あらすじ
我が人生の伴侶、愛猫アブサンに捧ぐ。著者の愛猫アブサンが、’95年2月10日、21歳という長寿をまっとうし、大往生をとげた。直木賞受賞作『時代屋の女房』にも登場するアブサンとの“ペット”を越えた交わりを、出逢いから最期を通し、ユーモアと哀感をこめて描く感動の書き下ろしエッセイ。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
著者とその妻のもとで、21歳の長寿を全うした猫のアブサンとの生活を語ったエッセイ。
著者がアブサンを見つめる視線は、すごく温かいという意味では単なる「ペット」という言葉を超えており、他方でアブサンの中に自分とは違う個を見ようとしているという点では手垢のついた「家族」という言葉では足りず、「同居人」と呼ぶのが適切なような距離感があります。猫と人間の付き合い方はこういう形が理想的なのかもしれないと思いました。
最後までどことなく哲人のような印象を残して逝ってしまったアブサンとの別れのシーンはたいへん切なくなります。
Posted by ブクログ
格闘技ファンの作家というイメージか先行して、今まで読んでなかった村松友視さん。カバーのイラストの猫がなんとも可愛くて買った本なのに本棚にずっと眠っていた。
最初に、アブサンの原点を探しに行くシーン。日比谷公園にはあるある、野良猫がいっぱいいるところ。数多い野良猫の中から縁あって伴侶になり、心を通わせられたと思い込み(人間の勝手な思い込みかも、と思いつつ)、その存在に依存して暮らすようになるのだから、たかが猫、されど猫なのである。猫の素人の奥様よりは、昔、猫と暮らしてきた自分に、よりなつくはず、いう自負を持つ村松さんと奥様のやり取りが微笑ましい。最後の数ページは涙しながら読んだ。感情的な文章ではなく、淡々とアブサンとの別れを描いていて、生き物を伴侶にしている者が、まず必ずと立ち会うであろう訣別を、自分なりに覚悟させられた。
読まず嫌いだった村松さんの本、今後は読んでみたいと思った。
Posted by ブクログ
マルノウチリーディングスタイルで、作家さんの誕生日ごとに並んでいるバースデー文庫を買ったらこれでした。だから最初は内容で読みたいと思ったわけじゃなくて、そもそもあんまり動物が好きではないし、ペットを飼うのもむしろ嫌なほうなんだけど、読んだらほっこり、じんわりしてしまった。解説にもあるとおり過剰な表現ではなく、あったことを書いているという感じなんだけど、確かにそこには誠実な愛情が滲み出ている。そしてあっさりゆったり力の抜けた文章で語られるものだから楽しく油断して読んでいたら、エピローグで泣きそうになってしまった。それでもエピローグも抑えた描写で、ちゃんとアブサンと向き合っていたのだなという姿勢が見える。
先日読んだ「昭和の犬」といい、淡々と抑えめに書かれた動物の話なら読めるなあと思った。それは、「動物の気持ちがわたしには分かる!通じ合っている!」と思い上がることのない誠実な愛情が良いのだなと思う。人間同士だって相手の心など分からないのだから。
Posted by ブクログ
和田誠さんの挿絵の可愛さにまずココロをぎゅっと掴まれました。
アブサンを拾ったのではなく出逢ったってくだりに猫愛を感じられ、私も何処かで出逢わないか、ネコ屋でペット用ボックスを見ておこうかと思います。
Posted by ブクログ
10年ほど前に読んで、部分的に何度か再読していたが、今回ふとしたいきさつで知人のネコをひと月半ほど預かったことで読み直した。
子供の時から家にはネコがいて、ずっとネコを見ながら生活していた。そんなネコを飼ったことのある人なら文中の描写にネコのしぐさがありありと思い浮かび、ニヤリと笑いながら読んでしまうだろう。愛すべきネコへの気持ちがにじみ出てくる文章だ。ネコを飼っている人にたびたびこの本を勧めてきた。
ペット、いや伴侶のネコはいつか死の旅に出る。最後はさすがに湿っぽいが、21年の生涯を全うしたネコへの愛情と家人との暮らしぶりをユーモラスに描いた物語。一気読みだった!
Posted by ブクログ
遅ればせながら、村松友視さんの「あぶさん物語」を読みました。あぶさん、21歳で幸せな生涯を閉じた・・・いいえ、村松夫妻の心に、読者の心に、そして私の心に生き続けてますね!
著者と二人で東京から新神戸に新幹線で旅した日・・・、生まれて初めて猫と対面し、ぐるぐる喉を鳴らしてるのが怒ってると勘違いして、途方に暮れてた奥様・・・。1995年12月、発行されるや否や猫好きは言うに及ばず、皆様に読まれたベストセラーだそうですね!時代を超えていつまでも感動を呼ぶ作品だと思います!
Posted by ブクログ
16年前(1999/4/7)に読んで本棚に入れておいた文庫を再読。
覚えていたより易しい文章で、アブサンと同じキジトラの、まだ生まれて6ヶ月のうちの猫が寝ているのを片手で撫でながら、すらすら読んでしまった。
最終章では、一昨年アブサンと同じ21歳で亡くなったうちの三毛猫の最期を思いだしてぼろぼろ泣いた。
それにしても男のひとが動物に対して向ける誠実さ、距離の取り方って、滑稽なくらい生真面目で愛しい。
Posted by ブクログ
今読むと平凡なエッセイだが、当時は元編集者の村松友視、椎名誠、嵐山光三郎の三氏が始めた新しいスタイルのエッセイだったそう。
最終章では泣けた。
Posted by ブクログ
【本の内容】
我が人生の伴侶、愛猫アブサンに捧ぐ。
21歳という長寿をまっとうし、大往生をとげたアブサンとの“ペット”を超えた交わりを、ユーモアと哀感をこめて描く感動の書き下ろしエッセイ。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
アブサンという猫と出会い、元来強烈な猫好きであったとも思われない著者が世話をすることとなり、実に21年間伴侶として過ごした事象が綴られている。この本の最大の特徴は何か。著者の読み手への心遣いである。出会いの経緯、去勢、撮影モデル、旅行、往生のエピソードにおいて、実はアブサンの行動は極めて簡略に記されている。あくまでアブサンに関わる自分の狼狽、カミさんの成長?が滑稽に綴られているのだ。
Posted by ブクログ
2009年4月3日購入
最後は・・・(ゴシゴシ)
まあいいや。
少し引いて眺めた感じの文章で
たんたんとアブサンと私のことが綴られる。
筆に力がこもってくると
自分でもわかるのか茶化すような文章が入るのが
なかなか面白い。
猫の話はやっぱり好きである。
Posted by ブクログ
今宵も猫本を1冊。内田百?『ノラや』とはちょっと趣向を変えて(失礼、かな?)、これを読み返して、寝ます。『ノラや』から町田康『猫にかまけて』『猫のあしあと』というライン(私が勝手に引いた)があるとすれば、年代的にも状況としてもその間に置かれるべき1冊。とはいえ、そのラインからはちょっと逸れるかな、というのが個人的な感想です。私がそう感じる理由は……。いくつかあるし、詳述すれば長くなりそうだし、ちゃんと綴れるかどうか心許ないし、控えます。敢えて、一言。「伴侶」であるアブサン(猫の名)が死んだとき、著者の「カミさん」は「辰吉丈一郎の十二ランウド目」と綽名されるほど泣き腫した、……と述べられているけれど、私が「泣いた」ことは書かれていない、ということ。敢えて言えば、そこが内田百?・町田康との違い、かな。勝手な感想で申し訳ない。でも、猫の大往生(と言っていいのでしょう)を看取ることのできた幸せ、というものも感じます。私は、ここに書かれているような事態が、実は嫉ましいのかもしれません。突然いなくなる、不慮の事故でなくす、よかれと思ったことではあるが僅かな時間で他人に託す、…、そういう猫との別れ方の多かった私は、最期を時間をかけて看取ることを許されたい、と思ってしまいます。いずれにしても、こちらの身勝手なのでしょうけれど。猫が、幸いなれば十数年から二十年余は長生きするとして、私が「その一生」に寄り添うには……、もう残されたチャンスは少ない?そんなことも考えて、また別な意味でせつない。この本自体の感想になっていませんね、再度陳謝します。「アブサン」は言わずと知れたお酒の名。「不在(absens, absentia)」とは直接関係ないけれど、どうしても「不在」の一語をイメージしてしまいます。それが私にはせつない理由のひとつでもあります。それにしても、羨ましい!こんなふうに一猫と添い遂げてみたい。