あらすじ
エンジェルとキューピッドは何が違うのか。キリストがかつて天使とみなされていたのはなぜか。堕天使はいかにして悪魔となったか。「天使」と聞いて、イメージが浮かばない日本人はいないだろう。しかし、天使をめぐる数々の謎に直面したとき、私たちは想像以上に複雑な陰影を彼らがもっていることに気づくはずだ。天使とは一体、何者なのか――。キリスト教美術をゆたかに彩る彼らの物語を追いかけてみよう。
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Posted by ブクログ
" さらに、「天使は、あたかも全身これ心臓であり、/頭脳であり、眼であり、耳であり、知性であり、感覚である/かの如くに生きており、自由自在、その思うとおりの体軀を/自ら具え、また好むがままに、密であれ疎であれ、いかなる色であれ、いかなる形、大きさあであれ、具えることができるのだ」(VI:349-353)" p..157 ミルトン『失楽園』からの引用
"近未来や近過去のことは人間の占い師の水晶球のなかにも映るかもしれないが、蒼穹の過去の時間の記憶をまざまざとよみがえらせることができるのは、ただ天使の水晶球だけなのだ。" p.185
ギュスターヴ・モロー『パルカと死の天使』の図像を見るに、縁遠いと感じていたキリスト教の宗教美術は形を変えて意外にも身近にあったのだと感じた。本書には時代による天使のイメージの受容の変化も取り扱っているから、AD&D系ファインアートやきたのじゅんこにそれを見出したと告白しても怒られはしまい。『パルカと死の天使』から想起されるのはもちろんデスナイトだ。
トールキン教授が創造した世界には元ネタがあるのだろうかと、探しもせずに長く問うてきた。カレワラという意見を見かけて読んでみたけれども、登場するパワフルな爺にイスタリを見たくらいで、神話世界的に似た雰囲気は感じなかった。これまで漠然とそうではないかと感じていたが、本書を読んで、キリスト教の神学が大きな幹と考えて間違いなさそうだと思えた。
二本の木は生命の樹と知恵の樹であろう。創生の音楽は、古代ギリシャで論じられた音楽論であろう。本書に曰く"古代ギリシアのピュタゴラスやプラトン以来、音楽とは、まず何よりも宇宙の数学的な構造にかかわるものであり、天体がその回転とともに奏でているものであった。「調和(ハルモニア)」はここから生まれてくる。" (p.87)。
モルゴスは直球で堕天使であろう。
TRPGをやらなくなって久しくコレ系から離れていたが、故郷に帰ってきた感がある。インスピレーションを刺激される。よい読書だった。
ところで、本書に「サルクス」なる語が紹介されている(p.50)。
Wikipediaに曰く――
”聖書におけるサルクス(肉)の独特な用法は、神学的なもので、サルクスとは、創造主である神から背き去り、いのちの源である真の神を見失って、生まれつき罪に傾く性質を帯びた人間、また、その性質を意味する。人は罪を犯したがゆえに罪人と宣告されるだけでなく、この罪に傾く性質を生まれながらにして有しているゆえに罪人とされる。”
アークナイツのサルカズの語源でよさそうなカンジ?
Posted by ブクログ
キューピッドと天使が習合するのは容易に想像できるが、
キリストと天使の境界も曖昧だったとは驚き。
そういえばロビンソン・クルーソーにも
キリストは天使か否かの話がチラッと出てきた。
俗なものと見なされていたものが
聖なることとみなされるようになっていく様子が
天使の描かれ方・解釈のされ方で見えてくるのは興味深い。
時代が下るにつれ、絵画・写真・文学に神やキリストが不在であっても
天使が必要とされ続けてきたというくだりが印象的。
また、快楽として遠ざけられていた地上の音楽が
14世紀の発展を経て、
まず天使に託されたことで蔑視から免れていく過程(第3章)は自分にとって身近なテーマでもあり興味を持った。
他は堕天使を必ずしも絶対悪と見做していないような図像に興味が湧いた。
時代と地域は改めてチェックしたいところ。