あらすじ
和服にパラソルをさして、日本から母は帰って来た。貧しいなかをおおらかに生きた母の生涯を清冽な文体で描く鎮魂の譜。ひろく共感を呼んだ芥川賞受賞作品。この表題作と表裏をなす「人面の大岩」は、喜怒哀楽ははげしかったがきわめて平凡な人生を送った父の肖像を感動的に綴った。ほか、在日朝鮮人の哀切な魂の唄を歌い上げ、著者の文学的基点を示す珠玉の短篇「半チョッパリ」「長寿島」「奇蹟の日」「水汲む幼児」の四篇を収録する名品集である。
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Posted by ブクログ
李恢成は今年(2025年)1月に89歳で亡くなった。「砧をうつ女」によって1969年、外国籍の作家として初めて芥川賞を受賞した。1935年に日本占領下のサハリンで生まれ、戦後に函館の引揚者収容所などを経て札幌に移住したのち、上京。早稲田大学露文科に入学、在学中から朝鮮総連で仕事をし、のち朝鮮日報の記者を務めた。この時期に朝鮮語で小説を書き始めている。この本に収録された6編の作品(1964年から73年にかけて日本語で発表された)には、作者の在日2世としての生い立ちや経験が私小説風に描かれている。
「砧をうつ女」は早世した母の、「人面の大岩」は父のポルトレである。中編「半チョッパリ」は、国会議事堂前で焼身自殺を遂げた在日朝鮮人の青年・大木真彦との交友、日本に帰化した大木と「僕」の立場の微妙な違いがテーマとなっている。
「かれ(引用者注:大木のこと)はひどく陰気な表情で、自分の悩みを語るのだった。自分は日本人であるかもしれないが、差別と偏見を朝鮮人のように受ける日本人であることや、日本人に徹しようとしても、どうしても自分の原点に立ちかえってしまうのだと。そしてかれは「民族の裏切者」とか「祖国喪失者」と自分をあざけるかと思うと、帰化者にまつわる呪縛は近代日本と朝鮮の陰惨な歴史の贈物なのだと口走ることもあったのだった。」(「半チョッパリ」p.106)
「奇蹟の日」はこの作品集の中でいちばん古い1964年発表の短篇。「高一時代」という雑誌に掲載されたこともあり、受験を題材とした青少年向けの清々しい作品である。