あらすじ
物質と電気的・化学的反応の集合体にすぎない脳から、なぜ意識は生まれるのか――。多くの哲学者や科学者を悩ませた「意識」という謎。本書は、この不可思議な領域へ、クオリアやニューロンなどの知見を手がかりに迫る。さらには実験成果などを踏まえ、人工意識の可能性に切り込む。現代科学のホットトピックであり続ける意識研究の最前線から、気鋭の脳神経科学者が、人間と機械の関係が変わる未来を描きだす。
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Posted by ブクログ
知覚には遅れがあり、それが物理的感覚とのずれを生じさせる。これが意識の過去と未来の関係性に大きな影響を及ぼす。例えば、バッターが160kmの球を打つとき、その時およそ0.4秒で到達し、知覚には0.5秒の遅れが生じるから、この球を打つという命令をしたのは何なのかという問題が出てくる。つまり、意思を司る何かがあるのではないかということだ。
意識の本質は、脳の客観と主観の境界にあると述べられている。脳の客観とは、三人称的に物が見えるという意識のメカニズムであり、脳の主観は、なぜ、物が見えるという意識(クオリア)が生まれるのかということだ。
この本質に迫っていきたいが、そもそも科学というのは客観性を証明することが宿命であり、意識という主観を客観性で証明するのは、困難だという。ゆえに、既存の科学から逸脱したアプローチで取り組むべきか、それとも従来の客観的なアプローチでいくべきかはわからないそうだ。
決定論カオスによる因果性の網はとても興味深い。
最後に、人の意識を機械に送るときに重要となるポイントは、自分というものが何者なのかを知覚し、そしてそれ以前の記憶が存在するのかということだ。
脳科学の分野の発展は著しく、読んでいてとてもワクワクしたが、倫理的な問題もかなりあると思う。
Posted by ブクログ
池谷先生の「進化しすぎた脳」より本書の方が意識について分かりやすかった。もしかしたら「進化しすぎた脳」の後にこの本を読んだからある程度の基礎知識のおかげで理解がしやすかったのかも知れない。いずれにしても、ただのシナプスの電気信号により意識(らしきもの)が発生するという生物の神秘には本当に脱帽する。哲学が捜し求めている「自分の存在」というものが結局は単なる偶発的な電気信号によって発生するというのはどう考えれば良いのだろうか。意識が視覚をコントロールし、見えないものが見えているように思うなどということを聞くと、やはり「自分の存在」はすべて虚構という哲学の問題に辿りつくように思う。意識は実は未来を先取りして過去に遡及するなどというトリビア的な知識も増えて面白い本だった。
Posted by ブクログ
「意識」とは何か?、をわかりやすく解説した書籍である。
著者は大学で脳神経科学について研究している人物であり、脳神経科学について現在までにわかっていることと、それがわかるためにどのような研究、経緯があったのかの歴史も交えて解説されており、理解がしやすかった。
ニューロンやイオンチャネル等の基本的な部分からの解説も非常にありがたかった。
後半に向かうにつれ、徐々に複雑な内容となっており、意識の研究の部分は正直なところ理解できない部分も多々あり、特に実験の設計や解釈の部分は複雑だと感じた。
また、著者自身、「意識」の根幹となる理解はまだ未解明であり学問としてもブルーオーシャンだと記載していたが、その根幹がわかっていなくても、ここまでわかっているのかと驚いた。
Posted by ブクログ
脳科学のうち、特に意識・クオリアの概念とそれについての科学的な研究、また最後には人間の脳と機械とを繋く構想が述べられている。
レイ・カーツワイルのシンギュラリティでも述べられていた生理学的な脳を機械に徐々に置き換えていく発想のもとになっている議論の系譜を知ることができた。
Posted by ブクログ
「意識」とはなんぞや−どうやって、「意識」が実在することを確認するのか
目で見ている(と認識している)映像と、現実は同じなのか?
「意識」はどこから来るのか?脳内で何が起こっているのか。
脳内の何が(どこが)意識を生み出しているのか。
でも、あなたも私もシナプスの集合体に過ぎないのよ!?
「(本書を書いていて)考えればかなえるほど、(機械に意識を移すのって)いけてしまう気に」という若き著者の今後の研究に期待したい。
Posted by ブクログ
意識とは何か、そして機械にも意識はあるかを取り上げた1冊。様々な実験で、無いものがあるようにして見せることが出来ることを知ると、クオリアは所詮、脳が作り出したものであり、真実とは何か、深~く考えさせられてしまう。
Posted by ブクログ
【感想】
<知りたかったこと>
①最新の脳科学の状況は?
②意識をどう考えている?・人間とは何か?
③どうやって、研究を進めているのか?(研究のアプローチ方法・考え方)
【理解とは?】
新たな知見とは、研究対象への理解の深まりである。
あなたが選んだ現象には、おそらくいくつかの仮説が存在する。理解の深まりには、誤った仮説をふるい落とし、可能性のあるものをいくつか絞り込むことによって得られる
[人間の視覚の限界]
人間は、視覚情報を一度に多面的にみることができない。
そこにあるのはいつもひとつの見方だ。
【自分が選んだものを正当化する性質】
選択盲→人間は自分が選んだ選択肢をあたかも正解のように信じ込み、
選択したものが変わったとしても、気が付かない。
女性の顔のすり替え実験
実際には存在しないはずの、「意識のもとの自由意志」を、我々がなぜ信じて疑わないかを説明してくれる。
答えは簡単だ。脳が自由意志という、「壮大な錯覚」を我々に見せてくれるからだ。
【専門家とそれ以外】
専門家とそうでないものの違いは、
「何も知らない」ことを知っていることだ。
専門家の知る「知らないこと」これこそが
前述の主観と客観の間の隔たりである。
【科学と哲学の違い】
科学は、検証のまな板にのらないと意味がない。
正しいことを証明したり、正しくないことを証明して、真の自然則を導くことも意義がある。
【世界は虚構でできている】
世界の隅々まできちんと見えた気になっていても、それが実際に外界を反映したものであるとは限らない。
我々の感覚は、外界を直接的にモニターしているわけではない。あくまで脳の仮想現実システムが、目や耳などから得た外界の断絶的な情報をもとに、「それらしく」仮想現実を作り上げ、我々に見せているに過ぎない。
【人の記憶】
「記憶の方法」
エピソード記憶は、海馬と呼ばれる脳部位に一時的に情報が保持される。そして、夜寝ている間に、その海馬に蓄えられた情報をもとに、実際にエピソードが生じた状態が、大脳皮質に再現される。それが何度も繰り返されることによってヘブの学習則が働き、大脳皮質そのものに記憶が移行する
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【本質を追求する】
ある機能の本質ではない何かに操作を加えた場合も、その機能へと影響が及んでしまうことがある。特に、NCCを探求する操作実験には注意が必要だ。NCCの定義自体に、「本質」の意味合いが深く込められているからである。
→本質の探求の仕方
「ACTION」
→
意識の本質をさぐる研究アプローチからは
本質を探る方法論が詰まっている。
・削ぎ落としたり
・削ぎ落とした結果、本質にまで影響してしまうものがあったり
・様々な状況を想定したり
しながら、本質を探る。
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