あらすじ
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか?
滑走路下にいるのか、それとも……
民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、
日米の機密文書も徹底調査。
新聞記者が執念でたどりついた「真実」。
「僕は、硫黄島発の電報を受けた側にいた父島の兵士の孫だった。
『祖父の戦友とも言える戦没者の遺骨を本土に帰したい』
13年前に一念発起し、政府派遣の遺骨収集団への参加を模索し続け、ようやく参加が認められたのだった。
僕の心には、あの電報があった。
『友軍ハ地下ニ在リ』
硫黄島の兵士たちは今も地下にいて、本土からの迎えを待っているのだ。
電報を信じ、地を這うように玉砕の島の土を掘りまくった。
結果、僕はこれまでにどの記者も挑まなかった謎の解明に、執念を燃やすことになった。
その謎とは――。
戦没者2万人のうち、今なお1万人が見つからないミステリーだ」――「プロローグ」より
【本書の内容】
プロローグ 「硫黄島 連絡絶ゆ」
第1章 ルポ初上陸――取材撮影不可の遺骨捜索を見た
第2章 父島兵士の孫が硫黄島に渡るまで
第3章 滑走路下遺骨残存説――地下16メートルの真実
第4章 情報公開で暴いた硫黄島戦後史
第5章 硫黄島「核密約」と消えた兵士たち
第6章 戦没者遺児との別れ、そして再上陸へ
第7章 硫黄島の元陸軍伍長「令和の証言」
第8章 硫黄島ノ皆サン サヨウナラ
エピローグ 「陛下、お尋ね申し上げます」
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Posted by ブクログ
著者の祖父は父島に出征していた。
そして、10歳のときに父を亡くした。
祖父が出征していた父島は、硫黄島と同じ小笠原諸島の一つで、硫黄島の通信兵の一部は元々父島の通信隊の所属だった。
そして、父が亡くなったのは戦争とは関係ないが、10歳で遺児となった彼は硫黄島の戦いで父を亡くした、戦争遺児と自分を重ね合わせた。
そんな事情から、彼は硫黄島に関心を持ち、硫黄島での遺骨収集団に加わることになる。
そこには未だに亡くなった兵士の半分ほどの1万人が眠っている。そこに彼は疑問を持った。
その理由と思われるいくつかの仮説が本書に書かれているのだが、その中で戦後もなお米国の支配が続いているかのような硫黄島の現状が浮き彫りになる。
外交の絡む壮大な話だけでなく、
硫黄島で家族を亡くした遺族や、終戦間近まで兵士として硫黄島にいた人の話など、一個人の人生における戦争という出来事など、様々な角度から戦争を捉えていて、非常に読みごたえがあった。
闘い自体は終わっても、戦禍はまだ残っていると改めて気付かされた。
また、本書に出てくる映画「硫黄島からの手紙」で栗林忠道中佐を演じた渡辺謙の「我々の子供らが日本で一日でも長く安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には意味があるんです」という言葉が胸に刺さった。
何故なら、一つ前に読んだ「散るぞ悲しき」の感想として、原爆投下で栗林中将の戦いは水泡に帰したと思ったからだ。当時の一日生きながらえることの過酷さに思い至らず、浅はかな自分の考えにハッとさせられた。
Posted by ブクログ
北海道新聞所属の酒井聡平氏による、硫黄島遺骨発掘のドキュメンタリ作品。
二万人以上が玉砕・戦死したという硫黄島で一万人以上の遺骨が未だ見つからないという現状、その背景、遺族の気持ち等を描く佳作。
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きっと皆さんも、かつての戦地に埋まった遺骨の発掘というのがどのような意味を持つのか、という疑問はあるかと思います。
というか、なぜ硫黄島なのか、とか。
筆者の祖父は硫黄島ではなく、連絡中継地として小笠原の父島で勤務していたという。本土から硫黄島は遠すぎて直接連絡が取れなかったためという。その父島で、硫黄島の兵士たちの最期の声(電文)を聞いた一人ということです。
私とほぼ変わらない生年の筆者も、祖母から聞いた祖父の話、また幼い時に(戦争ではないものの)突然父を亡くしたという境遇の近接性から、遺族による硫黄島での遺骨発掘作業にシンパシーを感じられたように思います。
その他、戦争を知らない世代ゆえに、硫黄島の遺骨発掘の周辺を歴史的経緯やご自身の経緯とともに丁寧に説明されています。このあたりは非常に好感が持てると思います。
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著作では遺骨発掘談の高齢化とともに、進捗はかばかしくない発掘作業についての記述があります。
その進捗しない理由の一つが、日本の当局による米軍への『忖度』。
平たく言えば、硫黄島は米軍の訓練地。安全保障の要衝として、当地を米軍訓練場所として提供することを許可しているものです。米軍の訓練中は発掘団は来島することができない。というより当局が許可しない、ということのようです。
なお、当局というのは当然の事ながら防衛省です。
この忖度の背景にはかつての政府高官と米国高官との密約があるというのは、既視感のある流れです。日本はこの密約を否定し、他方米国では機密期間が過ぎて少しずつ真実が明るみに出てきているというもの。
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ただ、やはり本作で一番心に迫るのは、硫黄島に残された多くの人々の声、記録です。
もう死ぬ以外ない島に送られたとき、自分はもう本土に戻れないけど(生きては帰れない)今戻る同胞を笑顔で送るとき、死を前にして必死に無線で父島に最期の声を送るとき、そうしたシーンの数々の描写は胸をうちます。
同様に、残された人々、遺族や遺児の気持ちも、筆者はきめ細やかに綴っています。
繰り返しになりますが、酒井氏本人も父を突然亡くした遺児であります。また取材した尾辻秀久元参議院議長も戦争遺児であり、彼へのインタビュー・生の声も多くの人の琴線に触れることだと思います。
一家の大黒柱を突然失った苦しさ、その後の母の苦労、自らの夢の変節を余儀なくされること等々。
特段の教訓をわざわざ演繹するまでもなく、現在の豊かな生活が送れることへの感謝が湧いて出てきます。また、類似の困難に直面した人に、自分はどれだけ手を差し伸べられるだろうか、と自問せずにはいられません。
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ということで、酒井氏渾身のドキュメンタリーでした。
戦争関連者が時と共に鬼籍に入られてゆくにつれ、遺骨問題は静かになくなってゆくのだと思います。
ただ、そこに送られた人々、地元で彼らの死を受け入れざるを得なかった人々、およびその家族や親族たち、多くの人々を悲しみと曲折の人生へと導いた戦争という存在。この憎むべき存在の意味を私たちは改めて考えてもよいと思います。
平和が続くことを真に祈念したくなる作品でありました。