あらすじ
【3月25日『朝日新聞』「オピニオン&フォーラム」にて、著者の國分一哉先生のインタビューが掲載】
【3月24日NHK「首都圏情報 ネタドリ!」にて香川小学校の取り組みを紹介!】
【2月17日NHK「おはよう日本」(関東甲信越)にて香川小学校の取り組みを紹介】
【推薦!】
公立なのに定期テストも制服もやめた世田谷区立桜丘中学校元校長 西郷孝彦氏
“子どもファーストな教育”を描くドキュメンタリー映画「夢みる小学校」監督 オオタヴィン氏
【全国25紙で取り上げられ大反響!】
共同通信で配信、全国25紙で取り上げられ多数の賛否両論を巻き起こした、通知表をやめて1000日の神奈川県茅ヶ崎市立香川小学校の挑戦の記録。
なぜ香川小学校は通知表をやめたのか? 通知表はなくしてもいいのか? どのような議論がされたのか? 保護者の反応は? そして、なにより子どもたちは変わったのか? そして、これからどうなるのか?
共同通信の記者が丁寧に取材を続けた記録から、これらの疑問への答えが見えてきます。
子どもたちの成長のために、その姿を保護者へ伝えるために、日々格闘する教師たちの率直な声、そしてこの取り組みの教育的な価値とは・・・香川小学校の取り組みの全貌がわかります。
「茅ヶ崎市立香川小学校は、2020年度から『通知表』という手段で保護者や子どもに評価を伝えることをやめました。……通知表という手段ではなく、そのほかの手法で子どもたちの姿を保護者に知らせていくことを選びました。これは一つのチャレンジで、これが正解かどうかはまだわかりません。……通知表ではない形で保護者に子どもの姿を伝えていくことを決断したことで、見えてきたものが多くあります。……わたしたちは、通知表をなくす取り組みによって、子どもも学校も変わっていくと信じています。」(香川小学校長 國分一哉「まえがき」より)
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Posted by ブクログ
この本を読むまでは、通知表をやめようと思っていたが、保護者からは4割しか支持されていないし、やめることで子どもの評価を子ども自身、保護者、教師自身に伝えるのに時間を要するとわかった。
Posted by ブクログ
茅ケ崎市立香川小学校は、公立小学校には珍しく、2020年度から「通知表」での評価を辞めました。それは、教員たちが、子供の成長を願い考え、どう評価を伝えることがいいのか話し合った結果です。現在の通知表は「子どもの学習意欲につながっていない」「自己肯定感を高めることに逆効果に働いている」「保護者にわかりやすく伝わっていない」という意見の一方で「励みになっている子どももいる」「もってわかりやすいものに改訂したい」という意見もあった層です。そうして教員たちは話し合い、楽しく笑顔の絶えない学校を目指し、日々評価はしつつ、その知らせる手段の変更を決断しました。
【通知表をやめた香川小のあゆみ】
本書の共同執筆者で当時の校長であった國分先生は、学校運営に当たり、発言しやすい環境をまず整えたい、強力なリーダーシップで大胆な改革を成し遂げて校長が変わったとたんに逆バネが働くよくあるケースになることは避けたいと考えたそうです。例えば、エレベーターのないその学校で、車いすを使っている児童の学年はいつも1階でしたが、「何の変化もない」という声があり、話し合いの結果、その年から1年と6年が1階、のように、異学年をペアにして配置することにしたそうです。反対意見もあった中、結果は上々。翌年からは全員一致で異学年混合の教室配置が定番になったそうです。
通知表について考える際にも、様々な意見がありました。「教育は主観だ。客観的には無理だ」という意見。人の能力を通知表で網羅することなんて不可能だという意見。そもそも、通知表は保護者や子どもに伝えるためのもので、指導要録とは目的が異なります。指導要録は学校教育法施行規則で作成が義務付けられていますが、通知表は作成する法的義務も決まった様式もないのです。その通知表に、大体200時間ほどの時間と労力を注いでいる現状。教師たちは、通知表のメリットとデメリットを洗い出していきます。話し合いの結果、2020年度から通知表廃止が決定されますが、折しもそれはコロナで休校になった時期。保護者の不安もあり、通知表の代替物として、「子どもの自己評価を中心とした振り返り書」を作ることになってしまいます。ただ、これが子どもにとって非常に難しく、教師にとっても本末転倒の事態になってしまいます。そして、翌年に完全廃止。保護者の反応は、肯定38件、否定48件、その他6件だったそうです。また、高学年の児童にも復活を望む声が多かったそうです。その後も、運動会では順位ではなく、練習よりもタイムを縮めることを目標としたり、テストの点数をつけるのをやめたり、取り組みを続けていきます。3年目には、「人と比べない」「自己肯定感がとても高い」児童が増えたとの実感が教員にあったそうです。ただ、保護者については反対51%、賛成38%だったそうです。高校入試を控えた公立中学での通知表廃止は非現実的であり、小学校くらいは「できる」「できない」で比べなくていい、教員たちはそう考えたそうです。全国的には、宿題もテストもない「きのくに子どもの村学園(私立)」、60年以上前から通知表のない長野県伊那市立伊那小学校、などもあるそうです。
【通知表をやめたら何が変わったのだろう】
8人による関係職員の座談会では、テストを「自分の分かったこと、できないことを区別するためのもの」「単なる通過点であり、次へのステップのためだと子どもたちがとらえている」と話しています。また、教員の中にも、「通知表で『その子』を評価しているつもりは全然なかった」「項目の意味は分からなくても、〇の数で分かりやすいと訴える子もいる」などの意見もありました。他に、働き方改革の一環で通知表をなくすという取り組みもあるけれど、それとは一線を画している(⇔子どもが伸びるためにどうすればいいかを考えて出した結果だ)」といった意見もありました。
他にも、5人の教員による手記も掲載されていましたが、好意的な意見もある反面、懐疑的な意見も少々見られました。例えば、「香川小が目指す『自分の成長の大切さを伝える』ということは、『あゆみ』があってもできる」「あゆみは、教師によって表された評定や所見によって、子ども自身が自分を振り返り、さらなる成長へと向かう意欲をもたせるもの」「歩みをなくすメリットよりデメリットの方が大きい」などの意見も見られました。もちろん、「数値化された評価は順位付けができるために序列を生み出す」「小さな頃からもつ漫然とした差別意識や優越感・劣等感は、やがて大人になって社会に出たときにも暗い影を落とす」という意見もありました。
最後に、保護者アンケートでは回収率6割の中、廃止肯定4割、否定5割であったこと、その理由として学校説明会や懇談会等で校長が直接説明する機会をもてなかったから、と分析しています。
【通知表のもつ功罪と向き合った小学校】
通知表を廃止しても、子どもの学びの履歴はノート、タブレット、各種ワークシート等に現れている。教師たちは、それらに対し、直接であれ付箋転記であれ、赤ペンに代表されるようなツールで丁寧に応答コメントをしているそうです。ただ、40人近い子どもの一人一人の学びの現況を適切に把握しきるのは至難であり、また、定着の様相やそれらをもとにして発揮されるパフォーマンスを知りうる手段は何らかの形で保持されるべき、教師が本当に知りたいことに応ずるテストはむしろ有用である、とも述べられています。
通知表をめぐっては、日本中の学校が、やめるも地獄、続けるも地獄、のような構図になってしまっており、また、公立学校は人事異動が必ずあり、香川小でとことん悩み抜いた教師たちもいずれは他校に去っていくことになります。ただ、こうした経験や意義を子ども本人、保護者、同僚とシェアしていく過程で培った鑑識眼と言語が、他校においても教育評価の本質を貫徹する基礎となると、筆者は期待しています。
Posted by ブクログ
小学校で通知表をやめるとはどういうことなのか、タイトルに引き込まれて読んだ。
通知表に至るまでの過程の話が詳しく載っており、無くしたからこそ見えてくる成果や課題も興味深かった。
印象に残ったのが、「通知表があっても、自分の大切さを伝えることはできる」という言葉。たしかに通知表に載っている評定は、数字や記号で表された簡単なものであり、子どもの受け取り方によっては、学習意欲や自己肯定感を下げることになってしまう。しかし、通知表を返すときに「あなたは前に比べてここがすごく成長したね」「この部分の頑張り、輝いているよ」と教師が補足説明をすることで、その数字や記号が価値あるものになると感じた。ただ負担が大きくなることは否めない…。
子どもや保護者からしても、数字や記号といった分かりやすい評価がなくなることは、不安にも繋がり、否定意見が出るのは仕方がないことだと思う。しかし、教師が子ども・保護者との対話を大切にし、生きた言葉や文章で、子どもの良さを伝える行為は、通知表の評定よりも教育的価値のあるものだと思う。(というかそう信じている)
子どもが大人になったとき、小学校時代の評定か教師のかけた言葉のどちらを覚えているか、どちらかと言うと後者の方がその人の自信や前向きな行動につながるはず。
これまで通知表はあって当たり前だと思っており、その意義について考えさせられた。評定では表すことのできない人格や様々な能力を、言葉で伝えることの大切さに気づいた。だからこそ所見には魂を込めるべきだと。
これまで述べたように、子どもの良さや輝きを価値づけ伝えることを大切にしたい。
教育は人なり。
おまけ
運動会が「これまでのタイム更新」を目標にするという形はぜひとも取り組んでみたい。