あらすじ
もっと裕福な家庭に、魅力的な容姿に生まれたかった、いっそのこと生まれてこないほうがよかった……近年、若者の間で瞬く間に広がった「親ガチャ」という言葉。人は生まれてくる時代も場所も、家庭環境も選ぶことはできない。そうした出生の偶然性に始まる人生を、私たちはどう引き受けるのか。運命論と自己責任論とが交錯するなか、人気漫画からハイデガーやアーレントまで、社会と哲学の両面から読み解く。
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Posted by ブクログ
責任は「私」が「私」であることを引き受けること。他者との連帯、対話があって初めて自分自身に向き合うことができ、自分の人生を引き受けることができる。
親ガチャ的厭世観を乗り越えるために求められるのは、なによりもまず、社会における対話の場の創出である。
Posted by ブクログ
親ガチャ的厭世観に囚われている現代への処方箋のような本。
反出生主義やゲノム編集のテーマをワンピース、進撃の巨人、ポケモン等のキャラクターで扱っていたのが面白かった。
偶然自分として産まれたこと、自分自分自身をありのままに引き受けることができるように、対話の場が必要。
Posted by ブクログ
親ガチャとはアメリカンドリームの対義語である。
社会学者土井隆義「親ガチャ的な決定論的人生観に囚われているから、新しい居場所を形成できなくなっている」
ひろゆきによる無敵の人の定義は
1.社会的信用がない
2.インターネットによって大きな社会的影響を与えることができる
ことで、「厳罰化しない限り対処できない」とするが、彼らが未来永劫、本質的にこれらの条件を満たすわけではない。社会的信用を回復させることで、無敵の人の犯罪と再犯を抑止できる。
そのためにも、
1.社会保障の充実による、社会的信用がなくても生きていけるようにする 例)竹中平蔵「ベーシックインカム」
2.社会的包摂を促進し、人々に社会的信用を取り戻させること
が有効。
「保育園落ちた、日本死ね」は「投稿者」と「日本」しかなく、間にある「我々」という中間共同体が存在していない。社会を「as a service」として捉えているからメンバーシップ(人的要因)が軽視され、税とサービスのみに拘泥している。よって、「我々」を広げていくことで連帯を実現できる。そのためにも、想像力が必要。