あらすじ
負けるには理由がある
この国が今なお抱え込む「失敗の本質」を深掘りした日本人組織論の決定版!
【おもな内容】
太平洋戦争史を振り返れば、日本人特有の「戦い方」が敗因となったと思われる事例は極めて多い。
人間関係で全てが決まる。
成功体験から抜け出せず、同じ戦い方を仕掛け続ける。
恥と面子のために方針転換ができず泥沼にはまり込む。
想定外に弱く、奇襲されると動揺して浮き足立つ。
このような特徴は今日の会社や学校などの組織でも、よく見られる光景ではないだろうか。
本書は改めて太平洋戦争を詳細に見直し、日本軍の「戦い方」を子細に分析する。
日本人の組織ならではの特徴、そしてそこから学ぶ教訓とは。
【目次】
はじめに
第一章 奇襲を好み、奇襲に弱い体質
第二章 一時の戦勝から生まれた妄想の迷走
第三章 習熟していなかった海洋国家の戦い方
第四章 人的戦力の育成・維持・強化を怠った結末
第五章 「特攻」という究極の戦い方
おわりに
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Posted by ブクログ
大東亜戦争における日本人の戦い方の傾向が現在のビジネス環境でも全く変わらないのが驚きです。しかし、こういう本を読んで確かにそうだと思いつつ、変えようと思うよりも諦めて受け入れてしまうのも全く同じ。そういう民族なのか?
Posted by ブクログ
本書を読んでいたら、心が痛くなってしまった。
これほど「杜撰」という言葉が最も当てはまることはない。
なぜ数々の杜撰な作戦が承認されて、実行されてしまったのか。
それによって多くの尊い命が失われたにも関わらず、なぜそれらを省みずに、何度も同じ過ちを犯したのか。
こういう事例を見ていると、日本人は和の心とか、チームワークが得意とか言っているが、本当にそうだろうかと訝しんでしまう。
なぜこんなにも、全体になるとチグハグになってしまうのか。
個々人の能力は、決して低いとは思えない。
それぞれが適当にやっている訳ではなく、むしろ皆真面目に一生懸命仕事をしていると言える。
しかし、なぜか全体になると、おかしな方向にいく傾向がある気がしている。
特に、ある課題があったとして、議論すれば議論するほど、結論が変なことになるというのは、私自身も何度も経験している。
なぜそんなことが起きてしまうのか。
事実として、杜撰な意思決定が繰り返されている。
立場が上の人間からすれば、前線の兵隊がどんなに苦労しても、それを厭わない部分がある。
さらに悪い言葉を使うとすれば、「最前線の人間は使い捨てしてもよい」という暗黙の了解があったような気がする。
これは私が初めて社会人となった当時でも、雰囲気としてそういう部分が残っていた。
特にマスコミ業界は人気職種であったから、やりたい人は他にいくらでもいる、ということで目の前の新人を丁寧に扱う必要がなかったのだ。
今でこそ「人権デューデリジェンス」という考え方が出てきたが、ここに辿り着くまでに戦後80年経っていると思うと、日本人の民族としての意識が決して高くなかったのだと思えてしまう。
日本のジェンダーギャップ指数が、世界の中で今でも低いことがその証左と言える。
もしかすると、日本人の根底に流れる、抗えない性質のようなモノがあるのかもしれない。
単純に人権やジェンダー問題を改善するだけでは、解決できない何かがありそうな気もする。
それぐらい、日本人の深層心理は複雑で、解き明かせないものがある。
先の大戦においても、本来の目的は戦争に勝つことのはずなのに、目的と手段をはき違える決断に至ってしまう例が、本書内で随所に描かれている。
読み進めると、痛ましくなってしまう。
私の父方の祖父は、先の大戦で兵隊として召集され、戦地で亡くなった。
私が生まれる前の話のため、当然顔も見たこともなく、私の実家には、若い頃の父に似た祖父の写真が1枚残されているだけだ。
この祖父は、亡くなった当時35歳だったそうだ。
父の話では、戦地からは遺骨も日常使っていた私物すらも戻ってこなかったそうで、祖父にまつわるものと言えば、先ほどの写真1枚が残っているだけである。
祖父のような戦没者はきっと数多くいるはずであるが、なにせ私自身が会ったこともない遠い人のために、どうしても実感が湧かない。
しかしながら、そんなエピソードは幼少の頃に父から聞かされていたので、太平洋戦争について興味を持って、数々の書籍を読んできた。
なぜ日本は、そもそも勝てない戦争に向かったのか。
なぜ、負けが見えていたにも関わらず、降参せずに戦い続けたのか。
きっと一生かかっても読み切れないほどの書籍がまだまだあるのだろう。
本書を読んで改めて感じたが、日本人はそもそも戦争というものに絶対向かない性質なのではないか。
前述の「杜撰さ」とも通じるが、精神的に「戦う」という感覚が備わっていないと感じるのだ。
だから、日本人はどんな相手であっても、戦うべきではない。
向かないのだから、徹底的に戦争を回避すべきなのだ。
もちろん、「戦争反対」をお花畑的に唱えているつもりはない。
回避しようと思っても、相手が攻めてくることだってあり得る訳だ。
もしそうなったとしても、相手に迎合する訳でも、相手に服従する訳でも、決してない。
何としても粘り強く交渉を繰り返し、ほんの少しでも優位な立場を引き出す。
国際社会に訴えて、日本の味方を一国でも増やすために、外交に全力を傾ける。
そして、徹底的に鉄壁の防御を構築する。
これらを国内の全才能を集結させてでも、実現させる。
今でもそれぞれの担当者が、当然プライドを持って仕事をしているだろう。
それを、よりパワーアップさせる必要性を感じるのだ。
今世界の国家間のバランスが大きく変化している。
特に日本の周辺国の状況は、安心していられる段階ではない。
戦後訪れた最大の危機だと認識する必要があるだろう。
アメリカが日本を守ってくれるというのは、幻想も甚だしく、自分の身は自分で守らなくてはいけない。
その準備が果たして出来ているのだろうかと思ってしまう。
いい加減に、杜撰な意思決定は止めていきたい。
絶対に戦争を回避するために、ありとあらゆる戦術で国際関係を乗り切っていくことは、現実的に可能だと思っている。
国家の頭脳を総動員すれば、戦争に勝つ方法ではなく、「戦争しない方法」の最適解を見つけ出せると思うのだ。
本書を読んで、様々感じることがあったが、大事なことは失敗を未来に活かすことである。
先の大戦の犠牲者たちに報いるためにも、平和な日本を未来永劫続けられるようにしたい。
今を生きる我々の使命なのだと、改めて感じたのだ。
(2025/4/1火)
Posted by ブクログ
兵站に力を入れないとか特攻を例とする人の無駄遣いとかいろいろな問題点を指摘。日本人の問題としているが日本が近代化が遅れている/未発達なせいなのかもとも思った。
アメリカやイギリスは近代はほぼずっと戦争を行っており失敗から学ばなければここまでの地位は築けなかったとも思う。
日本人の特性として納得する部分があるのは昨今でも同じような考えや風潮が蔓延しているせいかもしれない。
Posted by ブクログ
島国だから大陸国に住む国民とは性格も気質も違うだろう。宗教も西洋の様な一神教ではなく、万物に神が宿る多神教が広まった点では、何か一つの日本人気質の様なものを感じる。外部から物の流入が海によって遮られ、今あるものを大切に長く使おうとすれば、時間の経過と共に愛着心や神秘的なものを感じるのでは無いか。個を1番に考える海外と限られた空間からはみ出さず仲間との同一性・融和をはかろうとする日本人では考え方に違いがあっても仕方ない。ものは大切にする日本でも、人口増加が顕著になった明治維新以降では溢れ出す「人」の命の重さに対する考え方は変わってしまったのか。その後の日本が突き進んだ大戦、帝国主義への道のりは和を尊び平を善しとする日本人にとって極めて険しい道のりとなる。
本書は太平洋戦争における軍部の戦い方に関して、日本人に特徴的な考え方を失敗の原因・敗因にあげながら説明していく。そこには前述の同一性や流されやすい心理も登場する。
また義理や人情、精神論的な考えに陥りやすい点では、方針策定や現場の作戦指揮にも日本人らしさが現れているようだ。
先ずは真珠湾攻撃での開戦劈頭、強力な一撃を加え相手の戦意を削げるとの予測も結果的には逆に団結させてしまう。1人の軍人の熱意に押され許可してしまうが、そこに現実的な数字とその後の正確な予測・判断はあっただろうか。また、失敗を教訓とせず同じ人間に雪辱を晴らせさせようとする人事。精神力で敵を圧倒しているという妄想。成功体験から抜け出せず対策した相手に何度でも挑む戦法。最後には大和魂を敵に見せつけ終戦に持ち込もうとした特攻。空から海から大量の人の命をモノ扱いで投入してしまった。
そこには苦渋の選択、涙の決断、そうするしか無かった空気などもあっただろう。だから個人を徹底的に攻めるのでは無い。あの山口多聞ですら無謀な考えを抱く異常な時代だった。一つ間違いないのはそれら判断や指揮、そして実戦に参加していたのが全て日本人であることだ。現代の様に社外取締役がいるわけでも無い。天皇から市民までが一つの帝国という巨大なピラミッド構造にあり、言論統制や特高が目を光らせて戦時秩序を作っていた時代だ。誰かの指摘する「それは違うのでは」という意見も考えも「八紘一宇」の四字熟語の下に統制される。そして何より日本人の性格。技術進歩が激しく次々と新しい戦術が生まれてくる中、前例踏襲過去に縛られ身動き出来ない。そして機を失い続ける。頭でっかちの現場を知らない理想主義者の軍部が楽観的すぎる作戦を練る。兵は居るが銃は無い。いよいよ神の加護のもと精神力だけで肉弾戦を仕掛けるのか。
特攻は最早敵空母の撃沈から、特攻する事自体が目的になるという最終段階においては、一億火の玉総特攻で伝統も国体までも数年先の存在までもが予想できない。
今は平和だ。それでも変わらず残った日本に暮らしながら、これもやはり日本人、戦後の経済復興もやはり日本人。世界の見る日本人とはやはり特殊な人々なのだろう。最後に日本人である事を誇りに思いながらもそもそも日本人とは何か、もう一度考えたくなる。