あらすじ
21世紀前夜にアメリカで大ヒットしたゲーム「ヴィハーラ」。
新作が出るたびに人々を熱狂させ、夢中にさせた国民的ゲームの裏側にいたのは、一人の孤独な男、ジョン・アイヴァネンコ。
友人は少なく、幼い頃からプログラミングと音楽に親しみ、たった五年生のときに「ヴィハーラ1」をつくりあげた。
その彼がアメリカンドリームを掴むまでに一体何があったのか、そしてそれでも拭い去れなかった孤独の影にあったものとは。
やがて「国歌」とまで謳われるほど膨れ上がった「ヴィハーラ」音楽の作曲者。
その生涯を描いた一遍をはじめ、13篇を収録。
宮内悠介のつくりあげる世界は、美しいだけでなく温かい。
笑いと涙、驚きに満ちた短編集。
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世界の料理のバイキングを食べに行った様な感じのバラエティーに富んだ物語が沢山。
麻雀の役の話とか、碁の話とかは、何度もおかわりを頼みたい感じでした。
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だんだんこの人のペースにハマってきたようだ。
13篇の物語はボリュームも内容も豊富。
中には2ページのものも。
主にSF作家だと思っていた印象は、もうそんなカテゴリは意識しなくなっていた。
この短編集は、どれも読後に感じるものがあり、とても良かった。
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途中まで読んで、これは宮内ファンの為の短編集かなと思った。けど、後半はなかなかに哀愁ある物語が続いて、さすが短編でも読ませるなあと感じた。
長編と言わず、中編でも良いので、新作を大いに期待してます。
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2016-2022年に書かれた短編集。
書かれた年も物語の長さも違うのでおもちゃ箱みたいでそれも良し。ジャンクと十九路の地図は、ちょっとホロリとさせる余韻が心地よい。
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短編
近代史を絡めてリアリティーを出すのが上手い。テクノロジーの発展に寄与してきたのは、名も無き技術者達の小さな革新の積み重ね。芽が出るとは限らないけれど、巻かなければ決して生えてこない種まきのようなもの。
『ラウリ・クースクを探して』に至るまでの思考の流れを見せてもらえたような気がした。
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ショートショートにも似たバラエティーにとんだ短編がなんと13編、特に『料理魔事件』は奇想天外なミステリーとして読めました。あと『国歌を作った男』が『ラウリ・クースクを探して』の原型だったとの事で興味津々でした。あなたもこの13編を読んで喜怒哀楽を表して下さい。
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短編集。SFやミステリ、純文学と、ジャンルも長さもごちゃまぜでおもしろかったです。筆致も読みやすく好きです。料理魔とゲーム音楽の話と囲碁の話がとくに好きでした。
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短編集、数ページで終わるものもあれば いわゆる短編(より短め)のものもあり。
個人的には、PS41、パニック-一九六五年のSNS、国境の子がよかった。
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短編集。「料理魔事件」が印象に残った。事件が起こらないのんびりとした町に起きた料理魔事件。後半の展開が面白い。
わかりやすい話とわかりにくい話が混在。
わかりにくくても読める。
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評価と言うよりはただおもしろかった。あとがきに書かれているが、いろんな宮内悠介が味わえた感じ。開高健は意外だったが、思い返すとそうなのかと納得。
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直木賞候補作ってことで読んで面白かったラウリクースクを探して の宮内悠介氏の短編集ということで楽しみながら読んだ
巻末に著者による一言解説がありそちらと引き合わせて読むと味わい深い
ラウリクースクを探しての習作短編もあり
私にとっては楽しい短編集でした
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宮内悠介の代表作の一つは「盤上の夜」であることは間違いないが、それ以外に知っているのは「ヨハネス」「エクソダス」「超動く家」。最近購入したのは本書「国家」と「金融道」文庫版、そして「ラウリ・クークス」。という中、単行本として読むのは本書が初めてである。読まず嫌いにも程があるというもの。本書を読むまで宮内悠介と言う作家はSF作家だと思っていたが、実はSFの他にミステリー、冒険小説、純文学と多方面で活躍しているとのこと。大森望の話では、今はSFからは離れているらしい。確かに、本書を読んでみたが、SF色は極めて薄い。とはいうものの、せっかく買ったのだから最後まで読み切ることを心に誓った。
13の短編集で、長いもののあれば、2ページという極めて短い作品も含まれていた。それらの中で良かったのは、「ジャンク」「料理魔事件」「国境の子」「夢・を・殺す」「三つの月」「最後の役」「十九路の地図」、あれ?7つもある。半分以上の作品が気に入ったのなら、今後も注目する作家に入れておきたい。特にSF作品には拘っていないので、再度直木賞クラスの作品に着手して欲しい。手持ちの宮内作品も少しずつ集まってきたので、早い機会に定期購読するようにしたい。
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短編集。
時々、どこからフィクションか分からなくなる。
一番印象に残ったのが「パニックー一九六五年のSNS」。
開高健が小説を書くために臨時特派員としてベトナム戦争に赴き、結果、一時行方不明となる。
その報道を受け、「ジコセキニン」なる糾弾の声が高まっていく……いわゆる1965年に炎上沙汰が起きる、という話だ。
「それにしても、自己責任とは何を意味するのか。
みずから覚悟して行った以上、責が自分にあることは一種当たり前のことであり、事実上、何も言っていないに等しい。それがなぜ、「私」を攻撃する材料になるのか」
ちょっと立ち止まらされる。
「ジコセキニン」は、「私たちのコミュニティにおいて、貴方の振る舞いは許されない」ことの、罰なのかもしれない。
現代版の村八分。ムラの境界が定まらなくなってしまったからこそ、私たちは外界に逃げることが出来なくなった。
糸を切れば「見ずに済む」。
でも、最早、ヴァーチャルの世界の中に完結はしない。現実世界に私は晒されているのだ。
「三つの月」も良かった。
臨床心理士と、看護師と、中国から来た整体士のアルバイト。
三人の「月」が付くもの同士が、お互いを癒しながら、自身の病を見つめていく。
病とは実際の病気だけではない。
職業に関わる、生き方や考えに関わるような病を、私たちは抱えている。
自分の立ち位置から出来ることに、行き詰まりを感じたとき。
それまで一顧だにしていなかった事柄から、思わぬ手がかりを得られることってある気がする。
ともすれば、病を抱えていることそのものにも、意味があるのかもしれない。