あらすじ
〈死は、遅かれ早かれ、どんな形であれ、すべての人に訪れるし、それは人生の一部であるが、生きつづけたいという私の願いは、「一目惚れ」のように圧倒的で決定的なものなのだ〉NHSのフルタイムの仕事を引退し、悠々自適な暮らしを送っていたマーシュはある日、進行性前立腺がんと診断される。赤裸々な死への恐怖を告白し、病気を理解することで恐怖を乗り越えようとしては挫折する、「患者となった脳外科医」の日々。がんの検査から治療のプロセスの描写に自らの医師としての経験から得た知識、さらには睡眠科学や進化人類学、量子力学に至るまでの該博な知識が織り込まれる。いやおうなく頭をよぎる患者たちや両親の最後、そして自らに残された時間――。死のすぐそばで働きつづけ、数えきれないほどの死を見届けてきた脳外科医マーシュの、最後のメッセージ。
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Posted by ブクログ
ヘンリーマーシュは権威あるイギリスの脳外科医でウクライナとも関係のある人物。本書は、自身の進行性前立腺がんの診断後の体験を綴ったエッセイ。医者としてのマーシュが患者としての視点から、がんの検査や治療の過程、死への恐怖と向き合う日々を赤裸々に描く。教養溢れる内容で、睡眠科学や進化人類学、量子力学などの幅広い知識も織り交ぜながらの記録であり、勉強にもなった。
― 標高二五〇〇メートルを超えると、急性高山病が発症することがある。一部の人が他の人よりもこの病気を発症しやすい理由や、同じ人が場合によって発症するときとしないときがある理由はわかっていない。しかし、チベットの人々は低地人とは異なるDNAを持ち、そのおかげで高地で生活することができるという。彼らのDNAにはデニソワ人のDNAが含まれている。デニソワ人は、「ホモ・サピエンス」と交雑した初期のホミニン(ヒト族)の一つである。彼らのヘモグロビンは、低地に住む人々のヘモグロビンよりも効率的に酸素と結合する。急性高山病は、脳や肺に過剰に水分がたまる脳浮腫や肺水腫に進行すると命の危険がある。毎年ヒマラヤではこの病気で登山者が命を落としている。カトマンズで働いていたとき、私は、この病気にかかったトレッカーや登山家の脳画像を見たことがあるが、脳全体に小さな出血がいくつも見られた。軽症の場合、呼吸に問題が生じ(とくに夜間)、周期的に呼吸状態が変化する特徴が見られる。呼吸が徐々に早くなるのを感じたかと思うと、突然息がとまる(医学用語では「無呼吸」。その後、大きくむせるような声を出す。この病気の人はなかなか寝つけない)。
― 捕食動物は、被捕食動物よりもレム睡眠時間がずっと長い。イルカは脳の半分だけを使って眠り、渡り鳥のグンカンドリも同じように眠る。レム睡眠を奪われた人は、あたかもそれを渇望しているかのように、ますます早くレム睡眠に入るようになる。また、レム睡眠が奪われると、感染症への抵抗力が低下することから、睡眠が脳だけでなく他の点からも重要であることがわかる。乳児や子どもは、大人に比べてずっと長くレム睡眠をとる。最近発見された「グリンパティック系」は、睡眠中とくに活発になるらしい。これは、脳内でリンパ系と同様の働きを持ち、老廃物を排出すると考えられている。アルツハイマー病で蓄積されるアミロイドタンパク質の排出は、夜間に行われる可能性がある。もっとも、アルツハイマー病の発症に関するアミロイドタンパク質の正確な役割については議論の余地がある。睡眠障害はアルツハイマー病の症状としてよく知られている。ただ、睡眠障害がこの病気の原因になっているのか、逆に結果としてあらわれる症状なのかはわかっていない。このように奇妙で興味深い事実は、枚挙にいとまがない。こうしたすべてが何を意味するかについては、多くの学術的論争があり、レム睡眠と夢を見ることが同義であるという説も広く受け入れられているわけではない。しかし、睡眠、そしておそらく夢を見ることが、学習とさらには忘却にも関与していることには疑いの余地がない。最近の研究により、ノンレム睡眠は記憶の整理と定着に、レム睡眠は、おそらくは新しく独創的な方法での記憶の並べ替えに関与していることがわかっている。しかし、私が一番知りたい「夢は何かを意味しているのだろうか?」という疑問にはまだ答えが出ていない。
― もしかすると私はボルツマン脳であり、私が現実の世界だと思っているものは、ランダムに自己組織化された物質の粒子により形成された、私の脳内の電気化学的インパルスのパターンにすぎないのかもしれない。ある意味、ボルツマン脳の可能性を信じるかどうかにかかわらず、そういうものなのだ。
私たちは楽観的でありつづける義務があるとマーシュは言う。この本の原題はAnd Finally、「そして最後に」と訳すべきかと訳者は迷う。ボルツマン脳による偶然を想い、転生にすがる。淡々と読んだ私のような読者に対し、書き手は闘病の渦中であり、複雑な思いだ。
Posted by ブクログ
前著『医師が死を語るとき』では、脳外科医としての日々の医療や、友人医師を助けるためのネパールでの奮闘やウクライナにおける活動といった、医師としての著者がどのようなことを感じ、考え、治療に当たってきたかが第一の読みどころであったが、気に入って購入したオックスフォード運河沿いのコテージのリフォーム作業に勤しむ愉しさを語るマーシュ先生の姿も微笑ましかった。
そんなマーシュ先生が前立腺がんの診断を受けてしまう。医師として多くの患者に対してきたマーシュ先生であったが、今回は自らが治療を受ける老いた患者の立場になった。”死”を身近に感じるようになってからの死への恐怖が率直に語られるほか、死について著者が考えた様々な考察が示されるほか、患者の立場から見た検査や治療、医師の患者に対する対し方などについての感想が折々に示される。
自分も人生の折り返しを過ぎ、”死”について考えることも多くなってきたので、いろいろと感じることもあった。
もっとも本書では、こうした死と医療に関する話に止まらず、量子力学、神経伝達物質、睡眠と夢、進化人類学、宇宙論など、著者の知的関心の幅広さを示す学問分野の最新動向について語られるほか、合間には孫たちのために大工仕事に精を出す姿が描かれる。
あとがきでは、治療の結果、数値が良い状況になってきていることが報告されるが、そんなとき、ウクライナ侵攻が始まった。ウクライナの医療支援に長らく従事してきた著者にとっては大変なショックだったと思われる。「私たちは楽観的であり続ける義務がある。それをせず諦めてしまったら、悪が確実に勝利を収めるから。私は必ず戻る。」この言葉は重い。