あらすじ
「ケアレスミスが多い」「人間関係がうまくいかない」――生活や仕事上で問題を抱える「大人の発達障害」が注目を集めて久しい。実はその中に「高学歴でありながら、発達障害を抱えている人」が少なからず存在する。「エリート」のイメージと「障害」の実情の狭間で理解が得られず、周囲と自分を比べては落ち込み、アイデンティティの葛藤を抱える……。当事者、大学教員、精神科医、支援団体への取材を通じて、発達障害が取りざたされる背景にある「異質であること」「非効率的であること」に不寛容な社会の姿を浮かび上がらせる。
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Posted by ブクログ
■発達障害は「ニューロ・ダイバーシティ」(脳の多様性)であるという捉え方も広まりつつある。ニューロ・ダイバーシティとは発達障害を「障害」として捉えるのではなく、「神経系の多様なあり方」として尊重していくという考え方。
定型発達の人でも多かれ少なかれ凹凸がある以上、ニューロ・ダイバーシティという概念はあらゆる人を包含するものである。
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良書。
発達障害がよくわかる。
個性だとか、誰でも失敗するとか、慰めの言葉が当事者には辛いこともあるとは。対応が難しい。声をかけないのもよくないし。
高学歴の人も悩み多く、幸せとは限らない。
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高学歴発達障害当事者の端くれとして、共感するところが多かったです。
特に、本人やその周囲の人々の「本来これくらいできるだろう(できて当然)」というイメージと、現在提供されている支援がミスマッチを起こしやすいという点が。
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株式会社kaien など発達障害をサポートする民間ができ始めていること。
精神科ガチャがあること
大学関連は
入試、履修、就活と卒論の両立、卒業研究など直面する場面が多いこと
そして当事者が大学が一番楽だったという割合が多いと感じ、また社会にでてからが本当に大変だということ。
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高学歴でありながら発達障害を抱えている人は意外に多い。こういった人たちが普通のふりをして社会で生きていくのが、一番辛い。一人ひとりが自分らしく生きることができる世の中にしなければと思う。
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発達障害は環境にうまくハマれば仕事ができるが、そうでない場合は活躍が難しい。
その特性に学歴というファクターが重なる事で、本人のプライドとどう折り合いをつけるかという問題も発生する。
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高学歴でありながら就職後に様々な困難を抱え、退職や診療内科へ通院した経験を持つ人々を追ったルポ。際立った特性を持つ故に他の人が出来る「当たり前」が出来ない。この苦しさは誰にでもあると思いますが「高学歴」という一つのレッテルが更に本人を苦しめています。
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“「エレベーターやエスカレーターは足が悪い人や妊娠さん、高齢者などにとってはありがたいですが、健常者も荷物が多いときや疲れているときはエレベーターやエスカレーターを使いたくなりますよね。バリアフリーになった結果として、私たちは身体障害者ではないけれど恩恵を受けています。そういうふうなことが、発達障害者にもできないかなと思っています」”(p.132)
“認知行動療法によって、自分を改めることで生きやすくしようとすると、何でも自分のせいにしてしまって、余計に病んでしまうことがあります。”(p.126)
わたしもまさにこのパターンで認知行動療法に失敗したことがある。自分を改めようとするトレーニングを頑張るのではなく、どうしたらこのままで暮らしやすくなるか、どういう環境でなら自分の特性を活かせるか、といったことに目を向けたらよかったのかもしれない。その当時認知行動療法に対して抱いた不信感の理由がクリアになった。
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他人事じゃない。誰もが抱え得る発達の障害。
高学歴なのに発達障害とわかった方の、社会に出てからの生きづらさがリアルに紹介されている。
良い大学を出て良い会社に就職したものの、電話に出てメモを取りながら話を聞いて、こちらから伺うべきことを聞くことができない。マルチタスクができない。
高学歴なのに単純作業で障害者月給で働くことになったケースも紹介されている。
「どうしてもこれが苦手」ということは誰にでもあるだろう。
生活や仕事に支障はなくとも、気づかずに他人に迷惑をかけていることがあるかもしれない。
Posted by ブクログ
高学歴な人たちの具体的な大変さがたくさん紹介されている。
できないことが目立たない場所を見つけるのがいいって言葉、なるほどと思う。ともすれば、つよみを活かすことばかりを考えがちなので、高学歴ではない人にも視点を変えるいいヒントになりそう。
Posted by ブクログ
最近発達障害に関する本を続けて読んだり、情報を得たりしているが、多かれ少なかれ自分自身にも身近な人にもその事象に心当たりがある。
「発達障害」というカテゴリーが注目される背景について熊代亨さんの説明が腑に落ちた。
言うなれば、「まっとうな人間」の基準が高まっていったのだ。(p156)
考えてみれば、人間が人生を生きるのは、生きづらさとの共存だ。その中でささやかな喜びを噛み締めながら生きている。生きづらさを抱えている一人一人が互いを認め合えれば、少しは生きやすくなるような気がする。
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発達障害の人はどんな仕事をしているんだろうと興味を持って読んでみたけれど、あまり参考にはならなかったかも。それだけ発達障害は人それぞれの特徴があり、うまく働くための絶対的な道筋ということはないということなのかもしれない。
ただ高学歴なのに仕事ができないため学歴を隠している人もいて、その気持ちはわかる気がした。勉強をして努力して良い大学に行ったプライドはあってもいいはずなのに、そのプライドが二次障害を発生させることもあり、読んでいて悲しくなってしまった。
Posted by ブクログ
現代はアメニティと引き換えに「生きづらさ」をかかえることになっているみたい。一方であらゆる事が細分化・専門化したことで、ここでいう高学歴だけど発達障害という悲劇も生み出しているのだろう。
かつて中教審がかかげた「生きる力」ってどこに消えちゃったのかな?
Posted by ブクログ
高学歴とくくる必要がない
著者は偏差値60の日本女子大学に入ったことを高学歴でもなんでもないと書いてるが、疑問。立派な高学歴ではないか。
また、これは健常者でも戸惑ふよなといふ事例もあり、健常者にたいして認識にズレがある発達障害のひともゐるのではないか。
あと、わざわざ高学歴発達障害と限定してゐて、高学歴とさうでないのとで、何か発達障害にちがひがあるのかとおもったら、できない仕事が多く社会に馴染めず、高学歴プライドで鬱憤がたまると言ふ。結局それは学歴または発達障害関係なく、誰にでも起りうる事である。
要するに、高学歴と限定する必要性を感じなかった。
なほ、発達障害の生きづらさの解決に向けて、示唆に富む部分は多かった。
案外かういふのは、Kaien代表の鈴木氏も言ってゐたやうに、日本のメンバーシップ型雇用社会が原因なのではないか。海外のジョブ型雇用社会における発達障害の話を聞いてみたい。