あらすじ
ずっとこんな存在を待っていた。
私たちの進む獣道のちょっと先を行く、素敵な先輩を。
――宇垣美里さん(解説より)
思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。
明日の私にパワーチャージするエッセイ66篇。
私の私による私のためのオバさん宣言/「ごめんなさい」とベビーカー/“現役”のアップデート/四十代にちょうどいいパンツ/「大丈夫だよ」と言ってほしかった ほか。
私たち、これでもいいのだ!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
2016〜2019年に書かれたエッセイ、まだコロナ禍前で、私の大好きなジェーン・スー節満載の一冊。「読者に優しく」をテーマにした『おつかれ、今日の私。』よりも好きだった。
『へこたれてなんいられない』を読んですっかりハマってしまい、今度はこちらを。
スーさんのエッセイで、自分の生活や感じたこと、考えていることなどが等身大のまま、絶妙な言葉のチョイスで書かれている。
どんな自分もほわっと包み込んでくれるような気持ちになる。中でも『生きる糧の更新』が一番好き。
その時その時の状況に応じてスー父のように人生という言う荒波をたくましく乗り越えていけるような、時には流れに身を任せていくような、そんな生き方をしたい。
大人っていいなあと思わせる本。
あと1つ1つの話が短くてパっと読めるのも良き。
Posted by ブクログ
◾️record memo
大きい私は大ライス。
華奢な彼女は小ライス。
その決めつけを、世間では偏見と呼ぶ。偏見は差別を助長する。理屈の上では、決して許してはならぬ行為だ。
ライスだったから笑えるが、この手の思い込みが、命取りになることもあるだろう。たとえば人種だったら?性別だったら?
こういうとき、どうしたらいいのだろう。「正しさ」はどこまで行使されるべきか。「勘違い」は、どこまで朗らかな笑いに昇華できるのか。
現実はどうであれ、「陽はまた昇る」と信じて生きる方が、人生を楽しめるに違いないのだから。
根は真面目だが、生きる態度は少し不真面目で、キラキラ輝く向上心は持ち合わせていない。不器用というよりめんどくさがりで、合理性を尊ばない。そして鈍くさい。だからこそ、かりそめの正義で他人を裁き、煽ることもしない。だって、それってめんどくさいじゃない。
なるほど。では、なにをしたら良いの?なおも戸惑う私に、彼女は続けた。「娘にとって、インスピレーショナルな存在でいてほしい。つまり、いまのままのあなたでいてくれればいいの。娘が大きくなったら、話し相手になってあげて」。
なんとも嬉しいことを言ってくれるじゃないか。「あなたはそのままでいい」なんて、なかなか他人様の口からは聞けない言葉だもの。私は彼女に心から感謝した。
誰かが不当に不利益を被るわけでもない限り、選択肢は多く用意されていた方がいいに決まってる。幸せの形は、多様なのだから。
生きていると、「私なんて、なんの価値もない」と思わされるようなことが、誰の身にも必ず起きる。ぞんざいに扱われたり、謂れのないことで責められたりする理不尽は世の常だ。環境が変わり、それまで当たり前に手にしていたものを、突然失うことだってある。
そういう出来事があると、なんとか培ってきた自己肯定力なんて、一瞬にして吹き飛んでしまう。私だって、何度もそういう経験をしている。
偽の自称から始まり、時に他者からからかいの言葉として投げつけられ、同世代の宗派分裂を経て、私はようやくオバさんという言葉を自分のものにできた気がする。誰のためでもない、私の私による私のためのオバさん宣言だ。
真のオバさんには「私、オバさんだから」というオールエリアパスが発行される。この呪文を唱えれば、相手はたいてい「ならば仕方がない」と引き下がる。今までは偽オバさんだったから、世間がそれを許さなかった。
顔の見えない世間なんてものはヘラヘラと笑っていなしていればいいのだけれど、そういうときにもこの呪文は功を奏す。「もうオバさんなんで」とか「オバさんだからこそよ」とか言っていればいいのだ。そこに意味なんてなくていい。
マジョリティとは男女の役割が逆の我が家では、気付かされることが多い。そのひとつが、「男ってさ」「女ってさ」と、まるで男女が生まれながらにして持つ性質と思われがちなことのほとんどが、性別ではなく役割に起因するってこと。
日本ならば、たった五分電車が遅れたとしても、会社が起こした問題は社員ひとりひとりが負うものだと、駅員は平身低頭の対応をするだろう。それが過剰なのは問題だが、そこで「そうですか。駅員とは言え、私にはどうすることもできませんが」という態度を取られたら、私だってムカッときてしまうだろう。
駅員の態度で遅延が解消されるわけでもないのに、そんなことを思うなんて、私のなかにも、「みんなが等しく我慢しなければ不公平。自分勝手は許されない」と考える向きがあるのかもしれない。「あなたの責任でもあるでしょう?」と、責任を負いきれない人に言いたいのかもしれない。そう思うと、自分がちょっと恐ろしい。
では、権力の勾配のみがハラスメントを生むかといえば、そうでもない。思い込みや決めつけも、ハラスメントを引き起こす種になる。「男なら、◯◯でしょ!」とやるのは、ジェンダー・ハラスメントの一種だろう。
自分と権力を力ずくで引きはがし、相手を同じ人間として尊重し続けるには、正義や倫理以上に、生きるセンスがいる。常に腰を低くしていればいいという問題でもないし、誰とでもフランクに話せばいいという話でもない。
わかっている。他人のせいにしても、なにも始まらないことくらい。さあ、被害妄想に飲み込まれない程度に、私は自分を突き放さねばならない。こういうときは、俯瞰だ、俯瞰。鷹の目で、この状況を見てみるとしよう。
女を悪し様に言う彼らに、マリア様のごとく手を差し伸べる必要はない。根気よく説明をする必要もない。こちらからへりくだってわかってもらう必要はないが、はっきりとNOを突き付けるのは大事なことだと思う。
敵を見誤ってはいけない。新自由主義のツケを、フェミニズムが支払う謂れはないのだから。
しかし、いまの女はそれじゃあ黙らない。なぜって、意思表示に容姿を問われる謂れはないし、容姿の優劣を決める権利は、他者にないことを知っているから。
Mr.スッカラカンになるまで、父はすべての移動に自家用車を使っていた。父が電車に乗るのを見たことはなかった。外食する店や着る服にもこだわりがあり、私と違って、高級品にわかりやすくお金を使う人だった。よく働き、よく稼ぎ、稼いだお金を使うことが、生きる証のような人。それが父だった。
「ファンは、自分に似たメンバーを応援するんだよ。グループのなかで、一番影の薄いメンバーを熱心に応援するのは、現実社会で自分の影が薄そうな人。不器用なメンバーを応援するのは、実生活で自分の不器用さに手を焼いているであろう人。そんな自分を応援してくれる人は、現実には誰もいない。だからメンバーに自身を投影して、自分で自分を応援する」
そんなとき、アメリカのクイーンズ育ちのラッパー、Nasが歌う「The World Is Yours」が精神的な杖になった。すべてのがんばれソングが白々しく聴こえ、なんの役にも立たないと途方に暮れていた私の肩を抱え、ビートに乗せ、隣で一緒に歩を進めてくれたのはNasだった。「心配するな、この世界はおまえのもんだ」と。
「どうして私がこんな目に?」その一言が常に私の頭の中をぐるぐる回っていた。自分の人生を生きている手応えがまるでなかった。そんなとき、自分となんの共通点もないと思っていたラップのリリック(歌詞)に励まされたのだ。
「この世界は誰のもの?おまえのものだ!」。Nasにそう言ってもらえて、あの日々をなんとか乗り越えられた。私にも、音楽に支えてもらった過去があるのだ。
五十歳を過ぎた大人の外見は、それまでの人生を雄弁に語る。破天荒な生活を続けたアクセルや、脱退後も表舞台で活躍し続けたギタリストのスラッシュよりも、ダフはずっと格好良かった。昔は金髪のロングヘアだったが、いまは長身に短髪が良く似合う。真っ当に生きてきて培った自信が、全身からみなぎっていた。
『HOMECOMING』は、現代を生きる女にとって、最重要コンテンツであると自信をもって言える。何度観ても、泣かずに観終われたためしがない。どんなにへこたれた夜でも、これを観ると「負けるもんか」と奮い立つ。
どうぞどうぞ、好きにやって。私はちょっと遠くから、それを眺めているから。マイリー・サイラスは、どこまでいっても彼女のもの。そして、私の「こうあるべき」と考える偏見を、引きずり出す存在。
無駄遣いは好きだが、贅沢品に無駄遣いはできない。理由は明快。高級なものは慎重に扱わなければならないからだ。衣類ならクリーニングが必要になるし、食器なら食洗機に入れることができない。宝飾品は失くすことを恐れて着けられないし、家具は傷を付けてしまうのではないかとビクビクする。まったく、楽しくない。
片や、まずまずな価格の品は、おおらかな気持ちで使うことができる。欲望に任せ、同じようなものをいくつも買っても、たいした出費にはならない。無駄遣いに適している。
そこには「どんなときでも、人の喜びを素直に喜べる人」とあった。これだ!そんなこと、本当に性格の良い人にしかできない。私なんて、自分が調子の悪いときには、「良かったね〜」なんて言いながら、腹のなかでは、失敗すればよかったのにと思うことだってある。
どんなときでも、他者の幸せを寿げるのは尊いことだ。同じように、どんなときでも人の悲しみを我が事のように悲しめることも、尊い。どちらも、自分が満たされていないとできないことだもの。
満たされるとは、なにかと比べて過不足がないことではない。「これでもいいのだ」と、自分を信じられている状態のこと。つまり、他人と比較しないでいられること。
性格の良い人って、思っていたより鈍感なのかも。自分が性格良子か悪子か、他者からどう思われているかなんて、案外気にしていないのかもしれない。
さて、何年も理想の手帳を探しまわって、しみじみ思ったことがある。私の言う「理想の◯◯」の理想って、とことん自分に都合がいいってこと。自分のことしか考えていない。だから、「理想の◯◯」の◯◯に、決して生き物を当てはめてはならぬと心に決めた。彼氏とか、上司とか、親とか、ペットとか。
「理想の◯◯」を語るとき、私は相手のことなんて、なにひとつ考えてない。あなたはどうですか?
脳のストッパーをパチンと外し、無駄も損もお構いなしに選ぶ行為は、想像以上の快感を私にもたらした。あれも、これも、全部OK。比較も検討も、今日だけは必要ない。どんよりしていた気分が少しずつ上向いていくのが、はっきりとわかった。
問題は、財布の値段だ。お金を収納する財布にいくら掛けるのが妥当なのか、私はいまだにわからない。長く使って五年と経験上知っているので、その間に、心に負荷なく減価償却できる価格が望ましい。
財布は持ち主をよく表す。コンサバティブなファッションの女が、ベリベリと音のする面ファスナーの財布を使っているのは見たことがないし、マッチョな男性が、薄ピンク色の華奢な財布を持っているのも見たことがない。財布は、持ち主の分身のようなものなのだろう。私は長いこと、その分身に高い値がつけられないでいる。
私は、時の経過が持つ効能に感謝する。背中から切りつけられるような不条理な傷付けられ方をしても、時が過ぎれば傷は癒え始める。
完全に癒えることはなくとも、どこかで「この傷すら忘れたくない」と思っていても、時間が経てば、忌々しいできごとを考える時間は、少しずつ減っていく。そして、あの痛みがどれほどだったかすら忘れてしまう。痛みに慣れてしまうだけかもしれない。
自分を幸せにするのは、自分しかいないのだから。そうやって騙し騙し生きていくしかない時期は、誰にでもあるのだろう。
生きていて良かった。生きてさえいれば、いいことがあるから。喜びの光は、思いもよらぬ角度から降り注ぐものなのだ。
見栄や意地を張り合う気力体力は、いつのまにかほとんど消滅してしまった。まあ、あの人はああいうところもある人だしね、で終わり。
人生に降りかかる試練は時に非情で、あまりの理不尽さにもう頑張れないと泣く気力もなく座り込んでしまう夜も。けれど、悪いことが起こった時に生まれる感情の種類はそう豊富でもないし、いずれ慣れるとスーさんは言う。一方喜びは新鮮なのだから、生きていた方が鮮度の高い人生を保っていられる、と。
生きてさえいれば、いいことがあるから。
あまりに綺麗事なその言葉も、スーさんから自身の経験も踏まえてそういわれると、もうちょっと頑張ってみようかなあ、なんて緩く力が湧いてきて、そう感じられる自分にものすごく安心したものだ。
きっと、私たちはずっとこんな存在を待っていた。ドラマや本の中にはまだあまりいない、人生のスタンプラリーを集めないままに、それでも楽しそうに生きている存在を。私たちの進む獣道のちょっと先を行く、素敵な先輩を。イメージはドラクロワの「民衆を導く自由の女神」!先達のいない道を歩むことは難しい。けれど、スーさんが旗をもって先頭を走ってくれているから、私たちは泥だらけになりながらも安心して、その後に続くことができるのだ。
日々揺れ動きながらもその過程をひっくるめて惜しげもなく、飾らない今の自分の姿を見せてくれて、思いを伝えるために言葉を尽くしてくれて、学びから獲得したのであろうポジティブさによって他者の弱さをも肯定し、決して突き放さない、切り捨てない。それは、私が思う本当に優しい人の佇まいそのものだ。私も後に続く女の子たちにとって、こういう存在でありたいなと常々思う。道のりは険しい。
「私の知る人生の先輩方は皆、三十歳はとても楽しい、四十歳はもっと楽しい!とおっしゃるの。だから、私も三十歳が楽しみだし、そう思える大人になりたいです。」と。
Posted by ブクログ
私はこのエッセイが好き。
30歳間近で色々悩んでいるからかな。
疲れてても短編だからすぐ読める。
人生に正解はない気がする、私の人生を少し肯定してくれるような気がした。
Posted by ブクログ
同年代のジェーン・スーさん。キラキラしたアラフィフではないけど、地に足つけて踏ん張ってる姿が堪らなく好きです。愚痴ったり嘆いたり、ちょっと自慢したり自分を褒めたり。生々しい日常をキレ味鋭い表現で綴り、いつの間にか元気を分けてくれます。
Posted by ブクログ
男性でもオススメです この年代の女性の考えが読めるって新鮮 でも全体には性別関係なく通ずる話がほとんど
なんとなく軽い気持ちで読めるものがほしくて
ジェーンスーさん 私は昨年まで名前も聞いたことなかったです たまたまポッドキャストをよく聞くようになったらオススメでよく出てくる人 香港の方?まさか生粋の日本人だった! 周りの人に聞いてみると女性はちょいちょい知ってるけど男性は知ってる人に当たらなかった そんな方の1話が3ページのエッセイ集 ポッドキャストの人に悪い人はいないはず!読んでみよう
もう文章がとても明るく(しっとりしてる時もある)
軽快で最高!冴えない女の会 オバさん宣言 洗濯機の話 ゾンビとピーナッツ 手強すぎる門番 がおもしろかった〜
1番印象に残ったのは最後のあとがき「おわりに」ちょうど自分が読みたいものに出会えた気分 今を生きるコツみたいなものをギュギュっと感じることができました。スーさんありがとうございます。
Posted by ブクログ
堀井さんの次はスーさんの本。
堀井さんとはまた違った素敵な強さと優しさ。
OVER THE SUNと同じくスーさんに話しかけられてるような気分になりながら、笑ったり泣いたりしながら読んでました。
誰かに言って欲しかった『これでいいのだ』。
おばさんに片足突っ込んで、突き進む気力も否定する気力もなくなって、私が選んだ人生のはずなのに『これがいいの!』とも肯定もできず、人の人生や仕事やお給料を羨んでみたり、なんで私だけこんななの…と消えてみたくなったり、でも私の暮らし最高じゃん!って突然ぶちあげてみたり、全部が全部これでいいのかなんてわかんないし、良いのか悪いのかの判断すらつかないし。
でも日々みんなそれぞれの暮らしを生きているからこれでいいんです。
自分でなかなか言えないし思えないからこそ、スーさんみたいな素敵な人に言ってもらえるこの本は最高なのです。
結果生きてさえいれば喜びの光が思わぬ方向から差してくるかもしれんよ!という生きてさえいればでダバダバ泣き、甘い憂鬱とおわりにで年齢を重ねる私にもしみじみし、ゾンビとピーナッツで私もやるわーーー!!と大爆笑し、
色んな感情を穏やかに受け止めてもらえる、とってもとっても素敵な文章ばっかりでした。
特別なことが起きたわけじゃないし何かめちゃくちゃにいい事がありまくるわけでもないけど、おばさんに片足突っ込んだ今の暮らしはなかなかに楽しい。今の私が読めて良かった1冊でした。
宇垣さんの解説もすてきだったなあ
Posted by ブクログ
安定のお風呂本。
ジェーン・スーさんの本は、どれもお風呂でのんびりしながら読むのにピッタリでお気に入り。
前回読んだのが「女はいつまでだって女子!」だとしたら、今回のは「ババアとして生きていく覚悟」って感じだった。
歳をとって不便なこと、不安なこと、心配なことは沢山あるけど、その分楽しいことや、深く考えすぎないことが出来るようになってきたというエピソードが盛りだくさんで、どのお話も面白かった。
Posted by ブクログ
ジャンルでいうとエッセイなのかな。
ジェーン・スーさんの日々の赤裸々?な日常の中にすこし視点の違う、心に落ちる、考えさせられる一言がそっと添えられる。
そんな内容が愛おしいほどすきだった。
他の作品も読みたい。
Posted by ブクログ
中年を迎えた女性の心中を饒舌に語るエッセイである。私のように中年も後期もしくは末期になると覚悟や諦めが自然に身についてくるが、筆者にはまだそこまでの諦念はないようだ。これには性差はないと思うが女性は外見上の変化を気にする人が多いので、オバさんと呼ばれることには大きな抵抗があることは理解できる。
こういうエッセイを読むと加齢するごとに生まれる感情をどのように考えるべきかは人生のテーマであることが分かる。そして自分が思うほど他人は気にしてはいないことや、容姿だけが人の価値ではないと考え直す。それにも関わらず、現実を気にせざるを得ない人の弱さも再認識することになる。
Posted by ブクログ
冴えない女の会に入りたい…。
私に愛嬌がないので、愛嬌だけで渡り歩いてきたんであろう人のくだりに共感。ほんと、真面目にやってるのが馬鹿らしくなるんだけど、でも愛嬌ないからこういう生き方しか出来ないんだよねーと思う。これが私。これでもいいか。
Posted by ブクログ
ジェーン・スーさんの 「ものごとの表面だけを撫でるのではなく、奥にある物まで思考を突っ込んで、そこにある物を引き出す」言葉が自分も好きです。
綴られているのは、ある意味とても日常的なこと。
でもジェーン・スーさんは沢山の事に気づき、思考に掘り下げて、それを言葉という表現をされる方。
だから沢山の人が共感し、話しを受けとめていることがこの本から伝わってきます。
例えば、「私たちの代弁者」
自分が特に気に入ったのは「『伝える』の先にあるもの」
この一節に出会えただけで、十分すぎる価値のある本でした。
Posted by ブクログ
さくさく読めて、共感したりくすっと笑えたり。
歳を重ねて行くことが楽しみになった。
特に「おわりに」と宇垣美里さんの「解説」が良かったなあ。自分で自分に呪いをかけてしまいそうになることもあるけど、「これでもいいのだ」と自分も周りも受け入れて、わたしも生きていきたい。
Posted by ブクログ
ジェーン・スーの新刊が出たということで、読んでみた。
雑誌や新聞に掲載していたエッセイをまとめたもの。
コロナ禍前なのでちょっと隔世の感がある。キラキラ女子とは対極にいる、一般地味女子の気持ちを代弁している感じで共感を得ているとは思うが、ラジオの帯番組を持って、文章を書いて発表して、世の中から必要とされていて、幅広い友人もいて、同居しているパートナーもいて、十分キラキラしている。本当の一般地味女子とはほど遠い。
人生も体型も仕事も思うようにはいかないけれど、人と比べずに、受け入れて生きていくのが楽に生きていく方法かなと思う。
Posted by ブクログ
筆の立つ女性のエッセイ、というと林真理子や酒井順子だが、文章のきめの細かさ、心情の書き分けの巧みさ、が本書の特色ではないか。
年齢が上がってなかなかスムースに対応ができなくなる、「手ごわすぎる門番」など共感できる内容多数。
Posted by ブクログ
帯は、
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ずっとこんな存在を待っていた。
私たちの
獣道のちょっと先を行く、
素敵な先輩を。
宇垣美里さん推薦!
明日の私にパワーチャージするエッセイ66篇。
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「お疲れ、今日の私。」が優しすぎて癒されすぎて、
本著を読んで、そうだそうだ、こんな感じの人だ!と思い出しました。苦笑
今回も共感の膝パーカッションの嵐でした。笑
・「大丈夫だよ」と言ってほしかった
・勉強しておけば良かった
・おわりに
不機嫌とギスギスと自己責任が響き合うなか、
なんか違和感ない?もっとこうさ…みたいなジェーンスーさんの人柄が好きです。
考え方、言葉、シチュエーションの書き留め方、
くすっと笑えて元気をもらえる。
Posted by ブクログ
ジェーン・スー クオリティ、ここにありの1冊。
気軽に読めるものから、意識を持っていかれる、膝を打つ内容、私だけではないと思う不安を知る安心感などが散りばめられている。
林真理子さんが描くエッセイの後継者にもなれるのではないかな?とも思う。
Posted by ブクログ
パートナー氏が好きなラジオパーソナリティーだったので読んでみた。
読み進める内に、同級生だった女の子たちも高校卒業から20年が経ち、もうすっかり中年女子になってしまっているのかなぁと哀愁を覚えてしまった。
当然私も中年男街道まっしぐらだか...
パートナー氏に「おじさん」と呼ばれると正直ムッとくる。が、返す言葉で「おばさん」とは口が裂けても言えない。一時こちらが我慢すれば円滑な関係が築けるなら、いくらでも我慢する。
中年って大変だ。
本著はそんな小さいモヤモヤを小声で励ましてくれる。そんな内容だ。
Posted by ブクログ
著者はサバサバ独身女性のイメージだし、実際内容もコミカルなものが多いのだけど、実はすごく繊細で美しい文章を書く人だなーと思う。そんなわけで、ちょっとせつない内容のエッセイのほうがぐっとくるものがあった(解説の宇垣美里が好きだと書いていた「生きてさえいれば」とか、サーカスの話とか)。
個人的には自分は結婚して子供もいるせいか100%感覚を共感できたわけではないけど、かざらない文体に好感を持つ女性は多いのかな。自分がもう少ししっとりした文体が好みだってのもあるかも。
Posted by ブクログ
一話ずつが少し短くて読みやすいのですがスーさんはお話がうまいのでもう少しつっこんだ話を読みたいなぁと全体的に少し物足りなく思いました
ジェーンスーさんのラジオとても面白いので聞いたことない方は一度ぜひ
Posted by ブクログ
最近人気がある(のだと思う)コラムニスト、ジェーン・スーさんのエッセイを初めて読んでみた。たぶん多くの、特に同世代の同性がうなずけることを述べている。一方で、おハイソというわけではないけど、東京の真ん中へんで経済的な不自由は特になく、流行のものに当たり前のように触れられるような育ちをしてきた人だなと思いながら読んだ。
正直なところもうちょっとキレがいいのか、人や事象を斬るのかと思っていたけど、わりとマイルド。こんなふうに辛口が過ぎないのも最近の風潮に合うのかな。
Posted by ブクログ
心から共感したところが、ネット利用に関する部分。 便利にはパスワードがついて回る。個人情報流出を防ぐために築かれた城壁はあまりにも高い。 そう、パスワードを何度もはじかれてログインできず、疲れてしまうことがよくあります。それでもいい、というか何とかもっと上手くネットを使いこなせるようになりたい。
Posted by ブクログ
著者は知らない人でしたけど、宇垣美里さんが解説を付けているというので興味を惹かれて読んでみました。ジェーン・スーさん、外国人なのかと思ったら生粋の日本人なんですね。
元気で明るい、普通の大人の女性の語るエッセー。仰る通り、ごもっとも、という話題の数々で、普通がいいよね、と安心する内容でした。