あらすじ
2007年1月、“宇宙の形を知る手がかり”といわれ、幾多の数学者が挑み、挫折し続けた難問「ポアンカレ予想」が解かれた。「数学界の残酷物語」とも「変人数学者たちの大いなる浪費」ともいわれたこの難問への挑戦。その苦難と敗北の歴史を軸に、天才数学者たちの生き方と数学の魔力を描く。
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Posted by ブクログ
ポアンカレ予想を解いたベレルマンの、人と周辺について、書簡などを引用して説明している。
ポアンカレ予想を知らない方が、最初に読むのによい本。
なぜ、フィールズ賞を受賞しないかは、「ポアンカレ予想」
証明はどういうものか「ポアンカレ予想を解いた数学者」
を参照するとよいかもしれない。
最初に本書を読み、「ポアンカレ予想」「ポアンカレ予想を解いた数学者」の順に読んでいくと、
人と内容の両方がおぼろげながらでも理解できるかもしれない。
本書では、ポアンカレ予想がロープをかけたときに、表面から離れないように、回収できるかどうかと同じ問題だということを知りました。
また、特異点問題が最終的な証明に役立ったこともしりました。
制御問題で、特異点問題を解いたことがあるので、すごく親近感が沸きました。
Posted by ブクログ
非常に高潔な数学者が,多数の凡庸な数学者が作り出す社会と絶縁したというのが本当のところなのではないかなと邪推します。瑣末な研究を沢山行って生まれる業績で,学会に幅を利かせる人はどの業界にもいるからねぇ。
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彼の怒りは理解できないわけでもないですが。おそらく彼の心の中では,[フィールズ賞を]辞退したほうが気が楽だったのでしょう。(p.119 スメール博士の言葉)
数学の本質とは,世界をどういう視点で見るかということに尽きます。数学的な考え方を学べば,日常はまったく違って見えてきます。文字どおりの『見る』,つまり網膜に映るという意味ではありません。学ぶことによって見えてくるという意味です。(p.146 サーストン博士の言葉)
私は身に沁みて知っています。最初に何かを考えだすとき,そこには孤独がつきものなのです。(p.156 サーストン博士の言葉)
サンクトペテルブルクに戻ったペレリマン博士は,ステクロフ数学研究所に勤務し,何かに取り憑かれたかのように研究に没頭した。学生時代の博士を知る同僚たちは,その変わりように唖然としたという。
「大学院で一緒に勉強していた頃,ペレリマン先輩は明るい普通の若者でした。私たちは一緒にパーティーに参加したり,新年をお祝いしたりしたんです。夏休みには勤労奉仕でコルホーズ(集団農場)にも行きました。他の仲間となんら変わることはなかったんです。
でも,アメリカから戻ってきた彼は,まるで別人でした。ほとんど人と交流しなくなったのです。昔みたいに声をかけることもできない。私たちとお茶を飲んで議論することもなければ,祝日を祝うこともありません。驚きました。以前はあんな人じゃなかったのに」
ペレリマン博士はセミナーなどの共同作業がある日以外,研究所に顔を出さなくなっていった。人付き合いを極力避け,研究に打ち込む日々が続いた。(pp.175-176)
数学でもっとも特別な瞬間は,問題を違った角度から眺めたとき,以前見えていなかったものが突然明確になったと気づく瞬間です。鬱蒼とした森だと思っていたのに,適切な場所に自分が立つと,木が整然と並んでいるのが見えるのです。他の角度から見るとその構造は見えずに,混沌とした木だけが見えます。でも,適切な方向に自分が向くと,突然,この構造が見えます。数学とはこのようなものです。私にとってペレリマンの論文はその連続でした。私は何度も『美しい』と思いました。(p.196 ジョン・モーガン博士の言葉)
Posted by ブクログ
数学における最大の難問のひとつポワンカレ予想を証明し、一躍時の人となったものの、栄誉を拒み姿をくらませた天才数学者ペレリマンの実像に迫る、という数学ドキュメンタリー。数学という普通一般人が敬遠しがちな学問分野を扱う上では仕方のないことかもしれないが、周辺情報を盛り込みすぎて(その上それらについての解説は浅く、むしろ消化不良になる)、一番重要であろうペレリマンがこの予想と格闘する数年間の描写がかなり手薄になっていたことはいささか残念だった。とはいうものの、この本全体を通して語られる「問題と対峙する上で、ひとりでストイックに問題のことだけを追及するのか、自分の研究時間を犠牲にしてでも外部と交流をもち、自身の研究分野の底上げ及び発展を目指すか」という二つの態度の紹介は興味深かった(ちなみにペレリマンは前者のやりかた)。また、さまざまな数学者へのインタビューも普通に人生訓として読め、ためになる。