あらすじ
稚児をめぐって寺院間で戦いが起きるほど、男色は中世仏教界に根づいていた。戒から新仏教勃興の背景を描くスキャンダラスな仏教史。
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Posted by ブクログ
「95人と男色をしてきたが100は超えないようにいたします」と仏に反省文を出す僧侶には笑ってしまう。日本仏教において男色が公然の風習だったことがよくわかる。
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014
春日権現記絵かすがごんげんけんきえ
14c初め
中世の興福寺の史料
紀伊寺主が稚児と寝てる
枕元には、刀がある
020
戒 sila
律 vinaya
027
破戒は懺悔しても許されない
028
ブッダが故郷に戻った時
ブッダの養母マハー・パジャパティが出家を望んだ
ブッダはなかなか認めなかった
037
世界基準に準拠した日本の授戒
中国人の鑑真が来日
068
武田信玄が男色してた手紙が発見される
藤原頼長1120-56
少なくとも7人以上と男色
貴族の間に男色の輪ができていた
076
中世の寺院
関白太誠大臣 一条兼良の息子
興福寺大乗院尋尊1430-1508
位の高い一部の僧侶の間で男色が一般化
077
中級貴族出身の僧侶 宗性 36歳で95人と男色
095
官僧の文化としての男色
100
親鸞の曾孫ひまご 覚如1270-1351
13歳で
延暦寺の学僧宗澄のもとへ入室
14歳のとき
三井寺の浄珍が武力で覚如を奪った
覚如が容姿端麗だったから
天台系ほかの男色を示す一例
124
官僧
国家公務員的な官僚の僧
第一の勤めは、鎮護国家
衣食住が保証された
兵役の免除
死穢をはじめとする穢を忌避する義務がある
官僧は葬式に関わることが禁止されていた
150
黒衣
遁世僧は黒衣を着ていた
186
徳川家康
国教化された仏教