あらすじ
天皇はいかにして神になったのか。
世界宗教の根本理解から天皇の神性が浮かびあがる
世界に比類のない日本の天皇はいかなる原理によって日本の歴史を動かしてきたのか。
神からのぞみの地を約束された民は世界でも日本人とユダヤ人だけ。しかし日本人とユダヤ人は対蹠的な歴史を歩んだ。日本人はのぞみの地にとどまり、ユダヤ人は世界を流浪した。そこにはどのような神の力が働いていたのか。
ユダヤ教との比較に始まり、キリスト教、仏教、儒教、イスラム教といった世界宗教の根本理解から日本の天皇を位置づける。
さらに、キリスト教の「予定説」(プリディスティネーション)の原理から天皇の神勅的正統性を導きだし、そしてイエス・キリストの復活と三度にわたる天皇の復活が同型(アイソモルフィック)であることから天皇という神の原理を抽出する。
時代に隔絶した大天才の碩学が、世界の奇跡ともいうべき日本の天皇という存在を徹底的に究明した驚愕の書。
小室直樹氏の直弟子でもある副島隆彦氏が解説と絶賛推薦!
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Posted by ブクログ
日本人の信仰など大部分はご都合主義だという気がするが、戦前までの日本人は天皇を真に「現人神」と信じていたのだろうか。単にシンボルや大義名分として政治利用していただけではないのか。以前も何かのレビューで書いたが、明治維新以降の新政府は確実に天皇を利用してきたのであり、天皇は利用されたのだから戦争責任を問われないという道理ではないのか。
明治期以降の国家神道体制のもとでは「天皇は天照大神の子孫であり、神性をもつ存在」という思想教育が全国民に浸透させられてきた。ただ、これは必ずしも「神を信じるような個人的信仰」ではなく、「国家の秩序と一体化した儀礼的信仰」であり、「制度化された権威への信服」であった。
その中で、幕府に代わる正統性を確保するために「万世一系の天皇」が神話的・歴史的根拠としての大義名分、戦時には「天皇の軍隊」というプロパガンダに利用されてきた。これが受け入れた理由は、宗教的というよりも「共同体的・儀礼的な信念」だから。つまり、個人の内面で論理的に信じるというよりも、ある種の合意事項であった。
小室直樹は、この天皇の存在を他の宗教との対比で解き明かそうとする。本書は天皇論よりも、こうした宗教比較論の割合が多い。いつもの小室直樹節だが、やや論理の荒さを感じるのは比較を並べるだけでは並べられない、別次元の独自性を追いきれないからだ、という気がする。
ー 日本人とユダヤ人。世界で、この二つの民族にかぎって、神は理想的土地を与えたもうた。
が、決定的なちがいは。日本は無条件。ユダヤは条件つき。
神の全てを正しいとするか否か。信じる者、戒律を守るものを救おうとするか否か。こういう設定は人間たちへのプロンプトになり、神の原理は、信仰を通じて信者の原理になる。AIから暴力性を取り除く人類が、その神のプログラミングに暴力の物語を書き込んだことこそ、悲劇である。