【感想・ネタバレ】これでもいいのだのレビュー

あらすじ

ずっとこんな存在を待っていた。
私たちの進む獣道のちょっと先を行く、素敵な先輩を。
――宇垣美里さん(解説より)

思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。
明日の私にパワーチャージするエッセイ66篇。

私の私による私のためのオバさん宣言/「ごめんなさい」とベビーカー/“現役”のアップデート/四十代にちょうどいいパンツ/「大丈夫だよ」と言ってほしかった ほか。

私たち、これでもいいのだ!

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Posted by ブクログ

ネタバレ

◾️record memo

大きい私は大ライス。
華奢な彼女は小ライス。
その決めつけを、世間では偏見と呼ぶ。偏見は差別を助長する。理屈の上では、決して許してはならぬ行為だ。

ライスだったから笑えるが、この手の思い込みが、命取りになることもあるだろう。たとえば人種だったら?性別だったら?
こういうとき、どうしたらいいのだろう。「正しさ」はどこまで行使されるべきか。「勘違い」は、どこまで朗らかな笑いに昇華できるのか。

現実はどうであれ、「陽はまた昇る」と信じて生きる方が、人生を楽しめるに違いないのだから。

根は真面目だが、生きる態度は少し不真面目で、キラキラ輝く向上心は持ち合わせていない。不器用というよりめんどくさがりで、合理性を尊ばない。そして鈍くさい。だからこそ、かりそめの正義で他人を裁き、煽ることもしない。だって、それってめんどくさいじゃない。

なるほど。では、なにをしたら良いの?なおも戸惑う私に、彼女は続けた。「娘にとって、インスピレーショナルな存在でいてほしい。つまり、いまのままのあなたでいてくれればいいの。娘が大きくなったら、話し相手になってあげて」。

なんとも嬉しいことを言ってくれるじゃないか。「あなたはそのままでいい」なんて、なかなか他人様の口からは聞けない言葉だもの。私は彼女に心から感謝した。

誰かが不当に不利益を被るわけでもない限り、選択肢は多く用意されていた方がいいに決まってる。幸せの形は、多様なのだから。

生きていると、「私なんて、なんの価値もない」と思わされるようなことが、誰の身にも必ず起きる。ぞんざいに扱われたり、謂れのないことで責められたりする理不尽は世の常だ。環境が変わり、それまで当たり前に手にしていたものを、突然失うことだってある。

そういう出来事があると、なんとか培ってきた自己肯定力なんて、一瞬にして吹き飛んでしまう。私だって、何度もそういう経験をしている。

偽の自称から始まり、時に他者からからかいの言葉として投げつけられ、同世代の宗派分裂を経て、私はようやくオバさんという言葉を自分のものにできた気がする。誰のためでもない、私の私による私のためのオバさん宣言だ。

真のオバさんには「私、オバさんだから」というオールエリアパスが発行される。この呪文を唱えれば、相手はたいてい「ならば仕方がない」と引き下がる。今までは偽オバさんだったから、世間がそれを許さなかった。

顔の見えない世間なんてものはヘラヘラと笑っていなしていればいいのだけれど、そういうときにもこの呪文は功を奏す。「もうオバさんなんで」とか「オバさんだからこそよ」とか言っていればいいのだ。そこに意味なんてなくていい。

マジョリティとは男女の役割が逆の我が家では、気付かされることが多い。そのひとつが、「男ってさ」「女ってさ」と、まるで男女が生まれながらにして持つ性質と思われがちなことのほとんどが、性別ではなく役割に起因するってこと。

日本ならば、たった五分電車が遅れたとしても、会社が起こした問題は社員ひとりひとりが負うものだと、駅員は平身低頭の対応をするだろう。それが過剰なのは問題だが、そこで「そうですか。駅員とは言え、私にはどうすることもできませんが」という態度を取られたら、私だってムカッときてしまうだろう。
駅員の態度で遅延が解消されるわけでもないのに、そんなことを思うなんて、私のなかにも、「みんなが等しく我慢しなければ不公平。自分勝手は許されない」と考える向きがあるのかもしれない。「あなたの責任でもあるでしょう?」と、責任を負いきれない人に言いたいのかもしれない。そう思うと、自分がちょっと恐ろしい。

では、権力の勾配のみがハラスメントを生むかといえば、そうでもない。思い込みや決めつけも、ハラスメントを引き起こす種になる。「男なら、◯◯でしょ!」とやるのは、ジェンダー・ハラスメントの一種だろう。

自分と権力を力ずくで引きはがし、相手を同じ人間として尊重し続けるには、正義や倫理以上に、生きるセンスがいる。常に腰を低くしていればいいという問題でもないし、誰とでもフランクに話せばいいという話でもない。

わかっている。他人のせいにしても、なにも始まらないことくらい。さあ、被害妄想に飲み込まれない程度に、私は自分を突き放さねばならない。こういうときは、俯瞰だ、俯瞰。鷹の目で、この状況を見てみるとしよう。

女を悪し様に言う彼らに、マリア様のごとく手を差し伸べる必要はない。根気よく説明をする必要もない。こちらからへりくだってわかってもらう必要はないが、はっきりとNOを突き付けるのは大事なことだと思う。

敵を見誤ってはいけない。新自由主義のツケを、フェミニズムが支払う謂れはないのだから。

しかし、いまの女はそれじゃあ黙らない。なぜって、意思表示に容姿を問われる謂れはないし、容姿の優劣を決める権利は、他者にないことを知っているから。

Mr.スッカラカンになるまで、父はすべての移動に自家用車を使っていた。父が電車に乗るのを見たことはなかった。外食する店や着る服にもこだわりがあり、私と違って、高級品にわかりやすくお金を使う人だった。よく働き、よく稼ぎ、稼いだお金を使うことが、生きる証のような人。それが父だった。

「ファンは、自分に似たメンバーを応援するんだよ。グループのなかで、一番影の薄いメンバーを熱心に応援するのは、現実社会で自分の影が薄そうな人。不器用なメンバーを応援するのは、実生活で自分の不器用さに手を焼いているであろう人。そんな自分を応援してくれる人は、現実には誰もいない。だからメンバーに自身を投影して、自分で自分を応援する」

そんなとき、アメリカのクイーンズ育ちのラッパー、Nasが歌う「The World Is Yours」が精神的な杖になった。すべてのがんばれソングが白々しく聴こえ、なんの役にも立たないと途方に暮れていた私の肩を抱え、ビートに乗せ、隣で一緒に歩を進めてくれたのはNasだった。「心配するな、この世界はおまえのもんだ」と。

「どうして私がこんな目に?」その一言が常に私の頭の中をぐるぐる回っていた。自分の人生を生きている手応えがまるでなかった。そんなとき、自分となんの共通点もないと思っていたラップのリリック(歌詞)に励まされたのだ。
「この世界は誰のもの?おまえのものだ!」。Nasにそう言ってもらえて、あの日々をなんとか乗り越えられた。私にも、音楽に支えてもらった過去があるのだ。

五十歳を過ぎた大人の外見は、それまでの人生を雄弁に語る。破天荒な生活を続けたアクセルや、脱退後も表舞台で活躍し続けたギタリストのスラッシュよりも、ダフはずっと格好良かった。昔は金髪のロングヘアだったが、いまは長身に短髪が良く似合う。真っ当に生きてきて培った自信が、全身からみなぎっていた。

『HOMECOMING』は、現代を生きる女にとって、最重要コンテンツであると自信をもって言える。何度観ても、泣かずに観終われたためしがない。どんなにへこたれた夜でも、これを観ると「負けるもんか」と奮い立つ。

どうぞどうぞ、好きにやって。私はちょっと遠くから、それを眺めているから。マイリー・サイラスは、どこまでいっても彼女のもの。そして、私の「こうあるべき」と考える偏見を、引きずり出す存在。

無駄遣いは好きだが、贅沢品に無駄遣いはできない。理由は明快。高級なものは慎重に扱わなければならないからだ。衣類ならクリーニングが必要になるし、食器なら食洗機に入れることができない。宝飾品は失くすことを恐れて着けられないし、家具は傷を付けてしまうのではないかとビクビクする。まったく、楽しくない。

片や、まずまずな価格の品は、おおらかな気持ちで使うことができる。欲望に任せ、同じようなものをいくつも買っても、たいした出費にはならない。無駄遣いに適している。

そこには「どんなときでも、人の喜びを素直に喜べる人」とあった。これだ!そんなこと、本当に性格の良い人にしかできない。私なんて、自分が調子の悪いときには、「良かったね〜」なんて言いながら、腹のなかでは、失敗すればよかったのにと思うことだってある。

どんなときでも、他者の幸せを寿げるのは尊いことだ。同じように、どんなときでも人の悲しみを我が事のように悲しめることも、尊い。どちらも、自分が満たされていないとできないことだもの。
満たされるとは、なにかと比べて過不足がないことではない。「これでもいいのだ」と、自分を信じられている状態のこと。つまり、他人と比較しないでいられること。

性格の良い人って、思っていたより鈍感なのかも。自分が性格良子か悪子か、他者からどう思われているかなんて、案外気にしていないのかもしれない。

さて、何年も理想の手帳を探しまわって、しみじみ思ったことがある。私の言う「理想の◯◯」の理想って、とことん自分に都合がいいってこと。自分のことしか考えていない。だから、「理想の◯◯」の◯◯に、決して生き物を当てはめてはならぬと心に決めた。彼氏とか、上司とか、親とか、ペットとか。
「理想の◯◯」を語るとき、私は相手のことなんて、なにひとつ考えてない。あなたはどうですか?

脳のストッパーをパチンと外し、無駄も損もお構いなしに選ぶ行為は、想像以上の快感を私にもたらした。あれも、これも、全部OK。比較も検討も、今日だけは必要ない。どんよりしていた気分が少しずつ上向いていくのが、はっきりとわかった。

問題は、財布の値段だ。お金を収納する財布にいくら掛けるのが妥当なのか、私はいまだにわからない。長く使って五年と経験上知っているので、その間に、心に負荷なく減価償却できる価格が望ましい。

財布は持ち主をよく表す。コンサバティブなファッションの女が、ベリベリと音のする面ファスナーの財布を使っているのは見たことがないし、マッチョな男性が、薄ピンク色の華奢な財布を持っているのも見たことがない。財布は、持ち主の分身のようなものなのだろう。私は長いこと、その分身に高い値がつけられないでいる。

私は、時の経過が持つ効能に感謝する。背中から切りつけられるような不条理な傷付けられ方をしても、時が過ぎれば傷は癒え始める。
完全に癒えることはなくとも、どこかで「この傷すら忘れたくない」と思っていても、時間が経てば、忌々しいできごとを考える時間は、少しずつ減っていく。そして、あの痛みがどれほどだったかすら忘れてしまう。痛みに慣れてしまうだけかもしれない。
 
自分を幸せにするのは、自分しかいないのだから。そうやって騙し騙し生きていくしかない時期は、誰にでもあるのだろう。

生きていて良かった。生きてさえいれば、いいことがあるから。喜びの光は、思いもよらぬ角度から降り注ぐものなのだ。

見栄や意地を張り合う気力体力は、いつのまにかほとんど消滅してしまった。まあ、あの人はああいうところもある人だしね、で終わり。

人生に降りかかる試練は時に非情で、あまりの理不尽さにもう頑張れないと泣く気力もなく座り込んでしまう夜も。けれど、悪いことが起こった時に生まれる感情の種類はそう豊富でもないし、いずれ慣れるとスーさんは言う。一方喜びは新鮮なのだから、生きていた方が鮮度の高い人生を保っていられる、と。
生きてさえいれば、いいことがあるから。
あまりに綺麗事なその言葉も、スーさんから自身の経験も踏まえてそういわれると、もうちょっと頑張ってみようかなあ、なんて緩く力が湧いてきて、そう感じられる自分にものすごく安心したものだ。

きっと、私たちはずっとこんな存在を待っていた。ドラマや本の中にはまだあまりいない、人生のスタンプラリーを集めないままに、それでも楽しそうに生きている存在を。私たちの進む獣道のちょっと先を行く、素敵な先輩を。イメージはドラクロワの「民衆を導く自由の女神」!先達のいない道を歩むことは難しい。けれど、スーさんが旗をもって先頭を走ってくれているから、私たちは泥だらけになりながらも安心して、その後に続くことができるのだ。

日々揺れ動きながらもその過程をひっくるめて惜しげもなく、飾らない今の自分の姿を見せてくれて、思いを伝えるために言葉を尽くしてくれて、学びから獲得したのであろうポジティブさによって他者の弱さをも肯定し、決して突き放さない、切り捨てない。それは、私が思う本当に優しい人の佇まいそのものだ。私も後に続く女の子たちにとって、こういう存在でありたいなと常々思う。道のりは険しい。

「私の知る人生の先輩方は皆、三十歳はとても楽しい、四十歳はもっと楽しい!とおっしゃるの。だから、私も三十歳が楽しみだし、そう思える大人になりたいです。」と。

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2025年03月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

帯は、
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ずっとこんな存在を待っていた。
私たちの
獣道のちょっと先を行く、
素敵な先輩を。
宇垣美里さん推薦!
明日の私にパワーチャージするエッセイ66篇。
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「お疲れ、今日の私。」が優しすぎて癒されすぎて、
本著を読んで、そうだそうだ、こんな感じの人だ!と思い出しました。苦笑

今回も共感の膝パーカッションの嵐でした。笑

・「大丈夫だよ」と言ってほしかった
・勉強しておけば良かった
・おわりに

不機嫌とギスギスと自己責任が響き合うなか、
なんか違和感ない?もっとこうさ…みたいなジェーンスーさんの人柄が好きです。

考え方、言葉、シチュエーションの書き留め方、
くすっと笑えて元気をもらえる。

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2023年03月26日

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