あらすじ
「私にとって、良い山とはひとつの極限を意味している」──若き日、北米、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南米と冒険の旅を続けた植村直己は、1970年、日本人として初めて世界最高峰に立ったことで「世界のウエムラ」となった。その後、彼は垂直から水平へ、エベレストから南北両極圏へと関心を移したが、極限という意味で、エベレストこそ植村にとって至上の“良い山”であった。五回にわたるエベレスト行の総決算としてつづった本書は、登山家・植村の<山への遺書>となった。
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Posted by ブクログ
冒険家 植村氏のエベレスト登頂記録とその後の挑戦。
エベレストでの山岳民族シェルパとの生活や 多数の隊員の死など事細かに書かれている。
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植村さんはエベレスト国際隊のあと山から離れ、極地にうつり「垂直から水平へ」冒険の基軸を変えた。
しかし、北極に氷漬けになったあと、再び戻ってきたのはやっぱりエベレスト。
1980年の厳冬期に「日本冬期エベレスト登山隊」を組織し、自ら隊長として真冬のエベレストに挑戦、だがここで隊員の一人が遭難、植村さんは背中に十字架を背負うことになる。
5回にわたるエベレスト行の総決算としてつづった本書は、植村さんが書いた最後の本になった。
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日本人初のエベレスト登頂。
五大陸の最高峰に足跡を残し、
北米マッキンリーに登頂するも命を落とした。
冒険家植村直己さんのエベレストをめぐる一冊。
山登りをしている人なら一度は手にする本かもしれません。
数年前、エベレスト街道を歩いた経験があります。
その時に通った場所の懐かしい地名が随所に散りばめられています。
当時私はナムチェバザールに入ったあたりで高所障害がでてきて、
その後何日かまともな食事をとることができず
つらい日々を過ごしました。
本書に出てくるエベレストを目指す人々は、
私が歩いた場所のさらにさらに上を目指す人たち。
どんなに厳しい環境を歩きとおしたのか、想像することすら難しい。
でも著者はそんな道行きを、
時にチームの一スタッフとして、
時にチームのリーダーとして黙々と進んでいきます。
頂上を踏んだこともあります。
途中でスタッフを失ったこともあります。
それでも、失った命を背中に背負いながら、さらに極限の世界へと挑んでいくのです。
マッキンリーで消息をたったその瞬間、
何を思っていたのでしょうか。