【感想・ネタバレ】彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠のレビュー

あらすじ

不条理な暴力に私たちはどう抗えるのか――

【第53回大宅賞受賞作】

1972年11月、革マル派が支配していた早稲田大学文学部構内で、一人の学生が虐殺された。後に「川口大三郎君事件」と呼ばれるこの悲劇をきっかけに、一般学生は自由を求めて一斉に蜂起。しかし事態は思わぬ方向へと転がり、学外にも更なる暴力が吹き荒れて――50年前、「理不尽な暴力」に直面した著者が記した魂と悔恨のルポ。

1972年、キャンパスでいったい何が?

思想家・内田樹氏 推薦!
「同時代を生きた人間として樋田さんがこの記録を残してくれたことに深く感謝したい。
若い人に読んで欲しいと思う。
人間がどれほど暴力的になれるのかは知っておいた方がいい」

【本作原案映画、公開決定!】
『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』
(2024年5月25日よりユーロスペース他で公開)

※この電子書籍は2021年11月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

単行本はもちろん発売されてすぐに読んだ。
ポリタスTVに出演された時の樋田さんの誠実で粘り強く、ジャーナリストとしては常に公正であろうとされていて、正義を追い求めるお人柄が滲み出るお話しぶりだったことに感銘を受けたからだ。
映画ゲバルトの杜の上映後のトークセッションでも、思わず慟哭こみあげる様子を見せられ、本当に地道に真摯に取り組まれている、その中でなにより人間性、人間は自由に生きるべきであるということが感じられこちらも込み上げるものがあった。
文庫では、文庫版のためのあとがきが追加されていて、とりわけ、代島監督の映画を観た後に読むと良いと思うし、当時のことを今も振り返り振り返り生きてこられた、そしてすでにお亡くなりになられた方々ひとりひとりの心情や信念が、樋口さんの心のフィルターを通して描かれている。
学生が自分ごととして、主語を大きくしないで取り組まれた運動、川口さんの死を理不尽なものと党派的な観点ではなく、自分の友達が、同じ学生が殺されたことへの危機感、危機意識、理不尽、そして悔恨からの運動、このようなことを二度と起こさない自由なキャンパスを求め闘った運動があったことは、興味本位な、学生運動といえば、ついそちらに目が行きがちな新左翼のセクト、党派とは異なる、自分たちの言葉で自分たちの心を伝え非暴力の闘いを貫こうとしたり暴力非暴力の間で揺れた人たちがいてそれでもじぶんごととして真剣にヘルメットのことを考えた学生たちがいたこと、もっと知られるべきだと思う。単行本読まれた方も文庫版を読む事をおすすめするし、本書を読んでゲバルトの杜をみてまた読んで、、、自由とはなにか、今の戦争とナンセンスだらけの世界、日本について考える強いガイドになる。
樋田さんは、諦めない事、非暴力、非武装、非戦で諦めず闘い続けること、諦めないで信じ続けることについて勇気づけてくれる。

文庫版あとがきから引用
ここに書いたのは、あの運動に関わった10,000人を超える学生たちに比べれば、ほんの1部に過ぎない。それでも、私にとっては、あの闘いが豊かな実を結んだと言う確信を抱くのに十分である。私たちは短期的には敗北したかもしれないが、長い人生を考えれば、負けてはいない。暴力は人々を沈黙させ、殺すこともできる。しかし、その人生を究極的に支配することはできないのだ。

革マル大岩圭之介、今の名前は辻信一。かなしいかな鶴見俊輔大先生が関与してこーなっている。ちくまプリマー新書で本が出ちゃってたりしてそれも驚きとやるせなさ、行き場のない怒り。
日本は強いもの権力暴力装置もつものに巻かれる社会、、、、、
私は樋田さんを応援する、樋田さんの本を買う。

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2024年05月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

1970年代、早稲田で学生運動の真っただ中にいた著者が、経験したことを克明に記したノンフィクション。暴力がキャンパスを支配していた当時の状況を、当事者の目線で書いている。
学生運動に興味があったので読みました。非常に興味深く、読み応えがありました。

単純な感想としては、「大学って、学問をするところじゃないの?当時の大学はいったい何やってたんだ!?」という疑問をもちますね。本書の記述からだと、著者は反革マルのための運動ばかりやっていて、肝心な学問がおろそかになっているような印象になってしまう。(もちろんちゃんと卒業しているんだから、そんなはずないんだろうけど)。さらに単純な感想を加えると、いや、学内の”紛争”だとか”対立”だとか言ってるけど、もうこれ犯罪やん?警察出てきて取り締まろうよ!と、現代の感覚では思いますね。学生が、鉄パイプやら角材やら持ち込んで、主義主張の反する同級生を脅したり、実際に大けがをさせたり、火を放ったり、授業中の教授を連れ去ったり。

そんな、現代の感覚ではありえないことが、なぜ知的なはずの大学で、日々当たり前に行われていたのか、謎だ!と前から思っていて、本書を読みながらも「だからそれは犯罪だってば」とは思ったけど、著者のあとがきにもあるように、そう単純な話ではないことが分かった。
一番興味深かったのは、事件後何十年も経って、革マルのリーダーだった人と対話するところ。で、相手は著者が聞きたかったようなことは全然答えてくれず、話は平行線をたどる。二人の対話を、できるだけ正確に再現してあるのだろうけど、「話が平行線をたどっている」「この二人は分かり合えない」ということがよく分かった。
自分たちの活動が、自分が率いた組織が過ちを犯して、前途ある学生の命が奪われたというのに、自分が実際に暴力を行使していたことに対して真摯に向き合っているようには見えない相手。
しかし実際に革マル派として活動していた当時の学生のほとんどが、こんな感じだったのだろうということもよくわかる。深い理由も、理念もない。「誘われたから入った」「先輩が言っていることに共感して手伝った」「みんながやっていたから」「自分の力が必要とされていたから」「なんとなく」「面白かった」etc…。
彼は著者から重ねて何度も尋ねられて、「理屈で説明できない」と正直に答えている。

著者は学生のときから一貫して、非暴力を訴えてきた。大学で、暴力による支配を否定する、どう考えてもまっとうな意見が、なぜ通らなかったのか不思議だが、それは現代にも通じる。「暴力はいけない」「戦争はやめよう」と、大抵の国では子どもに教えるはずなのに(教えないのかな、もしかして)、どう考えても間違っている戦争を、私たちは止めることができない。みんなが、大人が、国家が、まともな国家なら、暴力、戦争にNOと言えばいいだけの話なのに、それができない。不寛容に対して不寛容で闘っている。

「自治」とか「民主主義」の概念を捉えるうえでも、いろんなことを再認識できて良かった。

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2024年05月22日

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