あらすじ
「変わらない真実ってどこにあるんだろう」“ダメ”サラリーマンの主人公は、美人上司の眼前で事故に遭い、そのままイデア学園の高校生として転生する。ところが、学校には歴史的な哲学者の“顕現”である七人の美少女がいて、彼女たちから秘密の課外授業を受けるハメに……。『生協の白石さん』『電書マガジンAir』を仕掛けた鬼才が満を持して放つ、本格哲学&萌えノベル。実は本格的な本書、著名哲学者の木田元氏も推薦!
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Posted by ブクログ
要約;主人公(堀内健二)が交通事故にあい、なぜか「イデア学園」という高校に入りなおすことに。隣人の『妹』キャラにナビゲートされながら、7人の哲学者の顕現的カワイコちゃたちに日替わりで講義される。
1、ルネ・デカルト「我思う故に我あり」心>身体。世界に真実はあるのか、人間はその真実を捕まえられるのか?⇒この世は神が創った合理的世界、だから我々は合理的に存在する(神は嘘をつかない)のだから、真実は捕まえられる
2、ベネディクトゥス・デ・スピノザ「エチカ(倫理学)」人は本性上妬み深いもの。P70『人の欠点をあげつらう事が大好きで、いつもグチばかり零す人が居るよね。そんな人は周囲を不快にするだけでなく、自分自身も不幸にしている。~でもそんな人のことでも、批判するよりは我慢して、何とかその人が社会に和をもたらすようにもって行く方が、より得策』
世界には本当のところ、善も悪もない。絶対的な神がいて善悪が決められているのではない。”神は人間から敬われるために自然を作ったのだ”ではなく、この世界の全ては神の属性の変様であり、神の本性から全てが必然的に生起している。心=身体
3、ジョージ・バークリ&デイヴィッド・ヒューム存在するとは、知覚されることである
人間は自分の感覚を通してしか、その物を知覚出来ない。仮にイデア的な実在があったとしても、永遠に知る事はできない。しかし、それを知覚する自分は「存在している」と言える。
4、イマヌエル・カント外的条件に作用されない絶対的道徳法則
問答無用に心に響く声に従うべし
仮言命法=周囲の要求や条件等から導き出される行動方針
定言命法=余計な事には一切構わず、ただ”かく振舞うべし”と告げる心の超えに従う行動方針
経験できないものについては確実さの根拠は無い。つまり神様や魂のについては人間は経験することができない、考える事ができるだけ。
自分の内から立ち上ってくる理性の声と、自分の欲望とが一致するように心掛けなさい。
P161『道徳とは人間同士の取り決めなんかじゃない。社会情勢や事情や時代によって変わるものなんかじゃなく、たとえ人間が滅びてしまっても、点の星空のように存在し続ける絶対の法則がある』
5、ゲオルグ・ヘーゲル世界は、絶対知へと向けて発展する無限の運動である
完全なものは今ここにはない、『今』は常に不完全なのだから。
6、フリードリヒ・ニーチェ神は死んだ。しかし何も変わらなかった
人間の命・身体から沸き起こってくる自然な欲求に従う事こそ、まっとうな人間らしい生き方。自然の欲望を否定する宗教的な退化した【生】、病んだ生き方はデカダンス。反自然的な価値観を説く宗教や道徳の哲学のようなデカダンス思想をニヒリズムと表現。ニヒリズムは創造より安定を、生成より維持を、多様性より均質性を理想とすることで、出る杭を打ってきた。しかし、本来的な自分を肯定して生きる事こそが健全な生き方ではないか。
7、マルティン・ハイデガー
世界がなければ僕たちも居ない。僕たちが居なければ世界も無い。僕たちは一人じゃない。
わたしたちのあり方=現存在…世界=内=存在”世界のもとにある”
P245『世界に正しいものがあるんじゃない。そうではなく、現存在=人間が、ひとりひとり自分の可能性を生きると共に世界があらわれて、その世界の中で事物とふれあう』
P247『現存在(人間)が世界に自分の性を投げかける目線=”配慮的気遣い”と名づけました。存在するものは、人が世界に向ける配慮的気遣いの中で、その意味を明らかにしてくる。そして明らかにされた存在』=道具
現存在の本質=「気分」「了解」「言明」
気分…自分の根底にあるもの。自分ではどうすることも出来ない、気持ち。”とにかくあるし、あり続けなければならない”という状態に投げ込まれている=被投性
了解…自分が自分の存在を、存在しているものと受け止める事
言明…現存在と存在者(物)が出会うのと同時に、存在者の方は意味を明らかにする。現存在のほうは存在者(物)を言葉で規定する。※解釈を言語化するという事ではない。
人間はりかえのきかない、他ならぬ自分自身の可能性として存在している。現存在はつねに他者と関わり、世間のもとにある。そこで頽落して存在している。
頽落…人間が世間に溶け込んでしまって、本来の、自己の可能性を忘れてしまっている状態。
P260『人間は、自分自身の人生を生きる、という状況にいきなり投げ込まれている。そこで人間は、世界に向けて自分の固有の可能性を投げかて世界を知り、また世界によって自分というものを知る。世界の存在者、つまり物や共同存在、要するに他人とふれあって、自分自身というものを知る事になるんだ。
でも、自分自身の可能性を生きるといっても、実際はそんな風には生きていない。現実には人間は共同体に所属していて、その共同体の中で事故を忘れて、世間の言いなりになって生きているんだ』
P265『死は人ごとじゃない。現存在が引き受けなければならない可能性。
現存在のどんな可能性も、死の可能性を追い越すことは出来ない。その先にはもうなにもなくなるから・死には係累がない。死が迫ると、現存在の、他の現存在にたいする連絡は全て絶たれてしまう。死において人は孤独になるから』
本質的に死に引き渡されている現存在の被投性。底に潜む根源的心境が、死への恐怖と不安。
頽落は死死を覆い隠す。世間は人に”死は確実だ。でもすぐくるわけじゃない”という。本来”いかなる瞬間にも訪れる”という、死の最も固有で確実な可能性を覆い隠してしまっている。
P268『逃避をやめて、死に向き合うこと。これをわたしは”先駆”と呼んだ。死を先駆する事で、人は世間から切り離され、自分本来の可能性に目覚める事になる』
…ハイデガーが本旨となっており、交通事故で死に際した主人公に、死の実存論的分析を説くことで、『生きる』ことに気付かせようとしている。
私評;小説形式を取っているので、哲学入門としてはかなり読みやすい。しかし、ストーリーとしては起承転結がおかしく、物語としては破綻している。この書の本懐は、神なる善悪や道徳、市場原理主義(もっとお金儲けできればみんな幸せ)すら確かな考え方とはいえなくなった今、『世界に確実なものはあるのか。あるとしたら人は、その確実なものを手に入れられるのか』という疑問への手がかりを思索する点にある。
ツンデレは個人的には大いに首を傾げるところであるが(苦笑)
とっつきにくい哲学を分りやすく説いた本として、面白かった。
本書で伝えたい事
「この世には絶対的審判者(神)もいなければ、完璧なものもないのだから、失敗も不完全な自分も恐れることはないし、恥じる事もない。
それより、己が死を思え。その一回性の人生を、己のものとして生きろ。他人や世界との関わりの中で、自分と言う存在を知り、そして他者や世界をより確かなものに感じていく事ができるだろう」
内心の熱いエールが構成をはみ出し、つんのめった印象はあるが、そのとおりだなぁ~と思った。ただ、折角ストーリー仕立なのに、それがかえって不調和や不自然さを感じて、ムズムズして集中できなかった。