【感想・ネタバレ】今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくるのレビュー

あらすじ

『忘れられた日本人』で知られる民俗学者・宮本常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは?

「大きな歴史」から零れ落ちる「庶民の歴史」。日本列島のすみずみまで歩き、聞き集めた小さな歴史の束から、世間や民主主義、多様な価値、さらには「日本」という国のかたちをも問いなおす。傍流として、主流が見落としてきた無名の人びとの「語りの力」を信じて――。

【本書のおもな内容】
●「庶民」が主役の歴史を構想
●盲目の「」乞食の自分語りに見出した意味
●村をよくするために尽くした「世間師」
●釣り糸を変えると豊かになる
●「寄り合い民主主義」の可能性
●日常生活に潜む「深い心のかげり」に着目
●「ふるさと」を起点として広い世界を見る
●旅に学ぶ――父の10ヵ条
●男性による女性支配の「東西での違い」
●人が人を信じることで人間全体が幸福になる

「宮本の民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事だと私は考える。これほど生活に密着し、生活の変遷を追った仕事は、日本の近代でほかにはみられないからだ。宮本は庶民の歴史を探求するなかで、村落共同体が決して共同性に囚われてきただけではなく、『世間』という外側と絶えず行き来し流動的な生活文化をつくってきたことも明らかにする。そしてそれは、公共性への道が開かれていたと解釈することができるのだ。また近代を基準にみたとき、さまざまな面で遅れているとされてきた共同体の生活、あるいは慣習のなかに、民主主義的な取り決めをはじめ、民俗的な合理性があったことも裏づける」――「はじめに」より

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1:それは、どんな思想なのか(概論)
2:なぜ、その思想が生まれたのか(時代背景)
3:なぜ、その思想が今こそ読まれるべきなのか(現在への応用)

テーマを上記の3点に絞り、本文100ページ+αでコンパクトにまとめた、
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Posted by ブクログ

宮本常一のものの見方、思想と方法の概要が分かりやすく解説される。
宮本が何に影響を受けていたのかは、あまり知らなかった。クロポトキン『相互扶助論』で、アナキズムの系譜にあることや、読もうと思っていたくらしのアナキズムの著者が宮本を評価していることを知り、自分の関心、ものの見方はこの系譜が好きなようなことがわかる。また、実際の地域おこしや、離島振興法の整備に奔走したという、学問に止まらない実践の人であったことも知る。
⚫︎西日本のフラットな社会構成と、東日本の縦社会の対比や、
⚫︎共同体と公共性の違い、
⚫︎技術と、物流、産業、人の移動、都市との関係をも複合的に考えて、相関関係で見ることで、流動的な文化や社会の実態がわかる。→自然環境保全を実現する上でもこのアプローチが必要なのでは?
⚫︎諸民は、虐げられただけの存在ではなく、慎ましく健全に生きていること
⚫︎人間とかく、自分の立場から見て、苦しい生活にある人(小農や乞食など)の生活を悲惨と見做しがちではあるが、そうではなく、彼らの中にも相互扶助があり、福祉事業ではなく彼ら自身が自ら立ち上がる道がないかと探っていたこと
⚫︎何が進歩、発展か、その裏で失われているものがあること
⚫︎村落共同体の中にある熟議と民主主義、そのよさと、それが阻む進歩もあること
⚫︎女性が虐げられた存在とだけではなく多彩な生活と自律を持っていること
ナドナド、この本だけでも興味深いことの連発である。
途上国で感じた、発展してほしいけど今の良さを無くしてほしくないという感覚や、生活が苦しい中でも明るい途上国の人々に出会ったときの感覚と符合する言説が多い。そして、宮本の眼差しは、多様性が語られる今、この時代でも古びていない。
決して大きな極端な言葉で語らず、物事のひかりと影を丁寧に見ていく宮本の言説は、今のSNS社会でも重要だと思う。
傍流に留まるという見方、まさにオルタナティブである宮本の姿勢は、現代資本主義に端を発する様々な社会問題に絡め取られている我々にとって、重要な示唆を与えていると思う。

1
2023年07月15日

Posted by ブクログ

人文科学の諸領域は、「私たちはどこから来たのか」、「私たちはなにものか」、私たちはどこへ行くのか」という命題を追求するものである。

民俗学もまたこの命題を追求するものであり、私たちがどこまでを含むのか、どういうアプローチをとるのか、その点において、柳田国男は20世紀の日本列島に住む日本人を「私たち」と置き、日本人の「心」を手掛かりに解明しようとした。一方で宮本常一は、「もの」を入り口に解明を試みた。

柳田国男は各地に残存する民族伝承を比較することで、その祖形、あるいは理念を探り当てようとした。折口信夫は民俗の伝承と古代文学を比較し、古代文学のなかに含まれた民俗的意味を明らかにしようとした。宮本常一は、大きな歴史は伝承によって記憶されるだけで記録されない小さな歴史によって成り立っていることを具体的に生活史、生活誌によって描き出そうとした。その中で技術や産業の変化に目を向けたことも大きな違いである。

忘れられた日本人の思想
村里の話題を調査・紀行・座談・聞き書きなどの方法を持って記述した。

土佐源氏
高知の梼原村の橋の下に住む乞食の人生譚。夜這いによって生を受け、母親が早く死に祖父母の手で育てられ、牛馬の売買・仲介をする馬喰渡世の身となり、さまざまな女生と関係性を結んだ。目の見えない乞食の分際で自慢できるのは、身分の高い女性との性交渉の話だった。歴史学では歴史の発展に関与したり、事件や事故の当事者でもなければ記録に残されたりするようなことはない。民俗誌っでも民間伝承や信仰などでなければ記録されない。私たちにはこういう人たちも含むということを宮本は教えてくれる。

名倉談義
愛知県の名倉村での四人の村人の話。金田金平は重一さの家のある田で、夜遅くまで仕事をしていた。女性の参加者のシウは、それは重一の両親が金平が仕事をしているので、表の間の明かりが届くように、戸を立ててはいけない、と家族に言っていたからである。金平はそれを知らずにいたのだが、遅くまで明かりがあったおかげで仕事ができてありがたかったと感謝する。
ここに見られるのは、一種の共同体の相互扶助である。村落共同体の人々の生活が、こうした共同性によって支えられることを明らかにする。

世間師
共同体の外側にあり、多様な価値で成立している世間を渡り歩く存在。そんな存在が各村に入り込み、村を新しくしていくためのささやかな方向づけをした。共同体を出て見聞を広め、世間の知識を共同体にもたらすこと、公共性への道を開くことだった。

民俗誌から生活誌へ
日常生活の中から民俗的な事象を引き出し、整理してならべることで民俗誌は事足りすのか。日々営まれている生活を詳細に調査し、検討するべきではないか。民俗誌ではなく、生活誌の方がもっと取り上げられるべきであり、また生活を向上させる梃になった技術についてはもっときめ細やかにこれを構造的にとらえてみることが大切ではないかと考えるようになった。
客観的なデータを整理・分離するそれまでの民俗誌に対し、実感を通して人の生活そのものを観察し、総合的にとらえる生活誌を強調した。さらにそこには、聞き手宮本常一が常に介在し、記録されていく。

テグス
蚕糸から作られたテグスは薬の包み紙を縛る意図として用いられてきたが、阿波国鳴門の漁師が釣り糸として中国から買い入れるようになり、船に乗って売りさばいた。一緒に一本釣りのやり方も教えて歩いたため、どこでもたくさん魚が取れることになり、瀬戸内海のいたるところに一本釣りの村ができた。

庶民不在の歴史
庶民派いつも支配者から搾取され、貧困でみじめで反抗を繰り返しているように力説されることにいつも違和感を持っていた。日々一生懸命働き、その爪痕は文字に残されなくても、集落に、耕地に、港に、樹木に、道に、その他あらゆるものに刻み付けられている。村人の大半はつつましく健全に生きている。その姿を明らかにしておくべきではないか。


相互扶助による共同体
生物の進化の主たる原因は同一種に属する生物間の生存のための激烈な闘争によるものであると論じられてきた。これに対してクロポトキンは、自身の眼で見た動物生活の相互扶助と相互指示の事実が、生命維持や種の保存、将来の変化のための最も重大な点ではないかと述べた。

残酷
東北の方にいくと、人が死んだりするとその挨拶に「残酷でござんした」という。お気の毒でしたと同じような意味ですが、自分の意志ではないのにそうなっていったというような場合に使っている。その言葉に愛着を持つ。

単層文化と重層文化
ある種の行事がきわめて丁寧に行われているのに対し、ほかの行事は多くなく、あるいは詳しく伝わっていない場合がある。一方で、財の蓄積が進んだところでは行事量も多く、ひとつひとつは簡略化されていても全体的に絡み合っていることもある。前者を単層文化と呼び、後者を重層文化と呼ぶ。重層文化では外からの刺激が多い。

寄合
対馬にて区有文書の存在を知り、借用を願い出ると区長は寄合にかけなければならないと言った。午後三時を過ぎても帰ってこないので、しびれを切らした宮本常一は寄合の行われているいる神社へ出向いた。板間に20人ほど、貸出について議論していた。みんなの納得いくまで何日でも話し合う。賛成や反対を話すのではなく、過去のことや知っている知識を話し合う。現代の多数決に代表される民主主義とは異なる寄合民主主義が存在していた。

共同体における自主性と束縛
子供をさがすでは、いなくなった子供を探すために村人は誰かがリーダーシップをとり指示に従ったり、相談することもなく、自主的に自分の熟知している場所を探し始めた。村人が探し回っている最中、道端でたむろしてうわさ話に夢中になっている人たちがいた。最近になって村へ住むようになった人々である。

女性の民俗的地位
家父長制、男性による女性の支配を封建的な社会の残滓とみなされていた。それは東日本の常識を基礎とした捉え方であると宮本はいう。地主が小作人を厳しく搾取しているのは東日本の実態で、西日本とは異なるという。

傍流
渋沢敬三が宮本に「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況を見ていくことだ。舞台で主役を務めていると、多くのモノを見落としてしまう。その見落とされたものの中に大事なものがある。それを見つけていくことだ。人の喜びを自分も本当の喜べるようになることだ」。傍流はオルタナティブと言い換えても間違いではないのではないか。


民具・物流・産業
埼玉県の南西部にある狭山一帯は、大きな茶の栽培地になっている。近くに江戸があるから発展したと書いてある。お茶は密閉しておかないとカビが生える。そのため、ブリキ箱で販売される。昔は、茶壺に入れる必要があった。茶壺を最も作ったのは、宇治にほどちかい信楽焼であった。宇治茶を江戸に送るには茶壺が櫃王で、からになった茶壺を宇治に送り返すのは面倒だった。そうするとからの茶壺が江戸に溜まってくる。そのからっぽになった茶壺を利用して、狭山の茶業が起こった。茶業の方が伸びてくるとこんどは茶壺が足らなくなる。そこで信楽の職人が常陸に移って焼いたのが笠間焼で、ある。移っていくと技術は下手になる。味がでる。文化を見るときにひとつをみるのではなく、相関関係でみていかないと本当のことがわからない。

父の10箇条

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2025年05月02日

Posted by ブクログ

宮本常一氏とは、趣味の世界を極めて学問的な探究心を持って後世へ歴史民俗的な遺産を残してくれた人。
その珠玉のメッセージを解説とともに紹介してくれている。107ページの薄い本だが非常に読み応えがあった。永久本棚に入れておきたい一冊。
旅行、とりわけ街歩きが好き、という人に読んでもらいたい本。街歩きを極めるとこうなるのかもしれない。

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2024年05月21日

Posted by ブクログ

旅に学ぶ父の10箇条
01汽車に乗ったら窓から外をよく見る。豊かか貧しいかその雰囲気を感じ取る
2新しく尋ねたところが高いところから見てみよう。
3金があったら名物や料理を食べる
その暮らしの程度が分かる
4時間のゆとりがあったら歩いてみる。
10、み残したものを見るようにしろ
その中にいつも大事なものがあるはず

焦る事は無い自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。

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2024年01月20日

Posted by ブクログ

民俗学や宮本常一に全く土地勘が無かったが、入門本として薄く広くで話題が飛びがちなところはあるが、更に読書を進めてみようという気にさせる。

何点か特に印象に残ったのは、冒頭にある心の民俗学とものの民俗学ということで、柳田國男など、有名な民俗学者は前者で、有字文化を追うのに対して、宮本常一はものに着目し、また、文字化されてない慣習や祭などに着目したと言うこと。文字は上流階級のものだとすれば、確かに民俗を広く捉えるなら無字文化への注目が必要だ。

また、それを分析として具現化したものに狭山茶の話があった。なぜ狭山でお茶なのかと言う点についてそれまで明確では無かったようだが、茶は茶壷に入れて輸送しないと湿ってダメになる→信楽の壺に宇治の茶を詰めて江戸へ→そうすると無駄に茶壷だけ江戸に残る→近郊で茶の生産に適した狭山で茶を作る→壺が足りなくなって信楽の職人が笠間などに進出。なるほどなと。

これ以外にも東日本の縦社会と西日本のフラット社会、開かれた性の文化など文字文化だけ見ていても見えてこない話が網羅されている。宮本常一については引き続き注目したい。

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2024年01月07日

Posted by ブクログ

忘れられた日本人しか読んだことなかったのでとても面白く読めました。
小さい声、それもメインストリームにいるのではない人々に注目し、その小さい語りを拾い上げていくのは、アレクジェービチさんの本でも感じた、現代に求められるものを同様に感じました。

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2023年10月11日

Posted by ブクログ

民俗学者の宮本常一を「思想家」として位置づけ、その思想の簡潔な解説をおこなっている本です。

宮本に対して、これまで「思想や理論がない」「その方法を明示していない」といった批判が向けられてきたと著者は述べたうえで、「宮本民俗学の底流にある「思想」を解き明かしていく」ことを本書の目的に定めています。たとえば著者は、「世間師」と呼ばれる人びとのことばに宮本が耳を傾けて、彼らの話のなかから一枚岩の「共同性」とは異なり、多様性をうちに含む「公共性」のありようが示されているといった考察を展開しています。

一方で、宮本のしごとを特定の理論に整理することのむずかしさは、著者自身もある程度自覚しているように思われます。『忘れられた日本人』で紹介されている「土佐源氏」の話を紹介したうえで、「遍歴者、漂白民、社会の終焉にいる人びとも宮本民俗学の対象であり、また主体である」と著者はいいます。つまり、宮本自身が「旅する人」であり、庶民の生活を語り伝える「世間師」だったのです。

また宮本は、「調査というものが地元のためにならず、中央の力を少しずつ強めていく作用をしている場合も多く、しかも地元民の人のよさを利用して略奪する者も少なくない」ということに警告を発していたという点にも著者は触れています。さらに、「民衆の世界が世間に知られるのは不幸によってである」という、きわめて鋭い認識を宮本がもっていたことに、谷川健一が強い印象を受けたということもとりあげられています。

「宮本民俗学」という一個の思想体系があるとみなすことは、上述のような民俗学の方法論上の問題に意識的だった宮本の態度を裏切ることになるのではないでしょうか。本書は、かならずしもそうした問題に積極的に踏み込んでいるわけではありませんが、宮本の「思想」を提示することの困難を引き受けつつ、彼の「思想」を語ろうとしているように感じました。

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2024年11月13日

Posted by ブクログ

読みやすさ ★★★
面白さ ★★
ためになった度 ★★★★

これから宮本常一の著作を読もうという人にとっては、宮本のことを要領よくまとめていて、最適だろう。巻末のブックガイドも使える。

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2023年06月22日

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