【感想・ネタバレ】トルコの歴史<下>のレビュー

あらすじ

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世界でも傑士のトルコ史研究者渾身の通史完成!
「オスマン的近世」それはオスマン帝国衰退史観に代わって、ヨーロッパとの間に軍事的、政治的、文化的に「力の均衡が見られた時代」
オスマン帝国の滅亡からトルコ共和国の誕生、そしてウクライナ侵攻にまで言及した日本人のための新しい世界史

<下巻>
第6章 近世のオスマン帝国
第7章 世界とつながるオスマン文化
第8章 近代への道
第9章 近代オスマン帝国
第10章 「帝国」から「国民国家」へ
巻末に索引/写真・図版・地図多数


[著者紹介]永田雄三(ながた ゆうぞう):1939年生れ。イスタンブル大学大学院文学研究科博士課程修了(博士)オスマン帝国史専攻。主著『中東現代史』『成熟のイスラーム社会』『西アジア史』『前近代トルコの地方名士』他

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Posted by ブクログ

 オスマン・トルコというと、1453年のコンスタンティノープル攻略から16世紀半ばまでのスレイマン大帝の全盛時代を迎え、その後は衰退期に入っていき、数次の露土戦争を経て領土も侵食されていくといったような知識だった。
 本書第六章では近世のオスマン帝国(それは16世紀後半から19世紀初頭の時期)が対象として扱われるが、その冒頭において著者は、レパントの海戦以降野蛮な遊牧民トルコ人の建てたオスマン帝国は衰退し、まはや無視しても構わない存在になったとする19世紀ヨーロッパの「オリエンタリズム」的偏見に満ちた「衰退史観」を克服しなければならないとする。
 そしてこの間の歴史の流れを著者は、次のように要約する(7頁-8頁)。16世紀後半以降の長い期間の戦争が帝国財政を圧迫し、そのことがデヴシルメ制とティマール制とを柱とした古典的体制を揺るがし、新たな体制への移行過程が始まった。新しい体制とは、
 ・中央レベルでは、デヴシルメ出身で「スルタンの奴隷」身分の軍人政治家に代わり、ムスリムとして生まれた「オスマン官人」の家門を基盤とした党派組織の形成と角逐。
 ・地方レベルでは、ティマール制の弛緩とそれに代わる徴税請負制度の普及、それらを足場にした地方名士(アーヤーン)の勃興
とのこと。中央レベルのことは概説書レベルで多少の知識はあったが、地方レベルのことは新しく知ることばかりで興味が湧く。

 そして第八章では、ロシアとの露土戦争やヨーロッパ諸列強との関係について叙述されていくが、この辺りからはある程度の知識があるところ。そして第九章では、1839年の「ギュルハーネ勅令」の発布から始まるタンズィマール改革期や、アブデュルハミト二世時代の憲法発布や議会開設などが説明される。さらに1908年の「青年トルコ人」革命の成功、第一次世界大戦の敗北、ケマル・パシャをリーダーとしたトルコ共和国の建国へと筆は進んでいく。

 いろいろな改革への努力はあったものの、第一次大戦の敗北により帝国から共和国へと体制が変わり、領土もほぼアナトリアに限定されることとなった。しかし、ケマルの力闘等がなければさらに領土が縮小されるおそれも多分にあったのだから、戦争に負けるということはやはり恐ろしい。
 
 帝国から国民国家へと変わったトルコの歴史から、多民族、多宗教の共生というものが可能なのかどうかなど、いろいろ学べることは多い。
 

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2024年12月22日

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