【感想・ネタバレ】スポーツウォッシング なぜ<勇気と感動>は利用されるのかのレビュー

あらすじ

「為政者に都合の悪い政治や社会の歪みをスポーツを利用して覆い隠す行為」として、2020東京オリンピックの頃から日本でも注目され始めたスポーツウォッシング。
スポーツはなぜ“悪事の洗濯”に利用されるのか。
その歴史やメカニズムをひもとき、識者への取材を通して考察したところ、スポーツに対する我々の認識が類型的で旧態依然としていることが原因の一端だと見えてきた。
洪水のように連日報じられるスポーツニュース。
我々は知らないうちに“洗濯”の渦の中に巻き込まれている!

「なぜスポーツに政治を持ち込むなと言われるのか」「なぜ日本のアスリートは声をあげないのか」「ナショナリズムとヘテロセクシャルを基本とした現代スポーツの旧さ」「スポーツと国家の関係」「スポーツと人権・差別・ジェンダー・平和の望ましいあり方」などを考える、日本初「スポーツウォッシング」をタイトルに冠した一冊。

第一部 スポーツウォッシングとは何か
身近に潜むスポーツウォッシング
スポーツウォッシングの歴史
スポーツウォッシングのメカニズム
第二部 スポーツウォッシングについて考える
「社会にとってスポーツとは何か」を問い直す必要がある ――平尾剛
「国家によるスポーツの目的外使用」オリンピックのあり方を考える ――二宮清純
テレビがスポーツウォッシングを報道しない理由 ――本間龍
植民地主義的オリンピックは<オワコン>である ――山本敦久
スポーツをとりまく旧い考えを変えるべきとき ――山口香

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Posted by ブクログ

ネタバレ

スポーツウォッシング、スポーツの感動を利用して政治とか不都合な事実をかき消すどころか、悪い部分をよい印象に書き換えてしまうこと。
利用されるのは悔しいが、スポーツをしない、感動を与えないという選択肢も違うと思う。
印象に残ったのは以下2点。
スポーツとは、国、育ちとか関係なく人に平等に与えられた権利、条件のスタートから競いあうもの、という大前提に立てば、アスリート達が政治に物言うことはできなくても人権について伝えたり差別、ダイバーシティとか訴えることはできること。
また、スポーツが政治利用される背景に、スポーツはやる側、見る側、運営する側とか、役割が固定しがちだが、流動的に変わることで、課題に気づきやすくなるとのこと。

今、自分はマラソンをやってるんで、その中で社会に何か伝えられるかとか、逆に大会を支える側とかになりながらいいスポーツウォッシングにしていきたい!

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2023年11月25日

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