【感想・ネタバレ】狼の幸せのレビュー

あらすじ

人生に疲れた40歳のファウストは、長年暮らしたミラノを離れてイタリアンアルプス近くのレストランで働き始める。山に囲まれ次第に人間らしさをとりもどしていたとき、狼たちが山からおりてきていた――。ストレーガ賞受賞作家が描く、人生やり直し山岳小説。

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Posted by ブクログ

面白くて1日で読み終えた。本を読みながら、トーマチーズ、マリオ・リゴーニ・ステルンの小説に出てくる「マリオ風ジャガイモ」などを食べたくなった。
シルヴィアがファウストにプレゼントする「富嶽三六景」。この小説ではモンテローザ山麓の移り変わる四季と登場人物の日々の暮らしが「富嶽三六景」のように描かれている。

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2024年09月29日

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神々しく険しい山陵と様々な思惑が交わる麓の人々の生活、あとがきにもあるように富嶽三十六景のような美しい対比だった

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2024年09月07日

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山に登りたくなる、山の麓に住んで暮らしてみたくなる作品。淡々とした文章だけど、その文章や表現の中に作者の山に対する気持ちや山に関わる人のことが描かれていた。
心を穏やかにさせてくれる作品だった。再読したい。

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2023年07月29日

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訳者です。コロナ禍でひととの触れ合いが難しい日々に執筆していたため、互いに寄りそい、触れ合う人々の優しさ・温かさを「狼」では描きたくなった、そんなことを作者はどこかのインタビューで答えていました。だから本作はいわば「帰りたい山」への郷愁の物語なのかもしれません。

早川のnoteで訳者あとがきを公開しています。

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2023年06月07日

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ネタバレ

ミラノ生まれの作家、パオロ・コニェッティは子どもの頃から夏になると一九〇〇メートル級の山地にあるホテルを拠点にして登山や山歩きを楽しんできた。三十歳を過ぎた今も、モンテ・ローザ山麓にあるフォンターネという村に小屋を借り、その土地で目にした自然と生き物の様子やそこに生きる人々の飾らない暮らしぶりをノートに書き留めては創作の糧にしてきた。デビュー作『帰れない山』以来、作家本人を思わせる一人の男の目を通して、山で生きる厳しさと愉しさを描いてきたが、今回は四人の男女の視点を借り、山で生きる男と女の関係に迫っている。

小説はフォンターナ・フレッダのほぼ一年を扱っている。四季の移ろいとそこに暮らす人々の暮らしぶり、狼をはじめ、鳥や動物の生きるための工夫にも事欠かない。

ミラノに住む作家ファウストは四十歳。結婚まで考えていた十年来のパートナーと別れ、人生をやり直すため、フォンターナ・フレッダに戻ってきた。部屋を借り、山道を歩き薪を拾い、九月、十月、十一月と自由の喜びと孤独の悲しみをかみしめながら暮らしてきたが、切り詰めた暮らしにも限度があった。ミラノに帰れば仕事の伝手はあったが、別れた女性との間に残された種々の問題解決に時間を取られることは確実だった。

彼は村でたった一つの社交場である『バベットの晩餐会』というレストランの経営者バベットに自分が苦境にあることを打ち明けた。彼女は料理ができるならコックとして店で働けばいいと言う。こうしてクリスマスの季節も、フライパンを振ることになったファウストはその店で住み込みで働くシルヴィアという若い娘と出会う。彼女もまたよそ者で、何かから逃げるようにここに来ていた。二人が愛し合うようになるのはある意味で必然的だった。

フォンターナ・フレッダにはスキー・ゲレンデもあった。一年の三か月間、山男たちはリフトの切符売り、圧雪車の運転手や救助隊員に姿を変える。サントルソもその一人だ。仕事終わりにはバベットの晩餐会に集まってはグラッパを飲んで皆でわいわいやるのが常だった。話好きの山男と、自分の知らないことを聞くのが好きな新米コックはすぐに仲良くなる。

中篇小説といっていい本作は三十六プラス一章で構成されている。小説のなかにも出てくる北斎の『富岳三十六景』になぞらえてのことだ。ファウストの視点が中心だが、シルヴィア、バベット、サントルソの視点で語られる章も多い。視点が変わることで山に対する思いも人に対する思いも人それぞれであることがよく分かる。それぞれの人物にはそれぞれの人生があって、それが今の自分につながっている。一篇の小説を読みながら、四人の人物を主人公にした四篇の短篇小説を読んでいるような気になった。

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2024年03月28日

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ネタバレ

モンテ・ローザの麓フォンターナ・ブレッダを舞台にミラノから離婚してやってきた作家ファウストと彼を雇ってくれたバベット、元森林警備隊員のサントルソとウェイトレスのシルヴィア。この4人が関係を築き影響を与えあいながら変化していく。自然描写の息を呑むような美しさと綺麗事だけではないトイレ事情などの生活面での厳しさ。一年を山や森林の変化と狼の見え隠れする存在感で満たした文章の美しさ、ディネーセンに捧げられたよう気がしました。また北斎を意識した36章仕立て、富士山ならぬモンテ・ローザを背景に人間たちの営みが描かれユーモアにも優れています。

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2023年08月23日

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大きな話ではないんだけれど、読んでいる間この山にいられることが心地よい。

とにかく出てくるお料理が皆美味しそう。

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2023年05月13日

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作家のファウストはパートナーと別れ、イタリアンアルプスの集落フォンターナ・フレッダに来た。そこでコックとして働くことに。冬の山はスキー客などで賑わい、冬が終わると人がいなくなる。ファウストはこれまでと、これからを考え始める。集落での出会い、生活、山やその周辺の自然の大きさがファウストを変えていく。作中に葛飾北斎の名前や『富嶽三十六景』などが語られる場面があってそれが与える影響も興味深い。

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2023年05月03日

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初めてのイタリア文学
まさか葛飾北斎の画集がイタリア文学に出てくるとは思っていなかったので驚いたと同時に日本の富士山ってかっこいいと思った
富士山とモンテローザの山並が重なる
山の麓では生活を営み山はただそこにあるだけ
葛飾北斎の富獄三十六景そのものである

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2024年12月09日

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前2作(帰れない山、フォンターネ)よりも薄い感じ。
山や山での暮らしの描写は変わらず生き生きとしていたが、薄いと感じたのはなぜだろう。
時間をおいて、もう一度読み返してみたい。

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2023年08月11日

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日本でいうところの"黄昏(誰そ彼)時"、あるいは"彼は誰時"に該当する言葉として、イタリアでなくフランス語ではあるが、"犬と狼のあいだ"という表現が当地にはあると知り、いかにもアルプスの山々を身近に仰ぐ民の言葉らしいな、と妙に感服した。
た、標高が100m上がれば気温は0.6℃下がる、と言われるが、なるほど主人公が考えるように垂直移動による気候の変化もそれ自体を旅と捉えれば、私たちの人生をもう少し豊かにすることもできるのかもしれない。

モンテ・ローザを富士山になぞらえ、作品全体を富嶽三十六景に見立てて構成している様が、日本人にとっては嬉しいサプライズのようでもあり、まさしく日めくりの絵画を鑑賞するが如く味わうことができる。
…が、個人的には細かく章立てせず、一つの大きな物語として悠々と紡いでくれる方が好みだったかな…。

俗世間でこなさねばならぬタスクの合間の慌ただしい時や、何某かの悩み事等に脳内の大半を占められている時ではなく、心身ともに余裕がある時に、じっくりどっぷり浸かることこそがふさわしい作品だと感じた。

「凶暴なまでに違和感のある、不快な眺めだった。ロープウェーの設備も、落下防止用のネットも、整地の跡も、むきだしのコンクリートも、何もかもが醜悪だった。」

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2023年08月03日

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 街の暮らしに疲れた中年男が標高2000メートル近い山村に逃れた。男の職業は作家。

絵にかいたようだ・・・。

 山村のバルでコックの職を得た彼は、彼同様街暮らしから逃れた若い女性と付き合うことになった。

中年男のファンタジーだ・・・。

 四季を通じた自然の描写、山に暮らす人々の生業と生活の描写、美しく描かれている。絶滅の危機に瀕している狼の控えめな描写がタイトルのもとになっているが、結局中年男のファンタジーだな。

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2023年06月23日

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イタリアンアルプスのふもとにあるフォンターナ・フレッダという小さな町を舞台に、そこに生きる人々や自然を活写した作品。
作家でパートナーと別れたばかりのファウスト、唯一のレストランを営むバベット、そこでウェイトレスをすることになったシルヴィア、山で働くことを何より楽しんでいるサントルソの4人が主要な登場人物だ。36篇の短篇で構成された作品で、この数字は北斎の『富嶽三十六景』にちなんでいる。
タイトル通り狼も登場するが、恐怖の対象でもなければ駆除されるわけでもない。自然界に生きる仲間として認められている。この距離感が好みだった。

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2023年05月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

著者の前作「帰れない山」のように、この本も季節と時間によって移り変わる山の美しい描写が良い。そして、おいしそうな山の食事!夏に樵たちのコックをするファウストの章が一番好きだ。パスタ、肉、じゃがいも。焼ける唐松のにおい。サントルソや樵たちががやがや食事する。何気ない章なんだけど、武骨なのにさわやかで、思い切りそこの空気を吸い込みたくなるような魅力がある。
この本の中では、毎日たくさんの人が食事をしては去っていき、山と人は移り変わっていく。景色を変えながらも、山はいつでもそこにそびえ立って人々を見下ろしている。たった一年ではあるけれど、4人の主人公もまた場所を変え、生活が変わり、移り変わっていくのだ。ファウストとシルヴィアの仲がどうなっていくのかは分からないけど、なるように転がっていくだろう、というようなどこか明るいラストなのは「狼」らしい幸せのあり方を現しているのだろうか(シルヴィアのほうが狼かも?)。読者としては寂しい気持ちもするのだが…。
「何かが消えて、別の何かがその後釜に座る。世界はそんなふうに出来ているんだよ。ただ我々人間ってやつは、どうしても以前にあったものを懐かしんでしまうんだ」というファウストの父親の台詞が、そのラストで効いてくる気がする。再開する「バベットの晩餐会」の話も読んでみたいけど、全然違う店になっちゃうのかもしれないな、それも面白いかな、とふわふわした夢を私もフォンターナ・フレッダの山に託したくなる。

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2023年05月11日

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