権体制への出遅れ(同じタイミングで統一された日本、イタリアも同様だけど)は、ドイツの不幸な一時代を産んだように思う。あらためてハインリヒ6世の早逝がなかったら、と思わずにいられない。
本書では触れられていないけれど、21世紀になってもドイツ連邦はその名の通り、バイエルンやブランデンブルク、ハノーファーなどかつての領邦の集合体でしかないのではないか、と感じた。バイエルン人やハノーファー人、ザクセン(これも定義が分かりにくい)人などに他の地域に対してどう思っているのか、機会があれば聞いてみたい。

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2025年02月13日

Posted by ブクログ

EUの統合。異なる国民国家を統合させるため、共通の歴史的経験が求められた。それが神聖ローマだった。多くの民族がいて、中央集権ではないが紛争解決能力をもつ連邦的な政治組織体だった。

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2024年12月19日

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