あらすじ
索引をめぐる物語は、冊子本や活版印刷の発明などの書物史とともにあり、情報処理の歴史でもある。ドイツの印刷所、啓蒙派のコーヒーハウス、小説家の居間、大学の研究室を巡り、皇帝や法王、哲学者、首相、図書館員、プロの索引作成者たちを取材。索引が異端者を火刑から救った逸話、索引で政敵を挑発する流行なども紹介しつつ、13世紀の聖書の写本から今日の電子書籍にまで連なる道筋を描き出す。読書家垂涎の「索引」秘史!
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Posted by ブクログ
索引が大発明?と思いましたが、考えてみれば本が作られたときから索引があったわけではないのです。
小説には目次はありますが、索引はない、事が多い。
しかし辞書や図鑑、研究所や報告書などに索引は必須。
じゃないと、知りたいことがどこに書いてあるかわかりません。
でも、本が巻物だったころ、索引なんてありませんでした。
最初から最後まで読まないと、内容が分からない。
索引というのは、要するに位置情報なのです。
これこれについて知りたいと思ったら、索引でそれらについて書いてあるところを調べてみればいいのです。
本が、今の形になって初めて索引は作られます。
なぜならページをつけることができるようになったから。
しかし、それだけでは索引はできません。
見出し語のセンス。これ大事。
多すぎては意味がないし、少なすぎれば役に立たない。
だから、いい索引はプロの、腕利きの索引作成者が作っているのですって。
当たり前のことなのですが、今まで考えたこともないので目からうろこです。
人が、一冊の本に書かれている言葉を、データとして分類してページと紐づける。
これは相当の時間と労力を必要とします。
だから索引より先に、章タイトルができました。
ある程度、「こんなことが書いてあるよ」と分かるように。
そういえば17世紀くらいの長編小説って、章タイトルの後に、その章で書かれているエピソードを細かく記載しているものがあったなあ。
これも、索引代わりということか。
しかし、研究者や有識者などが、本文から簡単に知りたい部分をみつけられるのはいいけれど、これが行き過ぎると索引だけで情報を得て、肝心の本文を読まなくなるのではという危機は、索引という概念ができたときから懸念されていました。
効率的に内容を把握するのは大事だけれど、中身を深く読みこんでいくのはもっと大事、と。
これが現在だと、タイパだといって本を読まずにダイジェストで済ます、スマホの検索で知りたい出来事だけを調べる、ということになっています。
それは本当の知識ではない、と私も思いますが、知ることが容易になったことのメリットを考えると、索引という大発明に感謝ですね。