あらすじ
【小説版登場!】映画『ゴジラ-1.0』の小説版が登場。焦土と化した日本に、突如現れたゴジラ。残された名もなき人々に、生きて抗う術はあるのか。
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Posted by ブクログ
2024最初に感想を書く小説は、この『(小説版)ゴジラ-1.0』。
私だけかも知れないが、映画を先に観るか、原作小説もしくは漫画、または、ノベライズ作品を先に読むか、悩んでしまう。どちらを先にすべきか、その正解は未だに分からないが、一つはっきりと言えるのは、本当に好きならば、両方とも観て、読むべきだ。
この『(小説版)ゴジラ-1.0』を、私は映画を先に観て、監督である山崎貴さんが書いた小説を後に読んだ。ぶっちゃけ、これは、小説を書店で買えなかったので、流れで映画を先にしたって感じ。小説を読んだ時は、これと言った後悔やつまらなさはなく、むしろ、更に楽しめたので、『ゴジラ-1.0』に関して言えば、この順番で正解だったのかも。
『ONE PIECE』や『名探偵コナン』レベルで超ヒットした作品なので、映画を観て、小説を読んだ方も多いだろうから、ネタバレかましても構わない気もしたんだが、いざ、書こうとしたら、情けない事に、私の実力じゃ、この『ゴジラ-1.0』のストーリーが放ってくる凄味、何より、ゴジラの神じみた存在感を余さずに説明できる気が、一向にしない。
そんな私が言えるのは、人間、生きてれば、死にたくなるような絶望的な状況に陥るけど、そこで死を選ばず、怒りでも、憎しみでも、罪を償いたい気持ちでも何でも構わないから、生き続けてれば、生きていて良かった、死ななくて良かった、と心の底から思える希望を掴める、そんな在り来たりな事だけだ。
この台詞を引用に選んだのは、シンプルなものだからこそ、葛藤と懊悩、自己や記憶との対話を経て、この決断に至った橘さんの漢気を視る事が出来るからだ。
あれほどまでに深かった敷島への憎しみを乗り越え、自分の命を擲ってでも、仲間を、国を、そして、愛すべき家族を守ろうとしている一人の男を許し、明日を掴むチャンスを作った橘さんを、青木崇高さんが演じてくれて、本当に良かった。
「生きろ」(by橘)
Posted by ブクログ
映画にはなかったシーン(大戸島で深海魚の鍋を食べるシーン)や登場人物の気持ちなどが書かれていて映画の内容を補完するのにうってつけの一作。
そしめ、最後のところで典子の首にあったアザって…
Posted by ブクログ
短編でサクッと読めるボリュームと、飽きない展開で楽しめた!
ゴジラの禍々しさに手に汗握り、想像だけで絶望した。
映画は映像をわかりやすく楽しむ、小説は話や設定を深堀りして楽しむって感じ。
どちらも良き。
Posted by ブクログ
今年1月、「ゴジラー1.0」のモノクロ映像版を観た。機会があれば是非観て欲しい。カラー版に残っていた「特撮色」が上手い事消え去って、まるで戦後間も無く作られたのではないかと錯覚するようなリアル感が時々襲って来ることによって、ゴジラというとんでもない怪物を招来させてしまった「時代」という化け物が浮かび上がる作品になっていた。
小説版は、映画のあとに読んだり聴いたりした方が良いと思える(私はaudibleで聴いた)。幾つかの興味深い「監督自身の世界観の表出」はあるのだけど、映画俳優たち個々の感情表現の方が、ナレーターの台詞回しを残念ながら凌駕しているからだ。何よりもゴジラの存在感は、映像を見ていないとイメージしにくい。
その上で、「小説版描写」によって興味深かったことを幾つか。
・1946年夏、ビキニ環礁で原爆実験が行われ、古代恐竜のゴジラも被爆した。小説ではその描写は、正に原子炉の暴走のように描かれる。また、ゴジラの発する「熱線」は「物質の水蒸気爆発」を起こし、その後には「巨大なキノコ雲」さえ残っており、今迄のゴジラ映画以上に「原爆映画」になるように、少なくとも脚本段階では、監督は思っていたようだ。映画では少し薄まっているのが残念。
・秋津の言う「情報統制はこの国のお家芸だ」と言う台詞や、ゆきかぜ元艦長堀田が「(米国や日本の)軍事行動は大国の刺激するために不可能だ」と言ったり、元海軍技術士官野田が最終決戦に向けて元兵士に呼びかける言葉「日本政府も米軍も当てにできない今、我々(民間市民)しかこの国の未来を切り拓くことができないんだ。これは命令ではありません。」等の台詞は、そのまま映画に使われた。ここまで日本政府と同等にアメリカ米軍を構造的に批判する作品を作るのは、日本のエンタメ映画としては珍しいのではないか。反対に言えば、よくぞアカデミー賞とれたな、と思う。
・私には、これが山﨑貴監督作品でヒットした「永遠の0」のアンサー作品のような気がしてならない。「永遠」は、原作はもとより、映画オリジナルの最後ニヤッと笑って特攻して死んでゆく主人公含めて、私は「糞映画だ」と思っている。今作では、あろうことか冒頭主人公は、特攻命令に背いて不時着するのである。それでも尚且つ「お前は逃げた」という死亡兵士たちの声に苛まれ続けているという設定である。「永遠」と真逆の主人公なのだ。
敷島が「僕は生きているんでしょうかね」
と愚図っているのに対して、この時18歳設定の典子は
「生きている限りは、生きていかなくちゃならない」
と、母親のように主人公をかき抱く。最後の最後まで、エンタメらしく奇跡を演出しながら、「生きて、抗え」とテーマを貫き通した。
山﨑貴監督は、「永遠」に満足していなかったのだ、と分かり、私は嬉しかった。2回も観たはずなのに、audible聴きながら恥ずかしい顔になってしまった。
・ゴジラ初上陸のときに銀座を歩いていたのは晴見通りで、典子が落ちたのは外堀川。その時の犠牲者は死亡者3万名、被災家屋二万以上らしい。
・銀座にやってきたとき、勇敢にもアナウンサーがゴジラを実況中継していた。朝日新聞社前の松田ビル屋上だった。これは生中継ではなかった。録音のためだったのだ。勿論、ゴジラの尻尾の一振りで亡くなって仕舞う。ただ、この時の録音が、ゴジラを最終決戦で相模湾に誘導するための「ゴジラの咆哮」に使われていた!アナウンサーの死は無駄ではなかった!という事は小説で初めて知った。
・「何故、ゴジラは何度も日本を襲うのか」というよくある疑問に、野田は「この前の上陸で、ここもゴジラの縄張りの一つに加えられた。(録音された)ゴジラの声で、ゴジラは別個体に縄張りを荒らされたと考え、追って来る、はずです。」と答えている。これは映画にはなかった台詞(?)。
・最後、沈みゆくゴジラに対して、まるで荒ぶる神に敬意を表するように、海軍兵士は思わず「敬礼」をした、とある。これは映画にあったろうか?ハリウッド映画では、決して出てこない場面のはず。もしかして、編集で削ったか?海外進出するなら、賛否両論ある場面だろうと思う。
・典子の最後のアザは、私は気がついていない。あった?(もしあれば、とんでもない可能性が浮かび上がる)
・これら重要な疑問が湧いた。もう一度観ないといけない。えっ?アマプラに入ったの?
Posted by ブクログ
Audibleにて。
痣の正体がゴジラ細胞だった場合、次作はゴジラ対ノリランテになるのかしら。…だとしたら見ない。
戦争と核の象徴としてのゴジラではあるが、今回のはどちらかというと神とか自然災害とか、人の手ではどうしようもないものの象徴のように感じるな。
その意味では人災よりも天災に近いイメージ。
が、そもそも人災は本当に人間だけのせいなのか?とも考える。たとえ人災といえど、抗い難く起こったのだとすれば、もはやそれは運命に近いのではないか。人の手でどうにかなるのか?戦争は人災なのか?
…なかなかに人の叡智、その可能性を信じられなくなってるな。
しかしこれとは逆説であろうか。「その責任は人にあり!!」と過剰なまでに罵る事態が起きるのは。本来は、神レベルに向けるべき憤りを人レベルに矮小化させて責任追及をしている事象に出会う。
なるほどあれはまだ人間の可能性を信じているんだな。そう思えば、過剰な人叩きも希望の光を持って見ることができそうだ。
悲しく愚かしいことにかわりはないけれど…。
Posted by ブクログ
P20 零戦の20mmに限らないけど、200から300m先に左右の射線が交差するように設定してあるので、砲台や銃座としては使いにくいのが現実。
P69- 新生丸、海進丸が『ジョーズ』のクライマックス
P113 四号戦車…試製四式中型戦車(75mm砲)のことか?
P115 固体が液体をスキップして気体になる。なんで昇華と記さないのか?学校で習うよね?
115/188ページでヒロイン死亡
P138 震電を修復するための橘召喚で、敷島の取った手段が外道の極み。でも、本気度が伝わる。
P163 エアブレーキ、フラップ
空戦フラップというのがあったけど、空中戦機動では速度の低下はダメというのが基本だったかと
P164 巡洋艦
たぶん、駆逐艦の間違いかと
軍事考証はスルーしました
Posted by ブクログ
山崎貴『小説版 ゴジラ-1.0』集英社オレンジ文庫。
ゴジラ70周年記念作品となる映画『ゴジラ-1.0』を山崎貴監督が自ら小説化した作品。
原点回帰のゴジラといった感じで、ストーリーは単純明解だ。初代ゴジラと同様にビキニ環礁での原爆実験によって巨大化した古来からの生物がゴジラと化し、戦後の日本を襲う。ゴジラに必死で立ち向かう日本。果たして日本はゴジラを打ち倒すことができるのか……
戦争末期、零戦で特攻出撃した敷島浩一は自らの命を長らえるために卑怯にもUターンし、大戸島に軟着陸する。しかし、その島に突如現れた未知の巨大生物、呉爾羅。呉爾羅は大戸島の整備兵たちを襲う。逃げまどう整備兵たちに零戦で機銃掃射することを懇願される敷島は零戦から逃走する。
大戸島から日本に戻った敷島は荒れ果てた東京で両親を失ったことを知る。そんな中、敷島は明子という赤ん坊を抱えながら強く生きる大石典子という女性と出会う。
そして、ビキニ環礁での原爆実験により放射能を浴びた呉爾羅は巨大化して、ゴジラとなり、東京の町を襲う。
自らの汚名を晴らすためにゴジラに立ち向かう敷島浩一の運命や如何に。
本体価格680円
★★★★
Posted by ブクログ
小説というより、脚本に近いものでした。映画を2回鑑賞後に本書を手に取りました。ほぼ、映画と同じ展開です。ぜひ、映画館のスクリーンで迫力満点のゴジラをご覧になってください。
Posted by ブクログ
良くも悪くも映画のノヴェライズ。
映画の脚本の『ト書き』を、文字に起こし治して
小説化しただけ ... と言うのは辛辣すぎるだろうか。
映画を拝見した後に本書を読んだので、
小説版も悪くはなかったのだが、
各キャラクターの背負った背景の紹介や、
内面をもう少し掘り下げた描写を期待していただけに、
肩すかしを喰らったように感じてしまったのかもしれない。
映画はテンポも良く、楽しめました。
Posted by ブクログ
いい意味でも悪い意味でも映画のまんまでした。
細かな心理描写だったりが描かれてるのかと思ったけど
そんなことも無く、映画を観ているから
情景が頭に浮かぶけど、観てなかったらわかんなかったかも。
だけどまぁ、やっぱ泣きました。
ひとつひとつのシーンが蘇って、
役者たちの顔で、声で、脳内再生されたのもよかった。
ただ、まんまなので少し寂しい気も否めない。笑
Posted by ブクログ
私にとってのゴジラは【ゴジラ対ビオランテ】!
植物細胞とゴジラ細胞により作られたビオランテがゴジラと対決する映画!
自衛隊の対ゴジラ兵器のスーパーX2も頑張ります!
本作はゴジラが誕生直後に日本を襲う物語!
舞台は戦後の日本!
特攻隊の生き残りの敷島は大戦末期にある島で謎の生物の襲撃を受ける!?
敷島は戦争のトラウマに追われ続けるものの少しずつ幸せになりかけていくのだが、本作の題名がそれを簡単に許してはくれない・・・
太平洋戦争で負けた者たちは東京を救えるのか!?
復員者達の東京リベンジャーズ!?
三丁目の夕日のオープニングで東京がゴジラに襲われているのを思い出しました。
映画観てみようかなぁ!!!