あらすじ
辞書の中から立ち現れた謎の男は、魚が好きで苦労人、女に厳しく、金はない――。「新解さん」とは、はたして何者か? 三省堂「新明解国語辞典」のページをめくると、あなたは濃厚な言葉の森に踏み込んでしまう。【恋愛】【合体】【火炎瓶】【浮世】【動物園】……数々の、あまりに親切な定義に抱腹絶倒しながらも、「新解魂」に魅せられていく、言葉のジャングル探検記。“紙”をめぐる高邁深遠かつ不要不急、非パソコン的世界からの考察「紙がみの消息」を併録。
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Posted by ブクログ
読み終わった。この著者はトマソンで出会って二度目の本である。トマソンに比べたら勢いは少しないような気がしたが、新解さん、という命名がやはり天才的である。
著者のもとに寄せられた、「新明解国語辞典」の例文がちょっとおかしい、ということでさっそく見てみる、というユーモアエッセイ。
「恋愛」の解説に情熱的な気持ちが込められていたり、まるで小説のワンシーンのような描写がでてきたり、食べものの項目に「おいしい」という個人的な感想めいた説明があったり、「世の中」「読書」などには一家言ある意固地な性格が透けて見えたり、時には辞書ではなく偏見だ!と思わず目を疑うような解説や例文がある。
こんな辞書が存在していいのか?と思うが、そこまで踏み込むゆえに、言葉の意味が「新明解」になる、という逆説でもあり、身をもって言葉の意味や辞書の役割を考えさせる。
また、偏りがあるから辞書として不適切、と一言では切り捨てられない「何か」があり、それを「新解さん」と名付ける。辞書の性格を擬人化して社会の許容度を問う。あとがきでもあったように、実際に新解さんに聞いて終わり、という個人的な話ではない。
その背景にある社会への視点や投げかけ、想像の余地を楽しむという点が重視されていて、それがいかにもトマソン的と言うか芸術的である。
同時収録されている「紙がみ」についても、エッセイとしては軽い読みものだが、「紙」に対して私たちが感じる神聖さ、高級さ、信仰、といったものについて考えさせられるものだった。
お札(さつ)やお札(ふだ)について、軽々しくプラスチックには移行できない「神聖なもの」がつきまとう、という話。今は特に電子マネーが増えて、より神聖なものを遠ざけようとする感じがうかがえるのだと思わされた。
また、写真や映像について、検索したり映し出したりするスクリーンは、いつか「電源を切る」が、紙に印刷した写真にはそういうことをしない、という指摘。印刷する意味、紙(実体)である意味について考えさせられた。きっと絵や芸術作品もそうだろう、どれだけデータとして持っていたとしても、真の所有ではない。
それらは飾られるもの。そして、いかにも、実用ではない。それゆえに存在価値があるという。まさに紙の要不要という視点からトマソン的な社会における「充実」を問う、この著者らしい議論だと思った。
紙が好きな人、紙や実用的でないことにどうしても惹かれてしまう人、そんなアナログな人におすすめ。
Posted by ブクログ
国語辞典のちょっと変わったところをツッコむお話でした。初めて読むタイプで、ジャンルはよく分からなかったです。
新明解国語辞典第4版が特にピックアップされていて、辞典なのに言葉の意味の説明がなんか著者の気持ちが込もっていたり、独特な具体例が書いてあったり、本当にこんな辞典が存在するのかと驚きながら読んでいました。
辞典から滲み出る人間らしさの言い換えとして出てくる「新解さんの解底に棲んでいる新解魚のようなものが見えてくる」という表現はすごい面白くて印象に残っています。
新しい見方、世界が広がるよい本でした。
Posted by ブクログ
辞書にも個性があって、辞書を作る人の見ている世界がじんわりと染み出てくるのだな、と思うといとおしく思えてきた。三浦しをん「舟を編む」の世界ですね。
新明解国語辞典はミスを恐れず、日本語を明解にするためにどんどん解説サービスをする。辞書の読者(?)は実感をもって日本語を理解することができる。
今は辞書を引かずに言葉の意味をネットで検索する時代だけれど、新解さんのような一本筋の通った辞書を使って自分の言葉を形成していくと、ほかの人とは違う自分なりの言語世界ができるかもしれない。
用例で、金周りに困っている内容が多かったり、自分の好きな食べ物の解説にはすなおに「美味い」と言ってみたり、チャーミングな新解さんが好きになる。
女性蔑視の気にはムッとしてしまうけれど…。