あらすじ
原発の発電コストは他と比べて安いと言われてきたが、本当なのか。立地対策費や使用済み燃料の処分費用、それに事故時の莫大な賠償などを考えると、原子力が経済的に成り立たないのはもはや明らかだ。原発の社会的コストを考察し、節電と再生可能エネルギーの普及によって脱原発を進めることの合理性を説得的に訴える。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
原子力関連の本を読み比べているが、数値的な検証は本書が一番緻密な分析がなされていると感じた。主に原発にかかるコスト(金銭としても、リスクとしても)を徹底的に検証しており、なぜ脱原発が必要なのか論理立った考えが示されている。
Posted by ブクログ
資源エネルギー庁は、原子力発電所を再稼働する理由を『命や暮らしを大切に思えばこそ、「安定的に」「安いコストで」「環境に負荷をかけず」「安全に」電力を供給するということが重要になります』と説明する。福島原発のメルトダウンが、安全神話を崩壊させたにもかかわらず、いまだに安全を標榜している。では、原発のコストは、本当にやすいのだろうか?
この本は、2011年12月に出版されている。福島原発メルトダウン以降の本である。この本の特徴は、実に冷静で、原発コストの問題を客観的に見ようとしていて、清々しい。
原発コストを考える上で、①発電原価の公表は、政府の「エネルギー白書」によれば、1キロワット発電量に、5〜6円とされている。そのコストは、発電所建設費、燃料費、運転維持費としている。
原発は40年償却、80%稼働が算出基準。実際はトラブルが多く、30年ほどで老朽化、稼働率は到底80%に届かない。あくまでも、このコストはモデルプラントの理論値として算出される。
②福島原発のメルトダウンによるの直接の被害の経費(そこに住む人たちの避難するコスト、原発労働者の被曝保障コスト、農林水産業の被害コスト、福島経済に与えた被害コスト)は、原発コストには入っていない。日本経済センターの試算によれば、福島第1原発事故の処理にかかる費用が最終的に70兆円近くに処理費が膨らむ可能性があると試算している。汚染水の増加によって80兆円を上回る費用になる恐れがある。③事故とは別に、原発を推進するための財政資金、大量の使用済み燃料の処理・処分のコストも、原発発電コストに入らず、国民の税金で賄われている。
福島原発のメルトダウンは、いつ起きたのか?その時の政府は、いつメルトダウンを発表したのか?
このことは、もっと検証する必要がある。2011年3月11日14時46分地震発生。原発への津波到着15時36分。その時には、1号機が水素爆発。15時37分。全電源喪失。17時頃に核燃料が露出し、メルトダウンした。つまり、地震が起こってから、3時間以内にメルトダウンしていた。その日以降、政府や東京電力は、「炉心の溶融=メルトダウンは起こっていない」と繰り返してきた。その後メルトダウンしたと発表したのは、5月中旬。アメリカ国務省は、当日メルトダウンしたという情報を把握して、3月16日に在日アメリカ人に日本脱出命令を出していた。全くもって、政府の許せない隠蔽体質。ここでは、多くを言わない。中国の雲南省にいた私も、3月の20日頃には中国報道でメルトダウンしたと聞いた。日本にいる日本人だけが知らされていなかった。(これは、別の本で詳しく)
原発コストにおいて、この原発メルトダウンによる環境汚染、大気への放射性物質の放出、63京ベクレル(原子力安全委員会発表)それは、広島原爆がセシウム137が89兆ベクレルだったので、セシウム137では、169発分という。大気汚染の上に、土壌汚染。海水汚染が加わる。その被害総額は算出されておらず、人体への健康破壊の影響は、現在も進行中である。約15万人の住民が直接的影響を受けて避難を強いられた。あくまでも、年間被曝量20ミリシーベルトの地域を目安にしている。健康被害を最小限にするには、年間1ミリシーベルトが本来の規制値。さらに拡大する水と食品の放射能汚染。風評被害など。そういう被害総額は、金銭で評価できる被害と金銭で評価できない被害がある。
人の死や健康被害、住み慣れた土地の喪失などは、本来金銭で評価できない。
金銭で評価できるのは①損害賠償費用②事故収束費用・廃炉費用。③原状回復費用④行政費用、さらには、⑥今後の地震、津波対策費用。本では、2011年11月時点では、約8兆5000億円。(それが現在2019年では、80兆円と試算されている)
この保障は、東京電力の賠償ではなく、「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」によって行われる。国民の税金で支払われて、原発電力コストには反映しない。
原賠法は、原子力事業の健全な発達に資することを目的として、賠償する。
なぜ、東京電力は賠償しなくてもいいかは、法律で定められていて、「異常に巨大な天変地変」で免罪されている。また、原発事故は、原子力事業者が損害を賠償する。つまり原発を造ったメーカーは免罪される。つまり、全員免罪で、賠償責任を負うこともなく、国民の税金を使うことにななるわけである。まぁ。この費用は、原発コストに入らないから、安いわけだ。大いなるトリックだね。原発を認めた国民の自己責任という論理のようだ。「安くて、安全」の原子力エネルギーの実態だ。
「異常に巨大な天変地変」として福島を襲った津波は、日本の歴史上例の見られない津波だったと認定されている。そして、「原子力損害賠償支援機構」によって、賠償されることになる。
2011年東電の第1、第二四半期決算の損失は、1兆1000億円で、それは支援機構から補填された。東電は赤字ではなく、東電の職員は、年末ボーナスが出ることになった。支援機構の原資は国債で捻出されているので、結果国民の借金から支払われる。
原発を進めるためのの技術開発コストと高速増殖炉、核燃料サイクル技術などのコストは、文科省、経産省、日本原子力研究開発機構と電事連が参加して、このコストも国民の税金で支払われる。つまり、開発費や使用済み核燃料などの保存と利用は、電力会社が持たなくてもいい。それは、原子力エネルギーの開発のためなのだ。だから、原発コストは安い。国民が負担しているだけなのだ。
電気料金は、総括原価方式となって、営業費用、事業報酬を公平・公正に決定する。
つまり、東京電力は、2010年 広告費を116億円使っているが、全て電気料金に含めることができる。そうやって、メディアに原子力エネルギーは安全であるという広告が支配できる。石坂浩二が「原子力は安全です」というテレビコマーシャルも、電気料金に入っているわけだ。
問題は、政策コストで、原子力は地域社会から受け入れられにくいエネルギーであり、電源三法交付金があり、地元自治体に交付金を出して、自治体を受け入れさせる。その交付金を電源立地地域対策交付金である。それも、国民の税金(電源開発促進税)から支払われる。電力会社が支払うものではない。核燃料再処理の環境影響評価をすることで、その交付金が支払われることになる。原発1基あたり、1240億円が45年間交付される。貧乏な地方自治体は、その交付金に惑わされるわけである。
著者が、「発電事業直接要するコスト」を計算したら、1キロワット原子力は8.53円、火力9.87円、水力7.09円。別に原子力が安いわけではないとしている。原子力のコストとして、プラス、技術開発コスト1.46円 立地対策コスト0.26円かかるので、10円は超えてしまう。火力や推力は、技術開発コストや立地対策コストは無視できるくらい安い。つまり、それにメルトダウンによる放射能汚染などの事故コストを足せば、原子力コストはもっと跳ね上がるのだ。
その上で、バックエンドコスト 核燃料を使用した後に残る使用済み燃料の処理・処分コストがかかってくる。政府の資産によるとバックエンドコストは18兆円という。そこには、含まれない膨大なコストが隠されている。それが、永久に近い時間がかかることになる。
結局、原子力コストは、国民の税金に振り分けられて、見せかけの安さだった。つまり、経済的合理性がないのだ。メルトダウンで環境を破壊し、安くない原発コストを再稼働させる必要はないのだ。
Posted by ブクログ
小浜に大島先生が来てくれて、お話しを聞いてから 説得力を感じています。鯖江市出身の人なので、福井県のこともわかってくれている。わからないことはわからないと言うところが 普通の大学の先生らしくなく 私はいいと思います
Posted by ブクログ
現在安倍内閣は原発再稼働について前向きとされているが、当の政治家自身も含め、われわれは原発というものに対してどれほどの智識があるであろうか。さきの都知事選では大大的に「脱原発」を主張した候補者が敗れたが、だからといって即座に推進に舵を切ってよいわけではなく、あらためて原発といま1度真剣に向き合う必要があるのではないか。本書は、そのようなことを考えるさいに非常に参考になる、第12回大佛次郎論壇賞受賞作である。タイトルが示すとおり、原発のコストについて叮嚀に解き明かされており、事故前から推進派によって繰り返されてきた「原発はロー・コスト」という主張が、いかにデタラメなものかを白日の下に晒している。むろん、著者は著者でバイアスがかかっており、全部を鵜吞みにするわけにはいかないし、肝腎のコストの計算方法や再生可能エネルギーにかんする記述について、問題がないと感じたわけではない。とくに、電力について考えるさいに、需要を過大に、供給を過小に見積もる計算方法について、「ムラ」の陰謀であるかのように論じている箇所があるが、停電のリスクを考えるのであればそうしたほうがよいと思う。しかし、こういった視点は重要であるし、原発について考えるさいに、「核のゴミ」の処理方法や事故時の対処費用についても考慮に入れるという基本的な考えは、まったく間違っていないであろう。じっさい、事故後から現在までに原発のせいで何兆円もの額が投じられているわけで、いまさらそれを無視してコストが安いなどというのは、まさに妄言以外の何物でもない。そういう意見に真っ向から反論できる内容が書かれているので、「脱原発」を趣向している私自身にとっても役に立つしまた読んでいて快い内容であった。本来ならデータ面への疑問などで評価は★★★★としたいところであるが、現在の日本の状況をかんがみるに、あえてこの本の評価を最高にする必要があると思ったのでそうしてある。
Posted by ブクログ
感情的になりそうな議論をデータに基づき、淡々の記述している点が好感が持てる。再生可能エネルギーへの転換を示しているが、欲を言えば環境省の提示データを鵜呑みにせず、原発データ同様の突っ込みが欲しかった。原発は政策コスト、バックエンドコストを考えると経済性メリットも低いことがよく理解できた
Posted by ブクログ
名著「自動車の社会的費用」の原発版。
事故時の賠償費用が巨額になることはもう実証されているが、平常時であっても実は高コストであることを、経産省資料などを基にわかりやすく説明している。特に、未着工時から自治体にばら撒く巨額の交付金など、原発のコストを丁寧に計算している第3章が面白い。
本書を読むと、原発建て替え検討を認めた有識者会合は、何じゃそりゃ、って感じですね。まあ、経産省は2015年に原発のコストを見直すそうだから、どんなものが出て来るか見ものです。
なお、筆者の主張が強すぎるのが玉に瑕。
Posted by ブクログ
論点は題名の通り。内容は所々難しいが、だいたいが行政言葉や専門用語のややこしさのせいかも。言わんとすることは非常に簡潔。再生可能エネルギーについての記述がちょっと雑で、脱原発というイデオロギーを強く感じて少し残念。最後まで客観的・科学的根拠がもっと示されていればなお良かった。
Posted by ブクログ
長い時間をかけて、読み終わった。原発をコストという面からみていくのは、置塩先生が言っていた社会的資本の考え、民衆の政策決定への参加という観点からも必要なこと。こういった精緻な議論がほしいところ。
Posted by ブクログ
現在、原発のコストと言われているものには何が含まれているのか。そこには本来、コストとして当然含まれていなくてはいけないものがもっとあるのではないだろうか。そうした疑問を一つひとつ検証しながら、原子力発電というものを今後どうしていくのか、「コスト」の面から考えてみよう、という本である。
人間はもとより、農林水産業などの被爆被害、各種の損害賠償、事故の処理・除染といった原発事故による直接的費用はもとより、原発政策を推進するための調査・研究や多額の交付金、核燃料サイクル、廃棄、気の遠くなるような長期の保管などを進めていく費用は、実に巨額に上り、しかも国民の収めている税や、消費者が支払っている値上げ分の電気代などが、湯水のように注がれていることを思い知らされる。
Posted by ブクログ
他電源より安いとされる原発のコストとは本当はどれほどのものなのかを、多側面から数字で表してくれる良書。今回の原発事故の推移も書かれており、200頁ほどのコンパクトな厚さながら内容は多岐にわたる。著者は環境経済学の専門家で、国家戦略室・コスト等検証委員会委員も務めた。
本書を通して感じたのは、そもそも原発とは全く割の合わない電源なのではないかという疑義である。安全性の問題はもちろんのことだが、原発立地の問題、最終処分の問題、事故リスク、賠償の問題など、原発のコストは安いと喧伝される裏に、膨大な「社会的コスト」が隠れている実態がある。たとえば核燃料サイクルで生じる高レベル放射性廃棄物は出来た直後は14000Sv/hという桁違いの放射線を発する。それを地下深くに埋めて、数万年かけて人体に影響のないように保管するそうだ。このコストはいわゆる原発のコストとして入っていない。もちろん金額としてそれは膨大なものだろうが、そもそも私たちは「数万年」という単位に対して責任をもつことができるのだろうか。「単に電気を得るためだけに、原発を継続して巨大なコストやリスクを背負い込むのは、合理的な判断とは到底言えない」(p.199)という言葉は「たかが電気」と発した坂本龍一氏を思い出したが、「たかが電気」のためのコストとしては原発のリスクは重すぎると、本書を読むと頷かざるを得ない。
ちなみに学術的な内容なのに、注がなかったり、ジャーナリスティクな部分で資料が不足している感は個人的に感じたが、広く読まれるためには必要なことなのだろう。前者はあとがきに「大学入学したての一年生が読んでも理解できるように努力しました」(p.219)とあるので、あとがきを先に読んでおくのもよいかと思う。著者の誠実さを感じた。
Posted by ブクログ
原発は火力・水力に比べてコストが低く、クリーンなエネルギーである。
中学生の時にそう習った記憶があるが、この主張に対してさまざまなデータを用いながら反論を述べている。
発電コストの算出方法についてもそうだが、使用済み燃料廃棄にかかる費用がきちんと計算されていない可能性があるというのにはひっかかるところがある。
また、地域ごとに電力会社が分割されていること、送電線の独占など、これから(やるとすれば)おおがかりな取り組みが必要となる事項が多いと感じた。
筆者の立場としては、原発は徹底的な安全管理がなされるべきで、かつほかの発電方法で賄えるのならば不要だと主張している。
国民全体が意識をもって関わっていくことが必要だと思う。いろんなところからの情報収集は欠かせないだろう。
Posted by ブクログ
経済産業省「エネルギー白書」のウソ!? 原発の不透明なコスト。リスクに見合うだけの費用が全く計上されない最低限の経済合理性すら抜け落ちたこの施設に僕らの未来は託せない!
Posted by ブクログ
福島原発事故を受けて、原発のコスト面からエネルギーの転換を考える
原子力村、 原子力複合体
電力9社、電事連、プラントメーカー、ゼネコン、原子力産業協力会企業、関連労働組合、経産省などの中央官庁、政治家、各種メディア、学者・研究者、・・・・
Posted by ブクログ
啓発されることの多い本でした。
支援機構から交付を受けると、賠償金は帳簿上「特別利益」になるなんて・・・・。
日本列島が現在の形になって三万年。半減期が二百万年以上もある放射性物質があるという・・・・。
原発の安全神話を作りだした原子力村の話を聞いていると、満州事変から太平洋戦争に至っていった日本人の心理を思い出す。
「資源がない国だから・・・」という大合唱が相変わらず聞こえてくる。
Posted by ブクログ
原発は決して安価な電源でなく、さらにはエネルギー収支もプラスにならない(建設、燃料製造、再処理、廃炉、廃棄物管理に投入するエネルギーの方が生み出すエネルギーより大きい)という内容の本を読んだのはもう30年ほど前であろうか。福島の事故でこういう真実がより多くの市民に知られるようになったのは不幸中の幸いである。
ただ書名に『原発のコスト』とあるのに、それについて分析したのは3章だけで、あとは反原発の総論的な内容に終始している。原発コストの大半を占めると思われる事故リスクや廃棄物処分のコスト試算も詰めが甘い。また総括原価方式を採用しているが故に、固定資産額の大きな原発の保有は電力会社の経営に有利であったことにも触れられていない。これでは30年前の本(残念ながら書名を失念してしまった)より内容に乏しく、福島の極めて大きな代償が無駄になっている。経済学者としてもっと踏み込んだ分析を期待したい。
Posted by ブクログ
非常に参考になる視点多し。忘れたらあかんと思うことも。若者に賭けると言われてもなぁ・・・と最初は思ったけど,そうするしかないよなぁと思うに至り,さらにもう少しポジティブに考えてもいいかもしれないと思うに至った。
Posted by ブクログ
経済性が謳われる原発だが、技術開発やリスクなどをコストに加えるとけっして安くない。昨今の原発報道である程度は見聞きしていたことがメイン。再生可能エネルギーのところはもうちょっと書き込んでほしかった。
Posted by ブクログ
本書は、電力会社やお抱え学者、マスコミ、経済界などが、わかっているのに無視し、国民に伝えない原発の抱えるコストについて、丹念に解説した良書だと思う。
普通に読んでいただければ、原発だけが突出して技術開発、立地、運用のため地域への助成金ばらまき、当てのないゴミ処理、そして金銭に換算すらできないような巨額の損害賠償費用、事故処理費用など「発電コスト」ではない「原発のコスト」がかかっているにもかかわらず、「発電コスト」が安いといって推進しようとする国会議員(ほぼALL)や経団連米倉某などが目先の自分の利益しか考えておらず、日本の国土や国民、そしてその末来、子孫のことはまったく考えていない、最低の輩どもであるということが、くっきりと浮かび上がってくる。
また、本書で指摘されているが、原発事故の当事者(加害者)となっているのは原子力事業者(東電)ひとりであり、原発を作ったメーカーは免責され責任の追及は受けていない。これは、当初積極的に導入された原発のメーカーがどこのものであったかということが重要なポイントになっており、そして彼らが免責を求めてきたことが、きわめて有効に機能したということ。その、あざやかな逃げっぷりには感心すらしてしまう。
ビジネスは、こうやらなくっちゃ。あ、脱線^^;
まず一回読んで内容を理解し、きちんと論評したい方は手元において参考にしましょう。
Posted by ブクログ
原発コストが他の発電方法に比べ圧倒的に高いという主張の内容。
原発については事故後対応や使用済核燃料処理などの社会コストを含んでいるにもかかわらず、代替の化石燃料発電のCO2対策などには何も言及されていないのが気になった。
この本に限らず現在出版されている本のほとんどが脱原発推進だが、あの事故以降なお原発推進を唱える方々の主張をまとめた書籍も読んでみたい。
そのうえでこの問題に対して一定の理解を示したいと思う。
Posted by ブクログ
原発が経済的にお得という宣伝の根拠にされてきた政府の算定に意義を唱える本。原子力村は「村」どころの生易しいものではないという認識から,「原子力複合体」という呼称を採用。反原発方向にバイアスがかかっているので,話半分に読んだ方がよさそう。再生可能エネルギーにはだいぶ好意的。
著者は経済学者なんだけど,金銭に換算できない「被害の総体」のすべてが賠償されるべしと主張しているのは何だか不思議(p.46)。
もちろんコストの計算はしていて,減価償却費・燃料費・保守管理費等の直接コストのほかに,高速増殖炉・再処理技術等の技術開発や立地対策に支出される政策コスト,環境破壊や事故処理を通して外部が負担している環境コストも考慮する必要があると強調。それはそうだろうな。
結局,事故を計算に入れなくても,脱原発による便益は年平均約2兆6400億円で,脱原発にかかるコスト年間約1兆4700億円を上回るとしている(pp.196-199)。この数値が妥当なものかどうかは皆目見当がつかない。よもや結論ありきの計算ではないだろうけど。
原子力に関するすべての情報を公開し完全に透明にすることで,エネルギー政策を民主化せよとも主張。まあ正論だろう。
難しいのは,市民が市民がと言っても,たいていの人はあんな事故があってもあんまり関心をもって調べたりウォッチしたりしないし,公開情報を駆使して発言できるのは意識の高いプロ市民か,そうでなければ「原子力村の村民」か「準村民」ってことにされちゃいそうなところかな。もっと冷静に情報を媒介してくれるメディアがあるといいんだけど。
Posted by ブクログ
筆者が徹底的に原発反対の立場から書いている。
論旨が一貫していて好印象。
原発が安全か否かよりも、行政や電力会社の実態に、原子力発電所の問題があるということがわかった。
Posted by ブクログ
原発の実際のコストが経産省発表のものよりも高いことを示し、再生エネルギーに舵を切るべきだと主張する本。
事実の整理に関しては、実に秀逸。特に、原子力損害賠償法、並びに原子力損害賠償機構を網羅的かつ簡潔に記述しており、賠償スキームの構造を理解するにはうってつけ。また、本書が最も力を入れている部分である、経産省による原発コスト計算の恣意性に関しても、非常に詳解でありながらも明瞭な説明をしている。少なくとも、前提の置き方次第で、原発は最も安い発電方法にも、最も高い発電方法にも成りえることが分かる。
しかし悲しいかな、原発の是非を巡る本の常で、議論に凄まじくバイアスがかかっており、「では、どのエネルギー源を推進すべきか」という問いに、客観的な答えを提供してくれない。原発に関しては、本当に関心するくらいに、コストに詰め込みうる要素をこれでもかと集めているのに、自分が推奨する再生エネルギーについては、一転、扱き下ろしている『原発安全神話』の信望者も真っ青になるような、無批判かつ楽観的な態度を見せる。
いや本当に、その落差たるや凄まじく、公共経済学の第一人者が放つ渾身の研究調査が、いきなり小学生の調べもの学習レベルになる、というコントを見ているかのような錯覚に陥った。思わずズッこけ、『ひょっとしてこれはギャグなのか?いや、原子力安全神話の信望者たちに対する風刺?』と本気で疑ってしまうこと受け合いであり、そういう意味では必読かもしれない。
そんなわけで、『再生エネルギー最強神話』の信望者が原発コストを(論理的に妥当な範囲内で)見積もると、原発は最も高い発電方法になりうるよ、ということが確認出来る本、というのが本書の正当な位置づけかと。
ここから少し飛躍した教訓を得るとすれば、『結局どのエネルギー源が最も経済的かは、誰もよく分かっていない』ということであり、昨今のエネルギー政策を巡る混迷を見る限り、実際そうなのだろう。