あらすじ
聖ヨハネ騎士団(通称・マルタ騎士団)は、創設から約千年を経た今なお国際社会から独立国としてパスポートの発行を許され、1万人を超える騎士を擁する現存世界最古の騎士団である。テンプル騎士団、ドイツ騎士団と並ぶ中世ヨーロッパの三大騎士修道会の一つが、なぜ21世紀の現代まで存続し、国連に席を与えられ、100カ国以上と国交を結んでいるのだろうか? 謎に包まれた知られざる騎士の国、その栄光と流転の歴史を、日本国籍として約1世紀ぶりに騎士に叙任された筆者が紐解く。
緒言 救貧と信仰の守護者
歴史序章 十字軍(ヨーロッパ、1095-1099)
叙説Ⅰ 騎士と騎士道、そして騎士団
歴史第一章 誕生(聖都エルサレム、1099-1149)
歴史第二章 防衛(シリア・パレスチナ地方、1150-1291)
歴史第三章 海へ(キプロス島、1291-1307)
歴史第四章 覇者(ロードス島、1307-1452)
歴史第五章 勝利(ロードス島、1453-1520)
叙説Ⅱ マルタ騎士の戒律、そして一生
歴史第六章 死闘(ロードス島、1520-1522)
歴史第七章 家(マルタ島、1523-1564)
歴史第八章 大包囲(マルタ島、1564-1565)
歴史第九章 守護者(マルタ島、1565-1675)
叙説Ⅲ マルタ騎士団総長列伝
歴史第十章 衰退(マルタ島 1675-1798)
歴史第十一章 漂流(ヨーロッパ、1798-1834)
歴史第十二章 再起(ローマ、1834-2012)
歴史終章 現代(全世界、2013-)
叙説Ⅳ 「領土なき国家」としてのマルタ騎士団
後記 騎士から見たマルタ騎士団
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
マルタ騎士団のことを知りたくて、検索したら出てきた本。
世界史の勉強不足を補うこともでき、今になってわかったこともたくさん。
オスマントルコからみた本も読まなければ…とは思います。
Posted by ブクログ
ある時は賞賛されまたある時は追放を余儀なくされたマルタ騎士団。島を守るため懸命に戦ってきた騎士団であったが島民にあらぬ余罪をかけられたり国に見放されたりして窮地に落ちていった。
敵味方関係なく慈悲を注ぐ福者ジェラール、時代が違えば名君となれたであろうピント、砲撃に遭い全身傷だらけとなっても総長自ら戦に立ち向かうヴァレット…どの時代の騎士団においても島の存続、キリストの勝利のため粉骨砕身になって戦う姿は変わらない。現代では人道支援を主な活動としている。
レーエンデ国物語を彷彿とされる場面もあってより一層楽しめた。
下記は本文引用
p171 イスラム教徒を相手に二五〇年間もの間守護され続けてきた、この栄光ある島は、僅か三六時間で陥ちた。
P172 騎士団総長は、三度その家を失った喪失感を胸中に、無気力な眼でかつて自らの海であった地中海を睥睨しつつ本土へと漂流した。
Wikipediaより引用
かいこう
【邂逅】
《名・ス自》
思いがけなく会うこと。めぐりあい。
「三十年ぶりの―」
こうし
【嚆矢】
物事のはじめ。
ふぐ-たいてん【不倶戴天】
同じ天の下には一緒にはいない、同じ天の下には生かしておかない意で、それほど恨みや憎しみの深いこと
Posted by ブクログ
マルタ島から追い出されるなど紆余曲折の歴史の中でも人道支援という騎士団のスピリットが貫かれていてかっこいい。騎士団に入るには申込みなどできず、洗礼を受けたカトリック教徒かつ著者のように功績から声かけされ1年くらい内部審査されてようやく入団を認められるそうです。
Posted by ブクログ
始まったのは、1048年、らしい。日本では、平安時代藤原道長の孫の時代らしい。ロードス島、マルタ島のスレイマン1世との攻城戦は、この本のクライマックスである。テンプル騎士団は、フィリップ4世の謀略により亡くなってしまったがヨハネ騎士団(マルタ騎士団)は現在でも残って良かったなと思いました。