あらすじ
進歩という名の暴力に対する、「知性」の闘い――
クィア批評やメディア論における最重要人物、ついに入門書が誕生!
【おもな内容】
“反解釈・反写真・反隠喩”で戦争やジェンダーといった多岐にわたる事象を喝破した、批評家スーザン・ソンタグ。
あらゆる脆さにあらがう、その「カッコよさ」は、しかし生誕から90年を迎え、忘れかけられている。
本書は「《キャンプ》についてのノート」で60年代アメリカの若きカリスマとなったデビューから、「9・11事件」への発言で強烈なバッシングの対象になった晩年までの生涯とともに、ソンタグという知性がなぜ読者を挑発し続けるのかを鮮やかに描き出す。
自身のマイノリティ性や病にあらがい到達した思想の本質とは。
【目次】
はじめに
第1章 誰がソンタグを叩くのか
第2章 「キャンプ」と利己的な批評家
第3章 ソンタグの生涯はどのように語られるべきか
第4章 暴かれるソンタグの過去
第5章 『写真論』とヴァルネラビリティ
第6章 意志の強さとファシストの美学
第7章 反隠喩は言葉狩りだったのか
第8章 ソンタグの肖像と履歴
第9章 「ソンタグの苦痛」へのまなざし
第10章 故人のセクシュアリティとは何か
第11章 ソンタグの誕生
終章 脆さへの思想
おわりに
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
初めてソンタグの名前を知ったのは、予備校の時(1985年?)。確か、工作舎か何かの関係で京都に来ていたとか。その後、大学生になってからやその後でも、ほんの少し著作に手を出したけれど、文章のスタイルがかっこいいとか、その程度しかわかっていなかったと思います。この本を読んで、少し理解が深まった気がしました。
とてもとても微妙で、難しいソンタグという人間への批評(!?)を、とても丁寧に、良く考えられたアプローチで行なってくれています。文章も美しい。このようなガイドは、読書にとって、とてもありがたいです。お薦めします。
Posted by ブクログ
スーザン・ソンタグは、小説は読んでないが、翻訳された批評集は多分全部読んでいると思う。
ソンタグの言っていることは、時期によって論調が変わって、以前とは矛盾することを書いていたりするのだが、それも彼女が無理やりの自己一致の連続性を維持することよりも、自分の変化をそのまま表現する誠実さのようなものだと思っていた。
そんなことを思いながら、本書を読んでみた。
目から鱗がたくさん落ちた。
そう、ソンタグは、「カッコ良い」のだ。だから、つい読んでしまうのだ。そして、そのカッコよさは、時代が変化する中で、主流の言説がどのようなものかによって、それに抗う形でなされる批評は変わっていくのだ。その切り口の鋭さが、「カッコいい」というわけだ。
とは言っても、彼女は、時代の変化の中で、カッコいいことを言えば良いと思っている物書きではない。
その中心にあるのは、「脆さ」(ヴァルナラビリティ)にあがらうということだ。なるほど、ジュディス・バトラーの議論につながっていたのか。
さて、わたしは、ソンタグは本を読むだけなので、ソンタグへのバッシングについては、初めて知った。2001年のテロに際しての「カッコいい」コメントが、アメリカでは反感を買うだろうことはそうだろうと思うが、それだけでなく、死後に私生活や性的な関係性などでスキャンダラスの話しが掘り起こされて、大変になっていたことは知らなかった。
でも、読んでみれば、そういうこともあるだろうと思う話しで、どうしてそこまで大問題になってしまうのだろうか?
つまり、「カッコいいこと」で批判された、批判されたと思った人が、本人の死後に批判をし始めたということなのかな?
Posted by ブクログ
ソンタグの写真についての考え方を知りたいというきっかけで手に取った。
ソンタグの生き方とその時々の思想を知るには有用な本だと思う。ただその思想を現代社会を批評する目的で援用できるかというと「?」と思ってしまった。マイナスの意味ではなく、彼女の思想を読めばなおさら。
故人を過去に閉じ込めたまま借り物にしてああだこうだと言うよりも、純粋にソンタグならこの状況を何というか知りたい、という感じ。
ただ写真のところはよく理解できなかった。写真=「他者のヴァルネラビリティへな関与をやめない暴力的なツール」とあるが、その当否は被写体と撮影者の関係性によるのでは?写真がそれを固定してしまうということならまだ納得がいくが...とか思ってしまった。ので原典を読んでみようと思います
Posted by ブクログ
わかるようなわからないようなところが面白い。ディコンストラクションとかフェミニズムとか、ときどき自分の解毒のように読むのだが、同じようなものを感じた。ソンタグ、読んでみようかな。